残された合図④
俺は上半身を起こし、左手を向けそして、絶句。
本当に予想外の事が起きると言葉を発する事すら困難になる。
その事を、思い知らされた。
こちらを見て、少し訝しげな顔をしながら小さく手を上げる夏実。
「敵では無いようじゃの」
実姫が嬉しそうに呟いた。
「……そうだな」
辛うじてそう答えた俺の顔は、どれほど引き攣っていただろうか。
若干不機嫌そうな顔をしながら夏実がこちらに歩いて来る。
白い狐の姿をした首巻き、白い豹柄の外套に、紫ががった鱗の鎧。
……ショニンからの荷物は無事に届いたか。
「……何で?」
絞り出す様に言った俺に夏実は憮然とした表情をする。
「……何か、超絶ピンチって言われて来たんだけど?」
「……誰……に?」
「ハナ・ウィラードさん」
あのアマ!
俺は右手で眉間を抑える。
――おそらく後から向かう人物は顔見知りになるだろう。
確かに顔見知りだよ!
だからって!
夏実を寄越すかよ!?
「何か、不満そうね」
完全に想定外!
今日は厄日か!?
「ピンチになんかなって無くて、お前のお陰でひとつの実験も成功した。
あそこの門から戻って、それを直ぐにハナに報告してくれ」
「何よそれ。
御楯はどうするの?」
「俺はまだやる事がある」
「じゃ、私も適当に遊んで帰る」
「いや、直ぐ帰れよ」
「何でよ!」
……俺が、来るからだよ!
「帰れ! 危険だ!」
「嫌!」
「……勝手にしろ!」
「そうするわよ。
因みに、この子、何?」
夏実は、砂の上に寝転ぶ実姫の方へ視線を向ける。
「俺の……式神」
夏実から汚物を見る様な視線を向けられる。
ああ、はいはい。
向こうなら事案だとか言われるんでしょうよ。
ただ、妹と言っても可笑しくないとは思うがな!
「あれで、相当強いからな?」
「ふーん」
クソ!
何でこんな言い逃れを!?
向こうに戻ったら思いっきりハナに文句を言う。絶対!
「あれは?」
砂の上に横たわる小山へ視線を向ける。
「タコ。二人で倒した」
「他に敵は居ないのね?」
「ん、ああ」
「わかった。
行くよ。白雪」
「キュ」
夏実の声に、首巻きが顔を上げひと鳴き。
あれ、生きてたのか。
白狐の白雪、ね。
俺はその場に座り込む。
「ほっておいて良いのか?」
「大丈夫だろ……」
この場は離れたく無い。
蛸の方へ行ったが一体何をしに行ったのか。
死体を確かめに行ったのか?
ハナと言い、実姫と言い、夏実と言い、どうして皆で俺のペースを乱すのだ?
とは言え、出来ることはただ待つこと。
三時間。
左腕の布が消えても尚、何も起きなければ大人しく帰ろう。
そう、気を取り直した所へ、イレギュラー要素である夏実が戻ってくる。
チラリと横目で見ると、自分の腕より太い蛸の触手を一本担ぎ、ネットバッグの様な物をぶら下げている。
俺から五メートル程離れた所に腰を下ろす夏実。
「お前さぁ」
転移ポイントを眺めながら、夏実に声を掛ける。
「お前って呼び方、止めてくれる?」
鋭い口調で返され、驚いて夏実の方を見る。
砂の上に荷物を置き、不機嫌そうな顔で俺を睨んでいた。
「……さーせん」
では、何て呼べば。良いのだろう。
視線を転移地点に戻しながら考える。
夏美……いや、呼び捨てにするような仲では無いか?
夏美さん……余所余所しい。
アンコ……ヴァ……殺される。
「なつみ……さん」
で、結局こうなった。
「リコ」
「……ん?」
「リ、コ。こっちでそう名乗れって言ったの御楯じゃん」
「ああ、そうか。リコ。うん」
そっちの方が呼びやすい。
……が。
「リコって、LIKO?」
「RICO。アプリコットだから。
何で?」
「いや、頭文字で呼ぶ奇特な奴が居たから、なんとなく。
Lだと被るなと思って」
「ふーん」
何故かジト目のリコ。
「で?
何か言いかけたよね?」
「あー、そうそう。
ハナに、戻ったらレポート出すように言われた?」
「言われた」
「なら、この先起きることはそれに書くな」
「は? 何で? と言うか何か起きるの?」
「多分」
「ふーん」
「頼む。
で、そっちは何が始まるんだ?」
砂の上に並べられた道具。
ショニンの初心者セットか?
「料理」
そう言って、リコは組み上げた木材に火を付ける。
あの蛸の触手を?
ネットバッグの中身は……魚か?
腹壊すなよ。
そう言いかけ、それはあまりにデリカシーが無いなと自制し止める。
視線を再び転移札の方へ。
しかし、そちらは一切変化が無く。
他方、目を逸した方向からは、ジュウジュウと何かを焼く音。
そして、香ばしい匂い……。
「二人も来なよ―」
夏実の誘い。
「要らん」
振り返らずに答える。
グー……と、腹が鳴る。
俺のでは……無い。
横で実姫が顔を真赤にしてお腹を抑えている。
「……行って来い」
「……主は?」
「俺はここで見張ってる」
「相分かった」
そう言うと、弾かれたように飛んでいく実姫。
脳筋同士、仲良くやってくれ。