トンネルの中で①
「紡がれ途切れる事のない糸の先
常に移ろいゆく色の名
雪に溢れた墨の如く
騒音と騒音が重なる静寂
唱、陸拾肆 鎮ノ祓 絶界」
床の上に腰を下ろす。
神匸の術で気配を遮断し、そして、絶界で何者も侵すことの出来ぬ結界を張って。
地下鉄のホーム。
チカチカと、時折点滅して寿命が近いことを知らせる蛍光灯。
その周りを飛ぶ小さな蛾。
絶界で遮断しているけれど、そうでなくとも音のない世界。
敷設された線路に、地下鉄が走る形跡は無い。
ましてや乗客の姿など、どこにも。
これまた奇妙な世界に飛ばされたな。
駅としか言えない施設の中を見て回ったけれど、外へ続いているかも知れない上り階段は踊り場で鋼鉄のシャッターに遮られ行き止まり。
唯一進めるのが、電車の通るであろうトンネル。
俺は、柱の影に隠れるように座り込んで瞑想する。
先へ進むことに躊躇う理由があったわけでは無い。
ただ、少し考えを整理しよう。
そう思った。
その必要があると、そう考えた。
一つは、ここに飛ぶ直前に聞かされた話。
◆
レアーの隔離部屋でデータベースから統計データを抜き出す。
現状を再確認したかった。
以前調べたときから三ヶ月。
変化などあるわけない。
そう思っていた俺の予想はあっけなく覆された。
直近2ヶ月。
各種数字が乱高下している。
まず、八月に入ってからのべ利用者数と活動時間が激減する。
これは、おそらく蝉の影響だろう。
一時的に減った利用者数はその後、八月の中旬以降回復しそれまでと同じ水準へ戻っている。
そして、八月の下旬。
全体的に生還率が跳ね上がる。
特に顕著なのは、初回利用者の生還率。
八割を越え、九割に届きそうな勢いだ。
何だ? これは。
オフィシャルスクールが出来たなどと言う明るい材料は無かったはずだ。
一体、何をしたのだろう。
今年の八月後半二週間の初回利用者。
半年前、二月後半二週間の初回利用者。
それに絞って各種数字を比較してみる。
利用者数、ほぼ同じ。
生還率、八月のデータが格段に良い。
他に、おかしなところは無いか?
……数字を穴の開くほど見比べる。
……滞在時間。
八月の初回利用者の平均滞在時間が二時間を切っている。
これが意味するものは……。
隔離部屋から出て、レアー内のミーティングスペースでハナと向き合う。
いつもの会議室と違い、窓がある。
新宿の高層ビル群が見えた。
「何か、面白いこと分かったかしら?」
「……八月に、何かありました?
いや、何かしました?
G社は」
「何も」
「ならどうして、生還率が上がった……?」
「アンタはどう思う?
どう感じた?」
八月後半……俺は、風果と会うべくあちこち彷徨っていた。
何か、変化はあったか?
記憶をさぐる。
……無い。
俺に関しては変化は無かった。
では?
ひよっこに限定して変化があった?
活動時間が短い。
それは即ち、門の近くに転移したと言う事。
「難易度が、落ちた?」
初めは簡単な所。
そう言って居たのは夏実。
あの時は、まるっきり嘘だったのだが。
呟く様に捻り出した言葉にハナが小さく頷く。
「そうだろうと言うのが大方の見方ね。
ただ、それを検証できる状況には無い」
……そうか。
結果として簡単な所へと転移して居たとしてもひよっこにはそれを判断するだけの経験も知識も無いのか。
ただ、数字だけが残る。
「しかし、何故?」
「何故だと思う?」
暫く考え、俺は首を横に振る。
「皆目、見当がつかない」
「レオナルドが面白い仮説を立てたわ。
GAIAの戦略だ、と」
「戦略?」
「そう。
生存戦略。
このままだといずれ危険視され、GAIA自体が凍結されるかもしれない。
だから、こうやって生存率を上げて安全性をアピールしているんだろう、と」
ハナが、口元に笑みを浮かべる。
それは同僚のロマンチックな考えを見下しているのか。
それともさもありなんと思って居るのか。
強かで抜け目のない地母神、或いは悪魔。
では、その安全性を知らしめて何とする?
人を呼び込んで何を企てて居る?
「もし、それが正解なら、オフィシャルスクールにとっては悪くない流れですか?」
「そうね。
……アンタの学校、モデルケースにしてみる?」
「は?」
「クラブよ」
「何で、それを……」
まさか、俺に盗聴器が?
思わず全身を叩いて確かめる。
「アンが言ってたのよ」
「ああ、そう言う事ですか」
「大丈夫よ。
アンタ個人にバグは付けてないわ」
ニヤリと笑うハナ。
「じゃ、あの店に?」
笑みを崩さないハナ。否定も肯定も無い。
ショニンの情報は筒抜けな訳か。
2万ドルは安い買い物だったのかもな。
「ウチの学校でクラブは無理ですよ。
顧問が居ないし」
「顧問?」
「あー、監督してくれるティーチャー」
「それが居れば良いの?」
「いや、やりたがらないでしょ。
そんなの」
ただでさえ、部活顧問のブラック労働性が問題になって居るのに生徒のともすれば命を失いかねない活動の顧問などと。
「やりたい人を採用させれば解決よね?」
「え?」
そう来たか!
超力技。
「まさか、ハナさんが?」
「は? 嫌よ。あんな遠い所」
それはそれは心底嫌そうな顔。
おかしいな。同じ東京都なんだけれど。
千代田区も、町田市も。
「俺だって嫌です。
楽しい学生生活を送りたいんで」
「まあ、案としてはありよね」
「他の学校でやって下さいよ。
あ、ほら阿佐川とか」
すまん。A。
お前を売る。
だが、案内人になるなら悪い話じゃないだろう。
多分。
「冗談よ。
まあ、お友達が危険な目に合わない様なアドバイスくらいならしても問題無いわよ」
「……はあ」
結局、この人の手の平で転がされる訳だ。
現実では。
◆
大里君に学校で会ったら部活はちゃんと断ろう。
そして、当たり障りの無いアドバイス。
そう言えば、彼にはどんな力があるのだろう。
いや、そもそもどうして異世界へ?
――部室あれば、放課後にダベったりとかできるっしょ?
蘇る彼の声。
頭を振り、それを振り払う。
それは、多分楽しい時間なのだろう。
ここの話だけでなく、先生の文句や流行りのYouTuber、それから将来の話……。
しかし、それを、そんな空間を作る事が許されるのだろうか。そして、そこに居る自分が想像出来ない。
――そういうとこだよ。
そっすか。
こういうとこか。
音すら通さない静かな所にいると色々と頭に浮かぶ。
あの夏実の見透かした様な窘め方。
前と一緒だ。
……いや、そんな風に言われた事、無いな。
……何かおかしい。
そう。
そうなのだ。
現実でも、時折、設定の中の世界が脳裏に浮かぶ。違和感なく。
GAIAの異変と関係あるのか?
それとも、風果が何かしたのか?
……行こう。
思考は棚上げ。
どうせ結論なんて出やしない。
腰を上げ、烏墨丸を抜く。
線路を歩いて進む。
他に道は無い。
電車が来たらどう逃げようか。
ハナの、いや、レオナルドの仮説が正しければ難易度は下がって居る。
安心、安全なアミューズメント。
それは、本当の物となるのか。
……駄目だな。
集中出来て無い。
幸い、暗いトンネルの中には敵の姿も無いが。
やがて、道の先に明かり。
次の駅だ。
この電気はどこから来て居るのだろう。
ホームに上がり中を調べるが、駅の名を示す物は何もなく。
やはり外へと繋がる階段は鋼鉄のシャッターに遮られる。
これをぶち破って外に出たら何があるのか。
それを調べるのは行き先が無くなってからにしようか。
俺は駅の中に残されたキオスクと思わしき所へ足を踏み入れる。
棚はガラガラ。
商品は残って居ない。
いや。
たった一つ。
床に転がるチョコレートバー。
拾い上げ確認する。
パッケージは英語。
賞味期限の様な物は見当たらない。
「食えるのかね? これ」
取り敢えず荷物袋へ突っ込む。
実姫にやるかな。
チョコなんか食った事無いだろうし。
では、次の駅へ。
改札を勝手に抜ける。
敵の姿は未だに無く。
……あーはいはい。
そう言う感じね。
トンネルの中をフラフラと歩く人影。
言葉にならない呻き声。
亡者。
ゾンビ……だろうな。
まるで映画の様な世界だな。
でも、B級いや、C級映画だな。
ヒロインが居ないのだから。
「風止まる静寂
溢れる鬼灯
涙は涸れ、怨嗟は廻る
唱、捌 現ノ呪 首凪姫」
さてさて。
ロマンチックな出会いはあるのかな。
ヒロインは、武闘派のクール美人よりおしとやかなお嬢様が良い。




