第一宇宙速度のように②
「いいですかツバサさん、勇者というのはただ強ければいいというわけではありません。人類を救うぞっていう強い意志と人格が誰よりも求められるんです……私利私欲じゃない、まさしく正義の味方なんです。聞いてますか?」
大通りを歩きながら、マリーがうんうんと頷きながらツバサに説明する。一方ツバサは通りを埋め尽くす商店と屋台の数々につい目移りしてしまっていた。キャラバンで大陸中を横断していたツバサですら好奇心をそそる数々の品が店頭に並んでいる。もっともその値段は法外で、彼を楽しませるには至らなかったが。
「俺に向いて無さそうなところまででは」
「でしょうね、ツバサさんには一生縁のない話のはずです」
「いや、勇者にならないかって話はあった」
それこそツバサが、以前王都に足を踏み入れた時の話である。
「え? その人どこに目がついてたんですか?」
「普通に眉毛の下だよ……何年前だっけな、賞金目当てで出た魔法大会と武術大会両方優勝したことがあって、それで」
やあ少年、勇者にならないか? だったろうかとツバサは思い出す。人材不足ここに極まりだと感じたのは仕方のない事だろう。
「断ったんですか?」
「話聞いたら儲からないって言われたからなあ……キャラバンの方が稼げたんだよ」
金にならないのは、ツバサにとって何よりも致命的だった。勇者の特典がなにかあるのかと尋ねれば、帰ってきたのは名誉とやりがいと使命感というしょうもないものばかりだった。褒められて悪い気はしないものの、先立つ物には変えられなかった。
「世界の命運よりお金とか……」
「世界が滅びればいいとは言わないけど、そんな生贄みたいな役目やりたくないだろ誰だって」
だいたい正気の沙汰ではない。ツバサとてゲームの世界を救ったことは何度もあるが、間近で魔物や竜を見た後では話が違う。その大群に剣一本で大将首を取ってこいなど、お前がやれ以外の感想を抱くほうが無理だという話だ。
「ツバサさん強いのにですか? チキン野郎なんですか?」
「力が欲しかった訳じゃないし、宇宙船と交換なら喜んで捨ててやるよ」
「極端な人だなぁ……あ、ほら着きましたよ」
適当に街を散策していたかと思えたが、ようやく足を止めるマリー。その先にあるのは普通の宿屋。恋人たちが人目を偲んで逢瀬を重ねる用ではない普通の宿屋。
「じゃじゃじゃじゃーん! 勇者一行が泊まってる宿屋でーす!」
「……で?」
一瞬この賑やかな王都に静寂が訪れた、ような気がしたツバサであった。
「そりゃ……するんですよ、スカウト!」
あ、そうかと間抜けな声を漏らすツバサ。残念なことにこき下ろした相手を仲間にできる自信は、彼のどこにも存在しなかった。
「おじゃましまーす……」
勇者が泊まっているという部屋に入る二人。
「あの、どうして自然に窓から入るって発想になったんですか……?」
窓から。仕方のない事だった。
「船の上で暮らしてると、こういう動きは必須なんだ」
宿帳を盗み見て勇者の部屋を確認したマリー、そこまでは良かったが客でもない人間に優しい宿屋の主人ではなかった。部屋の場所を聞いたツバサは慣れた手付きで壁をよじ登り、窓を割り部屋に侵入し手頃なカーテンで縄を作ってマリーを部屋まで引き上げた。
「そうじゃなくてロビーで待ってるとかあったんじゃないんですか」
「宿屋の親父に睨まれながら?」
マリーは思わず口を噤むぎ頬を膨らませるが、ツバサは気にも止めずに散らかっている部屋を物色し始める。交渉相手について詳しすぎる事はないと知っていたからだ。相手が何に弱いかという情報は、時に山積みの金塊に勝る価値を持つ。もっとも彼の行動は、空き巣とほとんど変わらないのだが。
「だからって忍び込まなくたって」
「ちょっとだけだよちょっとだけ……それになにかあるかもしれないだろ? こう宇宙に興味があるような本とか」
「ないですよ多分」
そんな都合が良い話が無いことぐらい、ツバサが一番わかっていた。なにせ宇宙はおろか星に関する本でさえ、この世界には子供向けの絵本程度のものしかないのだ。
「じゃあスカウトは無理だろうな」
「それをするのがツバサさんの仕事でしょう」
「まぁ、ね」
部屋を荒らし始めて早数分、ようやくツバサは勇者の弱点らしき物を発見した。それは古今東西、多くの英雄が好んだ物でもある。
「しっかし、随分お盛んなんだな勇者って」
「え?」
右手で女物の下の方の下着をつまみ上げ、ツバサはため息をつく。一瞬正義と人格はどこに行ったのかと呆れたが、逆に交渉相手として人間らしい所があるのは良いことかと自分を慰める事にした。
「しかも巨乳好きと来た」
左手で掴むのは、上の方の下着。その大きさに思わず目を背けてしまうのは、ツバサとて男だったからだ。少しは仲良くできそうだなと思ってしまった事だけは、マリーに告げない事にした。
「えーっと」
「ただいまーいやー王都は色々あって良い」
マリーが何かを伝えようとする間に、開かれてしまった部屋の扉。ツバサと目が合う。嬉しそうに荷物を抱えた、一人の女と。
「……誰?」
女である。
「勇者ですよ」
マリーが答える。
「女だけど」
「そうですよ?」
外側に跳ねる肩まで伸びた黒い髪、青を基調とした動きやすそうな服装に軽装の鎧とマント。腰から下げるは値の張りそうな金色の鍔の付いた一振りの剣。巨乳。
「えぇ……」
そういう情報は一番早く伝えてほしかったのにとツバサは心の中で悪態をつくが、もう既に手遅れだった。
「あー……これ、あんたの?」
特にその両手に持った、女性物の下着の所在が。
「うわああああああああ下着泥棒だああああああああああああああ!」
「あ、いや、ちがわたし」
手当たり次第に物を投げ始める勇者。マリーの弁解は聞こえない。
「変態、変態、変態だあああああああああああ!」
「いや、俺、宇宙」
なんとか口を開くツバサだったが、彼の言葉が彼女に届くことは永遠にない。
「ここから出て行けええええええええええええええええええええええええっ!」
勇者の言葉をきちんと聞き入れたツバサとマリーは、行儀よく入ってきた窓から逃げ出し路地裏の手近なゴミんい身を隠す。
「……こりゃスカウトは無理っぽいな」
思わずかいてしまった汗を、手近にあった布で拭くツバサ。下の方の布である。
「まったく、冷や汗かきましたよ」
自然に上の方の布をツバサから受け取り、額の冷や汗を拭うマリー。
「あ、ツバサさん、パス!」
その布の正体にいち早く気付いたマリーは、さっさとその危険物をツバサに投げる。本当は避けるべきだったのだが、男の性かツバサはそれを掴み取る。
「あ、お前捨てるだろ俺に返すじゃなくて! それかこっそり置いとくか!」
「いやでも高いんですよ特注サイズのブラジャーって! 同じ女として見過ごせないじゃないですか!」
「馬鹿お前、見栄張ってる場合じゃないだろ!」
そんなに大きくないだろと言いたかった。だが言うべきではなかった。何せ二人の大声は、居場所を知らせるには十分すぎたのだから。
「ハ……ハロー」
いつの間にか追ってきた勇者に、ツバサは国際的に標準的な挨拶を返す。その両手に、パンツとブラジャーを握りしめながら。
「そこを動くな下着泥棒! 殺してやるうううううううううう!」
「おい逃げるぞマリー!」
「あ、はい!」
逃げる二人を英雄が追う。乙女の怒りが彼女を走らせその距離を縮めていく。その加速度はまるで、第一宇宙速度のように。
「おいおいおいおい、勇者様ってのは人格が試されてるんじゃないのか!」
「ツバサさんが下着なんて盗むからですよ!」
走る、走る、走る。つい先程まで二人の目を楽しませていた大通りの商品は、もはや障害物でしかない。人をかき分け道を造り、一目散に二人は逃げ出す。
「好きで盗んだんじゃない! 不可抗力だ!」
「それはどうかとおもいます!」
「まぁそうだけど!」
ツバサが後ろを振り返れば血相を変えた勇者が色んな物を吹き飛ばしながら猛進していた。このままでは追いつかれるのは時間の問題と判断した彼は、一種の賭けに出ることにした。
「おいマリー、屋根の上に飛び移るぞ!」
「あ、はい!」
このまま大通りで無闇矢鱈と被害を出すよりは、空中戦に一縷の望みをかけたほうが良い。ツバサはさっさと魔法で風を起こし、建物の屋根へと飛び移った。後はマリーだと、振り返る。
「とおおおおおおおおおっ!」
マリーは跳んだ。両手を高く点に突き出し、垂直に、15センチぐらいは跳んだ。ぴょんって音が聞こえそうだった。
「……マジか」
「一匹確保おおおぅっ!」
だが聞こえてきたのは、勇者の威勢のいい声と組み伏せられたマリーの顔面と地面が擦れる音だけだった。ぴょんだなんて生易しいものではない、消毒しないといけない類の砂と土埃が傷口に染み込むような音。ここでツバサが取るべき行動は、たった一つしか無い。
「じゃ、マリー……またどこかで」
彼女を生贄にして、自分だけ逃げる事だった。
よく考えれば人生で二回しか会ったことのない女を助ける義理なんて無いなという結論に達した。女の子を見捨てることは格好悪いことだと彼は重々承知していたが、キャラバンを涙ぐんで後にした数時間後に性犯罪者として逮捕されるという事態だけは、どうしても避けたかったのだ。
「そんなぁ、見捨てないで下さいよツバサさぁん!」
「……ツバサ?」
冷たい氷のような言葉と視線が、ツバサの耳と背中に突き刺さる。言いようのない威圧感に襲われ、彼は恐る恐る振り返る。
「おい、お前の名前は……ツバサ・ヴィーゼルか」
「そう、だけど」
目と目が合う。今度は変態を見るような目ではなく、確固たる殺意が込められている。
「4年前の魔法大会と武術大会で優勝した?」
「まぁ、そんな事もあったな」
さらに増す威圧感と殺意に、彼は思わず生唾を飲み込む。両手の汗が滝のように流れ、握りしめた下着に染み込むのすら忘れるほどの恐怖を感じていた。
そんなツバサの意思など感情など顧みず、彼女は叫ぶ。この四年間積もらせ続けた恨みを晴らすが如く、声の限り大声で。
「勝負だ、ツバサ・ヴィーゼル!」
「……なんで?」
勿論何のことかわからないツバサは、惚けた顔で首を傾げる事しか出来なかった。