邂逅、そして戦い④
崩壊した結界術の中より現れる……猿。
先程より二回りほど大きく膨れ上がった体躯。
全身に薄っすらと生えた体毛を逆立て、歯をむき出しにして怒りに顔を歪ませる。
真っ赤に充血した目の奥で僅かに金色の光が漏れる。
俺の中の禍津日が完全に顕在化したらあんな感じなのだろうか。
猿が地を蹴る。
実姫目掛け。
顔に醜悪な笑みを浮かべ。
一瞬で左手を振りかざし襲い来る猿を、半身で躱しその真上から剣鉈を叩きつける実姫。
背中から振り下ろされた一撃。
猿は地に叩きつけられたが、すぐさま何事もなかったかのように立ち上がる。
そこへAが盾を構え、突っ込んで行く。
横手から体当たりを食らい吹き飛ぶ猿。しかし、宙で身を捻り四つ足で静かに着地する。
大口を開け、Aに向かい跳躍。
牽制するように馬上槍を突き出すA。
しかし猿は避けること無く馬上槍の穂先を口で咥え込み、その勢いのままAを押し返す。
弾かれ地に転がるA。その上から猿がのしかかる。
頭に齧り付こうと大口を開けた所へ実姫の剣鉈が振るわれ、Aから引き剥がされる猿。
すぐさま体勢を立て直すA。
目まぐるしく変わる攻防。
外からでは追うのがやっと。
加勢に……。
焦れかけた俺に、一瞬実姫が目を向ける。
動くな。
犠牲を厭うな。
そう言うが如く。
「唵」
小さく吠えると同時にその体が膨れ上がり牛頭の姿へ。
「COURAGE」
猿へ飛びかかるAの動きが一段と鋭く。
……信じて待て。
攻めるAと実姫。
二人が作り出す、その隙を奥歯を噛んで待つ。
付いては離れ。
躱し、躱され。
体を入れ替えながら動き回る三人。
猿が振るう手が届かぬその先で、Aが咄嗟に盾を構え、実姫が顔を仰け反らせる。
遠目にはわからないが石飛礫を当てられているのだろう。
だが、二対一。
次第に形勢は俺達の方へと傾き出す。
Aが鋭い飛び込みを見せ、猿の肩口を馬上槍が抉る。
その先に待ち構える実姫。
猿の頭を鷲掴みにし、そのまま地へと叩きつける。
今だ!
即座に左手を伸ばす。
視界の端で、風果の指先も同じ方向へと向くのを捉え合図ないまま術の詠唱へ。
「「葦流れ海より戻る
昼帰り夜となる
祈る声を聞き入れ給え
唱、捌拾玖 鎮ノ祓 神奥寄」」
寸分違わず、二人同時に放つ術。
言霊が重なり、猿の周囲へ強い力が集まる。
太鼓と笛の音が奏でられ、幾重にも鳥居が現れ道を成す。
そして穏やかな光が辺りを包む。
その中で、猿が吠えた。
頭蓋を揺さぶる様な甲高い奇声が空気を震わせ、光をかき消し術を消滅させる。
失敗した!
それに軽いショックを受けながら、次の行動へ。
術を唱えながら、猿に向かい走り出す。
今まで以上の怒り、殺気、そして瘴気が猿から漏れ出る。
再び槍を手にした猿が、獲物を実姫に定め跳躍。
避ける間もなくその穂先は実姫を捉え腹部を軽々と貫く。
だが、実姫が両手で槍を掴みその動きを拘束する。
その頭上へ風果が躍り出て大太刀を振り下ろす。
飛渡足。瞬間移動で跳んだのか。
猿を両断せんと脳天から振り下ろされた一撃。
しかし、その刃は甲高い音を立て猿の脳天に弾かれる。
風果の顔に驚愕が張り付く。
直後、刀が砕けるように消滅。
魔力が、切れたか……?
着地し、棒立ちの風果へ猿の大振りの拳が襲う。
両者の間に、体ごと盾を滑り込ませるA。
構わず振り抜かれた拳は二人をまとめて吹き飛ばした。
「風止まる静寂
溢れる鬼灯
涙は涸れ、怨嗟は廻る
唱、捌 現ノ呪 首凪姫」
蒼三日月で猿の腹を薙ぐ。
その目論見は、甲高い音と共に挫かれる。
硬い。
体皮が石のようになっている。
一歩下がり、猿と向き合いながら周囲に目を向ける。
風果とAは起き上がらない。
実姫も槍を腹に刺したまま片膝を突いている。
「祓濤 蒼三日月」
正念場だ。
実姫の言う通り、数の利があるうちに全力で潰すべきだった。
例え、それが一線を超えることになろうとも。
そんな俺を見透かすように、猿がニヤリと笑う。
そして、余裕を浮かべながら口を開く。
「お前だけ、助けてやろうか?」
何?
何を言っているんだ? コイツは。
「仲間を全員見捨てて無様に逃げてみろ。
そうしたら、助けてやろう」
「断る」
「何でだ? どうせさっき会っただけの関係だろう?」
「そうだとしてもだ」
「その言葉、たっぷりと後悔するんだな」
直後、猿の姿が掻き消える。
地を蹴り、向かう先は……Kの所!?
矛先を変えやがった!
「疾る。偽りの骸で
それは人形。囚われの定め
死する事ない戦いの御子
唱、肆拾捌 現ノ呪 終姫
祓濤 金色猫」
蒼三日月を地に刺し、金色猫を抜き放つ。
身に雷の力を宿し、それを解き放つ。
迅雷と化してKへ迫る猿の背を追いかける。
突然の事態の変化を理解できず棒立ちのKへ襲いかかる猿。
間に合えぇぇぇ!
驚くことに猿は、俺に匹敵する速度で移動している。
必死に腕を、刀を伸ばす。だが、届かない。
何か、他に手は無いのか!?
考えを巡らす俺の目の前で、猿の体が鈍い音と共に動きを止める。
直後、その体が大きく空へと跳ね上げられ、そのまま地に叩きつけられる。
猿の進路に立ちふさがったのは見知らぬ大男。
援軍か!?
その疑問を一旦棚上げし、仰向けのまま微動だにしない猿の元へ。
白目をむく猿。
光速に迫る様な速度で移動し、そのまま衝突の衝撃を全てその身で受けたのだ。
それを成した大男は何者だろう。
横目でちらりと見たその顔は……どこか見覚えが。
いや、詮索は後。
金色猫を地に突き立て大の字で伸びている猿に跨がり、醜く弛緩し切ったその顔面を左手で押さえ付ける。
「この身を尸童 と成し
禍を、依り宿す
太歳 大将 太陰 歳刑
歳殺 黄幡 豹尾
閉じよ 岩戸
光 闇 須らく封ず
唱、玖拾玖 鎮ノ祓 封神」
猿に憑いた神を引き剥がし、自分の左手に封ずる。
一瞬、怒りに似た絶叫が体の内を走りそして脳の上に突き抜けて行く。
終わった。
「助かりました」
立ち上がり、大男へ礼を言う。
「ソイツが勝手にぶつかって来ただけダヨ」
少し、イントネーションの不自然な喋り方で相手の正体に気付く。
元大関、錦丸。
ハワイ出身の大相撲力士。
身長二メートルを超える恵まれた体を活かした取り組みで幕内優勝11回を記録し、何度も綱取りに手を掛けたがその栄誉を手にすることができず三年前に引退。
……確か。
映像で見た最盛期の大関そのままの自信に満ち溢れた強者の顔。
尤も、大銀杏は結って無いけれど。
「レアーのライチです」
「同じく、ライデンだよ」
無礼の無い様に名乗ってから右手を差し出す。
野球のグローブかと思う程の大きな手で握り返される。
世間では表に出てない所属の名に何の反応も示さない所を見ると増援はこの人で間違いないだろう。
増援と言ってももう終わったのだけれど。
「ソイツが、世を憚っていた憎まれっ子ダネ?」
伸びたままの猿を指差す大関。
「そうです。
お陰で後は向こうへ戻すだけです」
「アイツは敵かい?」
大関が見つめる先に、Aを肩に担いだ実姫と風果がこちらに歩いてくる姿。
「あれは、仲間です」
「強そうだネ」
そんな三人より一足早くKが合流する。
興奮を隠さぬまま俺に後ろから飛びつきしがみつく。
「いやったー! 死んだと思った! マジで!!」
よろけて倒れかけた所を大関に支えられる。
「え、あれ? すげぇ! 横綱じゃないすか!?」
俺の背で大はしゃぎのK。
失礼だろ。
そう思ったがライデンはにこやかな笑みで大人の対応を見せる。
「横綱じゃ無いヨ。でも今は横綱ヨリ強いヨ。
かわいがって上げようカ?」
にこやかなのは顔だけだった……。
「まだ後始末が残ってる。
コイツを向こうに送り返さないと」
「わかった!!」
元気に答えるK。
伸びたままの猿をライデンが担ぎ上げ、早足で門へと向かう。
念の為、金色猫を手にその後をついて行くが猿が目を醒ます事は無かった。
そのまま門へと放り投げられ、呆気なくその姿が消滅する。
「K。俺はAを待つから、先に戻って報告してくれ」
「了解!」
猿と同じく伸びたままのAは実姫に担がれこちらに向かっている。
一応、妹を助けてくれた恩がある。
癒やしの術ぐらいかけてやろう。
笑顔で手を上げながらKが消える。
そして、大関と二人、ゆっくりと向かってくる三人を待つ。
「他に強い敵は居るカイ?」
腕組みしながら俺にそう尋ねるライデン。
「いえ。アイツの姿しか見てません」
「そうか。それは残念ダネ」
心底残念そうな顔をするライデン。
まるで子供のようだ。
その子供のような目が、俺を見つめる。
「稽古をつけてもらえるのは有り難い話なんですが、今日はもう」
強敵に対し力を使い果たした上に、他から魔力を奪えていない。
「随分と弱気な侍ダネ。
剣道三倍段って言うダロ?」
俺の手の金色猫を見ながら挑発する。
「横綱の土俵入りには太刀持ちが必要でしょう?」
その挑発を躱し、風果達に向かい手を上げる。
風果が振り返した手には蒼三日月が握られていた。
拾ってきてくれたか。




