捜索③
「黒猫 添いて歩き
落ちて戻る
思いは血を越え飛び行く
唱、伍拾伍 命ノ祝 赤根点」
風果が術を唱える。
高位の治癒術。
一瞬で全身から痛みと疲れが消える。
動かなかった右手も元通り。
超すげぇ。
「随分と無理をしたんですね。
全身ボロボロで、更に……禁呪まで」
術をかけた風果が、半ば呆れた様に言う。
「まあ、それなりに。
その甲斐はあったけど」
正面の夏実を見上げる。
「風巻さんが心配してる。
帰ろう」
「帰れないから困ってるんでしょ」
そう言って夏実は視線を俺から外し、遠くを見る。
その先には、視界を埋め尽くさんばかりの化け物の群れ。
それは、嘴を持った醜悪な小男であり、髪の長い老婆であり、大小の鬼であり……。
しかし、それは二メートル程先で薄いベールの様な物に遮られ、押し留められている。
時折、その向こうの目がこちらを舐めるように睨む。
「百鬼夜行ですわね」
そう風果が説明をする。
「だったら……」
浮かんだ疑問に風果がゆっくり頷く。
「ええ。私の得意分野ですわ。
でも……術が掻き消されてしまうのです」
「蝉か」
「はい」
闇を祓う退魔師。
俺と力を同じくする風果ならば、妖怪など苦にしないはずだ。
だが、それを阻む蝉の大音量に言魂を掻き消されてしまう相性の悪さもまた同じ、か。
そして、そんな中に於いて俺達の居る半径三メートル程の円形空間だけ敵が居ない。
周囲の音も完全に遮断されている。
絶界。
風果の結界術だろうな。
もう一人の魔法少女は?
俺の視線に気付いた夏実は首を横に振る。
「流石に数が多いわ」
「すいません。私を庇いながら戦ってましたので」
「私が弱いだけよ」
そもそも、何でこの二人は一緒に居るんだろう。
まあ、良いや。
「ですので、無理せず敵が落ち着くのを待とうと言う話でしたの」
「落ち着く?」
「蝉って一週間もすれば死ぬでしょ?」
「いや、一ヶ月生きるって説もあるらしいぞ?」
真実は知らんけど。
「でも、こうしてお兄様も来たことです。
三人なら何とか出来るでしょう。
慎重にやれば、一週間待たずに帰れると思いますよ」
横で風果が嬉しそうな声を上げる。
「冗談じゃない。
すぐ帰る」
「は?」
夏美を見上げながら断言する。
それに対しやや不満げな夏実。
「簡単に言うけど、この数、どうにかなるの?」
「夏実さんの言うとおりです。お兄様。
言魂が発せないのは、お兄様も同じですわよ?」
随分と見くびられたものだな。
溜息一つ吐いて立ち上がる。
「風果、封印を解くぞ」
「……やはり、そう言う事ですか」
「ああ。
お前が居れば問題ないだろ?」
「はい」
彼女は扉の鍵を持っている。
開けても、閉める事が出来るのだ。
「え、ちょ、封印って、この前のアレ?」
夏実が、目を丸くしながら声を上げる。
視線を逸して、小さく頷く。
そう。
この前のアレ。
「……どうして夏実さんが、封印をご存知なのでしょうか?
お兄様?」
ジト目で俺を見上げながら、爪先を潰す風果。
痛ぇ。
「細かいことは後!
やるぞ! 風果、鍵開け!」
「はい!」
「え、ちょ、ま!」
夏実が静止の声を上げる。
「何だよ?」
「何ですの?」
同時に夏実の方へ顔を向ける兄妹。
「え、えっと、や、その……」
顔を赤くしながら夏実が目を逸らす。
そして、黙り込む夏実。
「急いでんだよ!」
「……ぅぅ」
目を伏せたまま口をへの字にする夏実。
「風果頼む」
「はい!」
「駄目ぇ! 私がやる!!」
夏実が叫び声を上げる。
しかし、風果はその静止を聞かず、跪いて俺の右手を取る。
そして、その手の甲へ軽く口付けを。
頭の中で、鍵が外れる音がした。
そして、マガツヒの力が全身へと流れ込む感覚。
「……え?」
間抜けな声を上げた夏美の方を見る。
「外れた」
「え、口づけって……手? ……手で良いの?」
目を丸くする夏実に小さく首肯する。
手と言うか、体なら何処でも良い。
「『手で』とは、どういうことですか? お兄様?」
立ち上がった風果が、俺の爪先をグリグリといたぶる。
痛い。
それ以上に二人の視線が痛い。
「天駆!」
俺は逃げるように空へ。
そして、結界の外へ。
「狩遊緋翔・対!」
群がる悪鬼、そして、蝉を二匹の火龍が喰らい尽くしていく。
さあ、道を開けろ。
帰るんだ。
今度こそ。
◆
百鬼どころでは無い魑魅魍魎を倒し、蝉を千切り捨てる。
そうやって、数を減らし、夏実と風果、そして実姫も戦いの中へ。
曇天に覆われた無人の古い都の様な世界、まるで平安京の様な世界から程なくして門を見つけ出し、辿り着いた。
絶界で覆われた空間の中、夏実が門の前に立つ。
「風巻さんには直ぐ連絡しろ。それとハナも心配してる」
「わかってる。
御盾も! 戻ったら会う! 明日! 約束!
忘れるなよ!?
……忘れても、忘れても会うまで連絡するから!
私は、忘れないから」
「わかったよ」
「明日ね!」
そう念押しして、夏実は戻って行った。
「……教えたのか」
小さく息を吐きながら風果に尋ねる。
「ええ。
彼女も知っておくべきだと思いましたので。
余計なお世話でしたか?」
笑みを浮かべながら妹が答える。
「さあね」
答えた俺の顔に風果が両手を当てる。
「……二人は、同じ所へ戻るのですね」
「ああ」
「ああ、悔しい。
お兄様がお忘れになるのが私であれば、どんなに良いか」
笑みを浮かべながら風果が言う。
忘れる。
禁呪を使った俺が払うべき代償。
大切な人の記憶。最も愛しい人の。
一晩寝て、起きたら俺は誰かの事を忘れている。
だが、その時の俺は忘れたと言う事にすら気づかないだろう。
「そうだとしたら、また君を妹だと気付けるだろうか?」
「私は、貴方を兄だと知っています。
どうして忘れることが出来ましょうか。
この世界で見つけた、私のお兄様を。
そう。
例え、その眼が左であろうが……」
彼女が、少し潤んだ目で俺を見つめ、ゆっくりと顔を近づける。
「太歳 大将 太陰 歳刑
歳殺 黄幡 豹尾
閉じよ 岩戸
光 闇 須らく封ず
唱、玖拾玖 鎮ノ祓 封神」
静かに体の中から、禍津日の力が抜けていく。
「貴方は、御楯頼知なのですのね?」
改めて投げかけられた問いに頷きを返す。
満足そうに微笑みを浮かべる妹、御楯風果。
「そう言えば、夏実さんはとても驚かれてましたけれど、どうやって封印を解いたのでしょうか?」
ジト目で笑みを浮かべながら風果が問う。
踏まれた爪先が痛い。
◆
────────────────
なつみかん>戻った
────────────────
やきりんご>アンコ帰って来た!
やきりんご>ヨッチは大丈夫!?
やきりんご>ありがとう!!
やきりんご>大好き!!
────────────────
メッセージを確認して、胸をなでおろす。
良かった。
さあ、帰ろう。
しかし、ウチの親から全く連絡無いのが逆に怖い。
スマホが震える。
ハナだ。
「はい」
『おかえり。地下に居る。送るわ』
それだけ言って一方的に切れる会話。
助かるは、助かるけれど、まだ何かあるのか?
このまま横浜とかに連れて行かれたらさすがに堪えるなと、内心うんざりしながら地下に下りる。
駐車場のフェアレディの横でハナが立って居た。
俺を見つけ無言で運転席へ乗り込むハナ。
それを追って助手席へ。
シートベルトを締める前にエンジンがかかり、車は動き出す。
ああ、シートの揺れがヤバイな。
睡魔が襲い来る。
「何処行くんですか?」
「町田。アンの所よ」
「え?」
「用があるの。
アンタはついでに送るだけ」
「ああ、あざす」
そう言う事か。
小言の一つでも言いに行くのだろうか。
「桜川祈月、団体戦の決勝に残ったわよ」
「……そうですか」
それは良かった。
なら、明日はそれを見るかな。
それにしても疲れたな……。
「起きろ」
気がつくと車は家の前。
「あれ?」
「その気があるなら、明後日でも、明々後日でも良い。レポートを上げに来い。
……アンの事は、私からも礼を言う」
「大事な部下を失わなくてすんでですか?」
「大事な友達だ」
軽く口を衝いた嫌味にハナが真顔で返す。
「……それくらい、俺の事も心配して下さいよ」
「そんな必要、無いだろう?」
皮肉めいた顔でニヤリと笑うハナ。
「これでも、それなりにヤバイ橋を渡ってる自覚はあるんですけどね」
「落ちなければ大丈夫。
だから、落ちるな。
お前を助けに行ける様な奴はいないだろうから」
「……気をつけます」
それはアドバイスなのか、なんなのか。
ヤンデレの妹なら来そうだなと少し思う。
そう言えばアイツ、『この世界』って言ってたな。
なんか知ってんだろうか。
「ありがとうございました」
礼を言ってフェアレディから降りる。
その後、もう一度家で泥の様に寝た。