残された合図③
「大体終わったな」
無数の刀傷で切り刻まれ、巨大な置物と化した大蛸を見上げる実姫の背に声を掛ける。
周囲から敵の気配は消えた。
左腕にはまだ白縛布があるが、これが消えるまであと十分かそこらだろう。
ひとまず、俺のいた現実からの転移追試は行えそうだ。
散らばった魚の死骸はいずれ砂の中へと沈んで行くだろう。
後は、転移札の封印を解いて送られてくるAを待つだけ。
こちらに来たAを速やかに拘束。
ただ、そのタイミングがわからない。
ひょっとしたら解除して、一時間待つかもしれない。
その間、新たな敵が襲ってくる可能性もあるのか。
「このまま、暫く護衛を……」
そう言いかけ、威圧感溢れる牛頭の巨体に言葉に詰まる。
刃物を担いだ化物。
俺だったら出会い頭に攻撃に移る。
Aはどうだろう。
仮にもランクB。
速やかに排除に動くだろうな。
……そもそも、Aは実姫に一回KOされてるではないか。
ひょっとしたら、敵としてインプットされているかもしれない。
「その格好は、不味いかもなぁ」
こちらに睨むような顔を向ける実姫。
とは言え、警護の為には側に置いておきたい。
神亡で気配を遮断できるか?
それでも漏れ出そうな威圧感と殺気……。
砂の中に潜っていてもらうか。
いや、流石にそんな真似をして魚の大群が襲ってきたらひとたまりも無いだろう。
やはり一度召喚を解除するしか無いか。
顎に手を当て考える。
「どうした?」
「……え?」
思わず、間抜けな声が出た。
牛が、喋った。
「どうしたと聞いている」
「え、喋れたの?」
「当然じゃ」
野太い声で静かに返答する実姫。
だって、お前、今までヴモォとしか言わなかったじゃん。
「……その姿は目立つから、一度戻すぞ」
「何じゃ、そんなことか」
鼻を一度鳴らし、そして実姫は左手を顔の前で人差し指と中指を立てる。
「唵」
そう、短く発すると同時に実姫の足元から黒い霧が湧き上がりあっという間にその全身を黒一色に染める。
そして、その体躯が見る見ると小さくなっていき……。
「どうじゃ?」
現れたのは、身長120センチ程の女の子。
日本人形の様なおかっぱ頭で黒い着物を身にまとっている。
生前の姿を模したのか。
ただ一目見て、明らかに人でないとわかる。
何故ならば額から二本の角が上に向け伸びているから。
とは言え、殺気の篭る威圧感は身を顰め、サイズも問題ない。
最悪俺の背後に隠れられそうだ。
「刀は?」
俺が尋ねると再び実姫は片手で印を結ぶ。
「唵」
発すると同時に剣鉈が彼女の前に出現する。
牛の姿で使っていたもの。
彼女自身の身の丈より長い。
「……そんなの振れるのかよ」
「その身で試すと良い」
そう答えると同時に実姫から殺気が爆発する。
直後、雷撃の様な速度で躊躇なく振り抜かれる剣鉈。
それが俺の脇腹に食い込む直前に、かろうじて烏墨丸を間に差し込み受け止める。
甲高い金属音。
実姫は、構わずその勢いのままに剣鉈を振り抜く。
牛頭の巨体と変わらぬ程の膂力に俺が吹き飛ばされる。
砂の上に片膝を突いた俺を、少女が勝ち誇った顔で見下ろす。
「……子供を泣かす趣味は無いんだけどな」
そう言いながら立ち上がり、実姫に剣を向ける。
どちらが主人なのか思い知らせてやらないと。
二合、三合と剣を合わせ距離を置く。
そんな事を何度となく繰り返す。
異様に強い。
巨体の時と遜色ない力に、小回りの効く小柄な体。
気を抜いたら殺されかねない。そんな殺気。
「ストップ!」
俺は、再度突っ込みの構えを見せた実姫に対して、棒立ちになり大声を上げる。
臆したのでは無い。
時間だ。
左手に巻いていた布がサラサラと崩壊を始める。
「終いじゃ!」
飛び込んできた実姫の剣鉈が眼前に。
それを躱し、実姫の背後へと回り込む。
そして、その首に烏墨丸の刃先を押し当てる。
「終わりだって言ってるだろ」
微かに左目の視界が赤い。
実姫の殺気に当てられ禍津日の力が漏れ出したか?
「ならそう言え」
振り返り睨むように見上げる実姫。
生意気な。
殺すか?
言うことを聞かぬならば、殺し。
そうして、後悔させる。
それが糧に……。
……こんな小娘相手に何を……ムキになっているんだ。俺は。
頭を振る。
「ストップって言っただろ。聞いとけよ」
実姫から目を逸しながら剣を収める。
視界がスッと元に戻る。
この前の瘴気の所為で封印が緩んだのだろうか。
まだ実姫は不貞腐れた様な顔を俺に向けていた。
「遊び足りないならまた今度遊んでやるよ」
しかし、その顔は変わらず。
「何だよ?」
「……わからん」
「は?」
「すとっぷなどと言われてもわからんと言っておるのじゃ!」
顔を真っ赤にしながら怒鳴る実姫。
……そうか。中世の人柱の御霊。
横文字など通用するはずもないか。
「すまなかった。次から気をつける」
「それで良いのじゃ」
……上から目線なのは生まれつきなのかね。
俺は再び術で布を作り出し左手に巻く。
ここから更に三時間。
時間は知っておきたい。
「何かするのかえ?」
「ああ。これから人を呼ぶ。
場合によっては戦いになるかも知れないが、俺が無力化する。
実姫は周りを警戒しててくれ」
「ふむ」
偉そうに腕組みして頷く実姫。
「我が身に封ず
呪よ印と成れ
剣立て重石と成す
深く、高く
羽音 舞うは白羽根
唱、弐拾肆 鎮ノ祓 封尖柱」
拘束の為の封印術。
呼び声によって現れる黒い尖塔は、さながら墓標。
その中へ敵を封じ込め、内外の干渉を全て断ち切る。
それを、左手に込める。
中指の爪に黒い筋がスッと一筋。
Aが現れたらこれで動きを止める。
これで良いかな。
荷物の中から御織札を取り出し、足で軽く砂を掘る。
そして、そこへ札を置き砂をかける。
少し離れたところで退屈そうに座る実姫を一度振り返る。
「唱、拾玖 鎮ノ祓 六合封緘・壊」
砂の上に手を置きながら唱え、自ら施した封印式を破壊する。
「唱、漆拾弐 鼓ノ禊 神匸」
急ぎ実姫の所まで戻り気配を隠しつつ、砂の上で横になる。
姿を隠せる様な所は無いが、立って待つよりマシだろう。
背後に門。
何かあれば直ぐに逃げられる。
「何が起きるのじゃ」
「黙って待ってろ」
横に寝転んだ実姫が頬を膨らませる。
子供の姿になった途端に五月蝿い。
これなら牛の方が良かったな。
面倒だから今後は呼ぶのを控えよう。
そう思いながら砂の上でじっと待つ。
敵の気配は無い。
静かに、何の前触れも無く札を埋めた地面が微かに光を放つ。
そして、スッと浮き出て来る様に空間に歪みが現れる。
色が、存在が変化し、それは人になった。