残された合図⑥
旧姓、神楽風果。
先代、御天当主の妾の子。
父である先代当主死後、程なくして母親も急逝。
その息子である当代御天当主は、自分の娘よりも年の離れた腹違いの妹の後見人となったが、やがて、養子として御楯家に引き取られた。
俺と同い年の、血の繋がらない妹。
天才などと言う言葉ではお釣りが来るほどの才能を疎まれたか。
それとも、当代に俺の監視役を命ぜられたか。
或いは、その両方か。
ともあれ、彼女は俺の妹な訳である。
「御楯風果。俺の妹。
リコ。クラスメイト」
そんな込み入った事情を夏実に説明してもしょうがないので簡単な紹介に留める。
「風果です。兄がお世話になっております」
「あ、こちらこそ」
恭しく頭を下げる妹。
面食らった顔のリコ。
「実姫。式」
風果が、眉を上げ俺の方を見る。
「まあ、可愛らしい。
ですが、牛頭を使役ですか?」
「ん、まあ」
「御剣が何と言うか……」
「バレなきゃ問題無い」
「だと良いのですが……。
そうだ。これを差し上げますわ」
「何じゃこれは?」
風果はしゃがんで何か小さな物を手に乗せ実姫に見せる。
「飴ですわ」
「飴?」
どこで手に入れたのか、ビニールに包まれたその包装を外し、そっと実姫の口に押し込む。
「……おお!」
恐る恐る。
そう言った顔から一瞬で笑顔に変わった実姫の頭をそっと撫でる風果。
……簡単に餌付けされやがって。
と言うか、あんまり餌を与えられると主である俺が困るとか思わないのか?
まあ、良いや。
「さて、そろそろ帰る」
札を置いた人物はわかった。
これ以上ここに留まる理由は無い。
「まだ良いでは無いですか」
小首を傾げこちらを見る風果。
それに首を横に振って答える。
「……仕方ありませんわね。
でも、その前に……」
風果が俺の頬を挟む様に両手を当て、そして自分の顔を近づける。
……さり気なく、その足が俺の爪先を踏んでいるのだけれど。
「太歳 大将 太陰 歳刑
歳殺 黄幡 豹尾
閉じよ 岩戸
光 闇 須らく封ず
唱、玖拾玖 鎮ノ祓 封神」
体の中を……スッと風が通り抜けた感じがした。
そんな俺の様子を間近で観察するように、じっと左の目を覗き込んで居た彼女が、小さく首を傾げた。
「封印が大分緩んでましたけれど、何か有りました?」
「……瘴気に当てられたからだろう」
「それだけでしょうか?
どなたか開けませんでしたか?」
俺の顔を抑えたまま探る様な視線を向ける風果。
「そんな真似する訳ないだろ」
その両手を掴んで離し拘束から逃れる。
やはり、緩んでたのか。
マガツヒの器とされた俺。
その封印の番人である風果。
目の前の彼女の奥底にあるのは、恐らく憎悪。
亡き父、亡き母、異母兄、そして義兄への。
今はただ、グリグリと潰す様に痛ぶられる俺の爪先がその憎悪を一手に引き受ける。
……痛ぇ。
◆
溜池山王の専用ルーム。
戻って来た。
……色々あったな。
全部、そう全部。
目論見を悉く外していた。
向こうで夏実に会った事だけを簡単にレポートにして提出する。
夏実はもう戻っただろうか。
そもそも、ここから飛んだのだろうか。
部屋から出ると、廊下でハナが待ち構えて居た。
「おかえりなさい」
微かに口角を上げながら言う。
「何で夏実だったんですか?」
「サプライズよ」
「全然、嬉しく無いす」
「そう?」
ハナは腕組みしながら意外そうな顔をする。
「彼女も、調査員に?」
「形式上はインターン。
レアーの詳細は伝えて無いわ」
「騙してる?」
「誰かさんが機密を漏らす様な事をするからこう言う形を取らざるを得なかった訳よ」
「そうか。俺の所為か」
巻き込んでしまったか。
レアーとしては、そうやって近しい人物を取り込む事で裏切れない様にする、そう言う思惑もあるのだろう。
少し、我儘に振る舞い過ぎたかもしれないな。
「今度、二人をG社の食堂に招待するわ」
「目一杯、おしゃれしときます」
俺の答えに、ハナは鼻で笑う。
そして、スマホの画面に目を落とす。
「ガールフレンドのご帰還よ」
「ガールフレンドじゃ無いす」
「お迎えに行くわ。
……一緒に帰るつもりなら下で待ってなさい」
そう言ってハナは俺に背を向け歩き出す。
「ハナさん。
GAIAって、一体なんなのですか?」
俺の問いかけに、首だけこちらに向けたハナが静かに答える。
「そんな事、行ったことの無い私がわかる訳無いでしょ?」
◆
解放されたら連絡くれとLINEを送り、ビルの前で待つ。
夕暮れの都心は一日中溜め込んだ熱を放出するアスファルトで茹だるような暑さのまま。
だが、そんな熱気の中で俺はどこか薄ら寒さを感じていた。
あの場所はなんなのか。
世界と世界の間?
考えたところで、答えは無く。
スマホが震える。
夏実だ。
「はい」
『御楯? 今、レポート出し終わったけど?』
「そうか。おかえり」
『うん。ただいま……あ、ちょっと待って…………ハナさんが車で送ってくれるって言ってるけど』
「そうか。俺、ちょっと寄りたい所があるから電車で帰る」
『そうなの?』
「うん。じゃまた今度」
『うん。また』
「今日は、ありがとう」
そこで通話が切れた。
最後の言葉は伝わったかどうか。
風の無い、湿気と熱気のまとわりつく街を歩き出す。
本当は寄る所など無いのだけれど、少し一人で考える時間が欲しかった。
突如として現れた妹。
それは、俺のノートの設定、そのままに見えた。
だからこそわからない。
一体彼女はどこから来たのか。
御楯風果なんて、現実には存在しないのだから。