第一宇宙速度のように③
「ここなら邪魔は入らないな」
流石の勇者も町中で大立ち回りを演じる気は無かったらしい、ツバサが渋々ついていった先は王都の城壁から少し離れた、丁度草原と森の境目のような開けた土地だった。
「なんでこんな事に?」
「覚えてないか? 僕は四年前の魔法大会と武術大会の決勝戦で……君に負けた」
全く覚えていない。おそらくその時の自分は宇宙の事でも考えていたのだろうとツバサはさっさと思考を放棄する。その代わり適当に相槌を打つことにした。
「あ、あーいたよねうんうんーそうかー君があのときのかー立派になったねー」
「露骨に目をそらすな」
「はい」
駄目な作戦だったらしい。ツバサは反省するがもう遅い、勇者は剣を構えている。
「いいか、君が勝ったらこの女を開放する。僕が勝ったら……」
この女。しっかりと縄で縛られたマリーが、涙目でツバサに訴えかけてきたのでそっと目線を逸した。
「勝ったら?」
ツバサに武器はない。野盗や魔物程度なら魔法であしらえるから良いかと旅立ったのが、早速裏目に出てしまっていた。それでもはいそうですかと殺される訳にも行かず、キャラバンで習っていた護身術の構えを取る。
ちなみにその時の教えは一つ。自分より強い相手なら逃げろ、だ。
「僕の、僕の……っ!」
勇者が地面を強く蹴り、一瞬でツバサとの距離を詰める。
死。
迫ってくる剣先は、彼にその一文字を連想させるには十分だった。正真正銘の真剣勝負に、思わず冷や汗が流れる。真っ直ぐと突き出された刃が首筋に刺さる寸前。
後ろに跳ぶ。どれだけ無様だろうが、死なない事が第一だ。距離を取り、改めて勇者と対峙する。
荒事の専門じゃないのになと心の中で呟くが、勇者に届くはずがない。彼女は剣を構え直し、大地を踏みしめ叫んだ。
「僕の仲間になれええええええええええええええええええええっ!」
何の話だ、それは。一瞬の思考停止が、ツバサの不利を招いた。
「……はあっ!?」
次々と繰り出される剣舞が、ツバサの体に無数の生傷を作る。避け切れるほど甘くはない。躱せたと思った瞬間、痛みが体を駆け巡る。
「お前は、お前はあっ! あの大会で優勝したくせに、どうして勇者にならなかった!僕より強いくせに、僕より力があるくせに!」
「くせにくせにって……あんたには関係ないだろう!」
防戦一方だったツバサが、勇者の腹に蹴りを見舞う。だがそれも、距離を取る以上の効果はなかった。
「関係あるさ……お前は何も感じないのか! 今だって魔物が人を襲って、誰かの家族が死んでるんだ! 力があるなら戦える! 誰かを守るために力を使うのが……当然の責任だろ!」
勇者の言葉がツバサに刺さる。彼女の言葉は、彼が過ごした17年間と何一つ違わぬ事実だった。
「それぐらいは……わかってる」
理解していた。この世界で優先すべき課題は、目の前に嫌というほど広がっているという事実に。戦争で犠牲になる人間が、そこら中にいる現実に。
「力だって金だって……そういう事に使うほうがマシだってさ」
「だったら!」
勇者が駆ける。ツバサはもう避ける気など失せていた。代わりに仕込んだ、手には氷を足には炎を。
手で作るのは氷の盾。一瞬で砕け散るがそれで良い。勢いを殺す事だけが、ツバサの目的だった。両手を合わせ、刃を挟む。真剣白刃取りなどという曲芸を、無理矢理に成功させる。
「それでも俺は」
爆炎が踵の後ろで爆ぜた。筋力の限界を超えた蹴りを、勇者の顔面目掛けて放つ。
「……宇宙に行きたいんだよ!」
――我儘でしかない。
それをツバサ自身、誰よりも理解していた。宇宙旅行など無意味だという事実。努力の果に行き着く先はただの空虚だという現実。それでも願った、憧れた。
たった一つの夢だった。
勇者が倒れる。勝敗は決した。生傷だらけで服も焦げたのはツバサだったが、立っているのも彼だった。
「なんだよ、ウチュウって……」
大の字になった勇者が、吐き捨てるように呟いた。
「空の上の上の方だよ」
「何になるんだよ、そんなところを目指したって……」
「何にもならないけど、俺は行きたいんだよ」
会話が途切れる。そこで彼はようやく思い出す。わざわざこんな傷を負ってまで、やるべき事があった事実に。
「一緒に来るか? そいつを確かめに、さ」
倒れた勇者に、彼はそっと手を差し伸べる。だが握り返される事はない。彼女はゆっくり首を横に振るだけだった。
「僕の使命は……そんな場所じゃ叶えられない」
「だろうな、そんな気はしていたよ」
交渉不成立。ツバサは徒労のため息を付いたが、どこか悪い気はしなかった。
「スカウト失敗だな」
ついでに思い出したことがもう一つ。多少不本意だったものの、マリーの縄を解いてやった。
「出会いが不味かったんじゃないんですか?」
「多分そういう問題じゃないさ」
二人は立ち上がるが、勇者は起き上がろうとしない。頬を搔いて思案するが、女性に気の利いたセリフを吐けるほど経験を積んでいない事しか思い出せなかった。
「なぁ、勇者」
「マキナだよ、僕の名前は」
「じゃあ、その……」
また考えるが答えは出ない。ようやく出てきたセリフは、何一つ面白みのない言葉だった。
「またな、マキナ」
二人は立ち去る。初日から生傷だらけと幸先は悪かったが、それでもツバサは空を見上げて微笑んだ。
「で、これからどこ行くんですか? あるんですかアテとか」
「そんなものはないけどさ」
真っ直ぐと太陽に向けて手を伸ばす。掴んで離せば、何も手には残らなくとも。
「行くしか無いだろ。啖呵まで切ったからな」
胸で燃える夢だけが、その両足を動かした。