邂逅、そして戦い⑤
気絶したままのAを門に放り投げ向こうへ帰還させる。
そして、やおら大相撲異世界場所の幕が開ける。
がっぷり四つに組み合うライデンと実姫。
その様子を座って眺めながら俺は刀を水平にかざし刃を検分する。
金色猫にも蒼三日月にも刃こぼれは無い。
一安心だが、やはりまだまだ使いこなすには程遠い。
鍛錬が必要だな。
隣で瞑想していた風果が大きく息を吐く。
「大丈夫か?」
「はい。少し、力が戻りました。
お兄様こそ、平気ですか?」
風果が俺の左手に目を向ける。
名もわからぬ神を封じた。
荒ぶる神で無ければ大丈夫だと思うが。
入れ墨が一つ残された左手に今の所、変化は無い。
「そろそろ帰ろう」
現実は日が暮れる。
宵の明星が輝き出すころだろう。
空が真っ赤だ。
「お兄様!」
突然の風果の叫び声。
真っ赤なのは空だけでは無かった。
風果も、景色も全てが赤に染まる。
「眼が、封印…………」
風果の叫びは最後まで聞き取る事が出来ず。
襲い来る耳鳴り。
視界がチカチカする。
体の内が焼けるように熱い。
そして悪寒がする。
視界が白に黒にめまぐるしく変わり、左手が肌の内から波打つ様に動く。
体が中から壊される。
左手から自分が塗り替えられていく。
それに抗うのは俺では無く俺の中に納められた禍津日。
例え様の無い苦しみ。
絶え間無く襲い来る痛みと轟音と閃光。
……助けて
突然、その苦しみがスッと……消える。
耳鳴りが止まり、その後に風果の悲鳴が聞こえて来た。
「残忍な選択を厭うな! 言うたであろう!!」
俺のすぐ横で実姫が風果に怒鳴りつける。
振り下ろされた剣鉈。
その先に落ちるのは……腕。
竜鱗の籠手に包まれた俺の左腕。
「うわあぁぁぁぁ!!」
左腕の肘から先が俺の体に付いて居なかった。
それを認識すると同時に襲い来る痛み。
立って居られず膝を折る。
「お兄様ぁ!!」
絶叫に近い風果の声。
わずかに痛みが和らぐ。
一体、何が起きた……?
実姫が俺の左腕だった物を蹴飛ばす。
そして俺の前に壁になる様に立ちはだかる実姫。
その向こうに強い光が生まれる。
一体、何が起きている……?
風果が体を寄せ俺にしがみつく。
「御出座しじゃ」
光が収まり、実姫が半歩ほど横に避け視界を開ける。
その先に居たのは角髪を結った男神。
金色に輝く瞳。
その姿に、俺の思考は怒り、ただそれ一色に染まり行く。
「天津甕星……まつろわぬ神……」
その名が自然と口から漏れる。
風果が息を飲むのがはっきりとわかった。
爪を突き立てる程に風果が俺を掴む。
怒りが禍津日の封印をこじ開け、抑えようとした風果を振り払う。
◆
その先の事は断片的にしか覚えて居ない。
天津甕星を屠る為に禍津日にこの身を明け渡した。例え死ぬことになろうと。
俺の内に在ったのはあの悪神に対する怒りだけだった。
一瞬にして怒りが全身を支配したその理由はわからない。ただ、あの金色に光る神が許せなかった。許す事など出来なかった。
戦いの中で依代となった左腕は奪い返したが、復讐は果たせず、天津甕星は何処かへ逃げ落ちた。
尚も暴れ回る俺の体は、俺を鎮めんとした実姫を文字通りちぎり捨て、ライデンに押さえつけられた。
そして風果が再び禍津日に封をする。俺の中へと。
◆
大の字になった俺に馬乗りになりしゃくり上げる風果。
胸に顔を沈めた彼女の頭をそっと撫でる。
空に星が瞬いて居た。
彼女の泣き声の他に何一つ物音の無い世界。
この場所に居るのは俺と風果の二人だけ。
母親ですら見捨てた忌子と一族の恥部として除け者にされた庶子。
兄妹と言っても形だけ。
世界の中、居場所の無い一人と一人。
一つ屋根の下、二人で暮らせど会話などあろうはずは無く。
そんな関係が変わる切っ掛けとなったあの時もこうやって風果が終わる事なく泣き続けていて、俺は鎖に縛られ身動き一つ取れなかった。
それから少しずつ変わる世界を、変わっていく俺達を一瞬のうちに全て破壊した服わぬ神、天津甕星。つまりさっき取り逃がした神。
いつの間にか風果の泣き声が止んで居た。
「帰ろう」
「……うん」
呼びかけに、目を腫らした風果が顔を上げる。
「兄さん」
妹の呼びかけ。だが、その先は続かなかった。
何と問うて良いかわからないのだろう。
そして、問われても俺は何と返して良いかわからない。
脳裏に浮かんだ記憶。
突如として湧き上がったそれをどう受け止めれば良いのかわからないのだ。
「帰ろう」
しばらく見つめ合い、互いに答えを持ち合わせて居ない事を悟り再びそう声をかける。
「そうですね」
立ち上がる前に、風果が顔を近づけ俺の頬に自分の頬を当てる。
陶器の様にひんやりとした感触が伝わってくる。
立ち上がりゆっくりと歩き出す。
「実にちゃんと謝らないと駄目ですよ」
「ああ」
「亟禱ぐらい習得して下さい。
鍛錬が足りません」
「ああ」
「左手は、痛みませんか?」
「大丈夫」
ポツリポツリとそんなやり取りを交わした後、風果は門の前に立つ。
「ではまた。お達者で」
「ああ。また」
そう言って消える風果を見送り、俺は踵を返し再び砂の世界へ。
やり残した事があった。
ゆっくりと砂上へ浮かぶ船へと。
そこに残されていたのは無数の遺体。
果たして何人ここで犠牲になったのか。
バラバラにされ乱雑に積まれたその有様からは知る事は出来ず。
「地の底 海の底
罪穢れ流る
妣 誘う彼方へ
満ち延びる
唱、玖拾肆 鎮ノ祓 神葬」
この光景を見てその後に猿と対峙していたら冷静では居られなかっただろう。
疲弊しきった体と、すり減った感情が幸いした。
静かに見送る事が出来る。
金色の炎は、静かに全てを燃やして行く。
船の残骸もろとも。
◆
現実に戻り時計を確認する。
もう、すっかり夜。
そして、明日の予定を思い出し憂鬱になる。
今から一夜漬けで試験勉強……無理。
もう赤点を免れればそれで良いや。
そう思いながらスマホを。
────────────────
阿佐川拓馬>おつー
大里優耶>おつ!
阿佐川拓馬>先帰るぞ
大里優耶>待とうかと思ったんだけどハナさんに帰れって言われた
大里優耶>無念
阿佐川拓馬>妹ちゃんに宜しく
大里優耶>今度焼肉行こうず
阿佐川拓馬>おー
────────────────
二人とも帰ったか。
俺だけ大分遅くなったしな。
────────────────
なつみかん>連絡ちょうだい
────────────────
何すかね。
この脅されてる感じ。
ついさっきだな。
電車の中で返そう。
だがその目論見は果たされず。
ビルの一階でハナが待っていた。
無言で人差し指をクイクイとやる。
はいはい。
真っ直ぐ帰れれば車の方が早いのだけれど。
真っ直ぐ帰れれば。
黙って地下の駐車場へ付いていく。
そしてフェアレディの助手席へ。
寝て良いかな。
車はレインボーブリッジを渡りお台場へ。
そして湾岸線を南下。
……一体何処へ拉致されるのか。
無言のまま車は走る。
そして……川崎からアクアラインへ。
……何処いくの?
えっと……我が家はまるっきり反対方向……。
あ!
あれだ。
海ホタル?
ちょっと海風に当たるのに丁度良い。
だが、その海ホタルもあっと言う間に後方へ。
海中トンネルを抜け真っ暗な海上を走る。
何で……俺は千葉に居るのだろう。
「天積の身柄は拘束されたわ。
G Playからこっちに戻って直ぐに」
圏央道へ入り、ハナが初めて口を開く。
「誰にです?」
「この国の警察よ?」
当然だろうと言わんばかりの口振りだが。
「何の罪で?」
「何て言ってたからしら。
不正アクセス禁止法違反? G社に対する」
それは別件逮捕と言う奴か?
「明日には記者発表が行われるそうよ。
件の人物を捕まえた、と」
「それに何の意味があるんですかね」
「小悪党に対する牽制程度にはなるんじゃないかしら」
「そうですか」
再び沈黙。
車は圏央道をひた走る。
新東京国際空港の案内板が見えた。
……え? 海外まで拉致られる?
しかし車はスピードを緩める事なく北上。
茨城県の看板が見えた。
「ライデンから伝言があるわ」
「何と?」
「良い稽古が出来た」
「そうすか」
禍津日に飲まれ暴走する俺は彼に豪快な首投げを食らった様な気がする。
「それで、阿佐川も大里も揃ってお前の妹の事をレポートに書いていたのだけれど?」
……しまった! 口止めしてなかった!
「誰?」
「……妹を名乗る何者か。
こっちでは会った事も見た事もありません」
「だろうな」
「は?」
「お前を示すマーカー。
それと同じ位置にマーカーが移動するのを確認できた。
そのもう一つのマーカーの過去の動きを洗い出した。
そして、そのマーカーの出現、消失に合わせG Playの転移を行なっていた人物に該当者が存在しない事も」
この短時間でそこまで調べたのか。
「その話の結論は何ですか?」
「こことは違う世界から移動している」
……おそらくそうなのだろう。辻褄は合う。
「桜川祈月も同じかしら?」
「誰です? それ」
知らぬ名がハナの口から飛び出した。
ハナが横目で俺を見る。
「……まあ、良いわ。
話を戻す。
その妹、名前は?」
「風果。御楯風果」
「他人よね?
何故妹だと言うの?」
「……血の繋がりは無いですけど、戸籍の上では妹です」
「……何の話?
オマエの戸籍にそんな人物は居ないわよ?」
……ごまかそうとした訳では無い。
そう答える事に何の疑問も抱かなかった。
まるで、それが俺の過去であるかの様に。
「同一性を持った別人。
それに会ったと言うレポートは存在する。
それは良い。
私が気になってるのは、オマエがそれを妹だと言っているということ。
現実と乖離がある。
存在しない妹をどうしてオマエは妹と言い張る?
その御楯風果を。
戸籍の上?
少なくともこの世界の戸籍にそんな名は無いでしょ?」
ハナの疑問ももっともだと思う。
「でも御楯風果は俺の妹です。
そして、俺は彼女の兄です。
……二人で暮らした記憶がある」
「それは、何時、何処の話なのかって事」
存在しない筈の過去の記憶。
多分、彼女にも同じ様な記憶があるのだと思う。
「オマエだけ頭がおかしいと言う事で片付く話では無いじゃない?」
失礼だな。
いつもの事だけれど。
「俺の頭がおかしいかはさておき。
あいつが何者か。
それに説明がつかないのは俺も分かってます。
でも、妹だと、そう思うんですよ。
これは……理屈ではなく」
窓の外、申し訳程度に置かれた街灯の下に薄っすらと田園風景が見える。
そう……あの中で……暮らした暗い記憶……。
これは何なのだろう。
俺の思い込みが作り上げた妄想なのだろうか。
そのまま車は埼玉を走り抜け東京を縦断し神奈川へ。
つまりは圏央道をぐるりと一周。
この人、ただ走りたいだけなのでは?
そのお陰で家についた頃には机に向かおうなどと言う気は起きないのであるが。




