ランクA 黒刀のライチ
今月のノルマはこなした。
猿も捕まった。
つまり、これは単なる憂さ晴らし。
テストを終え、憂鬱になった気分を晴らすための。
『Have a good trip!』
合成音声に旅の無事を祈られながら異世界へ。
……石積みの通路。
ピラミッド的な所だろう。
多分。
降り立った所から道は真っ直ぐに伸び、そして恐らく直角に曲がる。
後ろは壁。
罠とかありそうだな。
気を引き締め行こう。
左手に術を込めてから歩き出す。
幸い敵の気配は無い。
◆
道なりに歩き、階段の様な物を下り、また歩く。
警戒した罠も敵の姿も無い、一本道。
ひたすらに歩く。
そうやって、何度目かの曲がり角。
その先から微かな衣摺れの音を捉える。
壁から顔だけ出して先の様子を探る。
……通路の真ん中に、ケツが有った。
微かに漏れ聞こえる押し殺した様な声と、荒い息。
……そう言うの、物陰でやってくれないですかね……。
突然道を塞ぐ障害物に困り果てる。
隠れて終わるまで待つか?
せわしなく動く男のケツから目をそらし、眉間を抑えながら考える。
いや、ここでじっといつ終わるともわからない営みを待って居るのも馬鹿らしい……。
しかも、隠れて……。
俺、全然悪く無いのに何なの? これ。
覗きみたいな状況じゃん。
神匸で気配を殺し、横をそっと通り抜けるか……。
何だろう。
この屈辱的な状況は。
現実でやれ。
若干、いや、心の奥底から湧き上がる怒りを抑えなが意を決し、壁から身を表す。
バレても無視しよう。
そう思ったのは俺だけで無かったのかもしれない。
俺とほぼ同時に、通路の先に姿を表した豚顔の魔物。
オーク。
そいつが、俺を見て、少しホッとした様な顔をした。そんな気がした。
ともあれ、未だ生命の営みを続ける二人組を挟んで向かい合う俺とオーク。
その距離、50メートル強。
「グルァァァァァ!」
豚が叫ぶ。
俺にケツを向けた男が、そこで初めて魔物に気付き顔を上げる。
「伏せてろ!」
叫びながら走り出す。
豚を倒してそのまま先へ行こう。
そう、目論んで。
なるべく視線を向けない様にして、二人の横をすり抜ける。
左手を豚に向け。
豚も棍棒を振り上げ突撃の構え。
ちょうど、二人の横をすり抜けるときに、下になって居た女が身を捻り俺に向け手を伸ばすのが見えた。
その手が烏墨丸の鞘に触れた様な気がしたけれど俺は豚の駆除を優先する。
「発ッ!」
左手より放たれた術、鳳仙華が豚の鼻先で炎の花を咲かせる。
焦げた様な不快な匂いが鼻腔をくすぐる。
顔面を真っ黒に染め崩れ落ちる豚。
事切れているだろうが念の為。
走る足を止めず、一気に駆け寄りその首を刎ねる。
そう思い、腰に手を回し、そこに烏墨丸がない事に気付く。
「風止まる静寂
溢れる鬼灯
涙は涸れ、怨嗟は廻る
唱、捌 現ノ呪 首凪姫」
左手より引き抜いた蒼三日月で豚に確実にトドメを刺す。
そのまま走り抜けようと考えていた足を止め振り返る。
女が、抜き身の烏墨丸を手に立って居た。
その足元に血だまり。
そして、横たわる男の体と少し離れた所に転がる頭。
……彼女は、襲われて居たのか……?
骸となった男を見下ろして居た女が僅かに顔を上げ、その怨みの篭った目が俺を射抜く。
俺は、小さく首を横に振りながら後ずさり、角を曲がると同時に全力でその場から離脱する。
彼女にかけるべき言葉なんて持ち得なかったし、あの場に留まって居たら刃を向けられて居ただろうから。
猿が叫んだ詩は、この世界へ同類を呼び寄せた。
だが、そんな連中も直ぐに後悔するだろう。
現実で、欲望を抑え暮らしていれば良かったと。
安い下心だけで生き続けられる程、甘い所では無いのだから。
そのまま俺は足を止めずに走り続け、門へとたどり着く。
結果、刀を一つ失う。
それは授業料だと思う事にした。
Aランクだと自惚れた自分自身への戒め。
異世界は、相変わらず厳しい。誰にも。




