初夏⑧
三人の後を追って門へ。
目的の物は、森を抜けた先の赤茶けた荒野、その中心に鎮座して居た。
「あれが、門。
触れれば帰れる」
気配を隠し、木の陰に身を潜めながら夏実に説明。
「上に浮いてるのは?」
「竜人って奴だろう」
全身を深緑の鱗に覆われた人型の蜥蜴。
その背には蝙蝠の如く翼があり、頭には黒い角。
それが腕組みをして悠然と待ち構えて居る。
「あの人達、勝てるかな。
あ、御楯が一緒に戦えば……」
「にわかの連携なんて逆に足手まといになるだけだ。
奴らはランクAらしいからそれを信じよう」
「ランクって……国際ナントカ協会って所の?」
「国際異界協会。通称IDO」
「すごいの?」
「一万のうち五百に入る」
「御楯は?」
「B」
「すごいじゃん。……凄いんだよね?」
「凄いよ」
「……自分で言っちゃうとイマイチだな。
でもあの人達は御楯より強いのか」
「そういう事」
彼らは竜人に向かい悠然と荒野を歩いている。
先頭に大男。
手に大きなグレイブを持っている。
一歩下がって、左右に弓を持つ男。もう一人は何も持っていない。
徒手か俺と同じく術の類を使うか。
……後者だな。
ここから二百メールほど先でその徒手の男が止まる。
残りの二人は悠然と間合いを詰めていく。
竜人まで三百メートルほど。
竜人も悠然として動かず。
残り二百。
弓使いが横にそれ、間合いを図る。
残り……百五十。
術使いが動く。
火炎の竜巻が発生し、門ごと竜人を飲み込む。
それと同時にグレイブを持った男が走り出す。
弓使いが矢を番える。
炎を切り裂き、竜人が現れる。
滑空して走る男へと突っ込んでいく。
振り下ろされるグレイブがそれを迎え入れる。
タイミングは、ドンピシャリだった。
だが、その刃は竜人の表皮に阻まれたのだろう。
グレイブが跳ね返され、振るわれた尻尾の一撃で大男の頭は呆気なく潰された。
失敗。
それを悟った二人はすぐに逃げの構えを見せた判断の速さは流石だろう。
しかしそれは竜人の前には何の意味も持たなかった。
弓使いは頭を足で鷲掴みにされ、宙へ持ち上げられた。
空中で一瞬抵抗を試みるが、直ぐにその体はだらしなく弛緩した。
再び地に落とされる前に既に事切れてただろう。
術使いは頭を鷲掴みにされそのまま頭蓋の半分を一噛みで食いちぎられた。
三人の死体は一処に集められ、竜人の食事の時間が始まる。
肉を裂き、骨を噛み砕く音が荒野に響く。
どう戦うか。
それを考えながらその様子を具に観察していた俺は、横に居る夏実の存在をすっかり失念していた。
鼻を啜る音で我に返る。
夏実が口を抑え、震えながら涙を流していた。
……しまった。
あんな光景目の当たりにしたら、誰だってこうなる。
一度退こう。
敵の強さは分かった。
どう戦うかは、後で考える。
動けるだろうか?
問いかける様に夏実に目を向けるが彼女は両手できつく口を抑え首を左右に振る。
……落ち着くまでここに留まるか?
……いや……無理だ。
耳を塞ぎたくなる様な音が響いて居る。
ならばどうする?
抱えて逃げるか?
途中で気付かれれば二人共危うい。
俺一人ならばどうにか……なるかな。
「夏実」
俺は意識してゆっくりと彼女へ語りかける。
「俺が奴の注意を引き付ける。
その隙に逃げて、ショニンの所へ行け」
彼女が涙を溜めた目で俺を見て、そして、首を横に振る。
「お前さ、すっぴんの方が可愛いぞ」
そう笑いかける。
こんな軽口にどれだけ効果があるかわからないけれど。
竜人に目を戻し、そして術を紡ぐ。
「分かつ者
断絶の境界
三位の現身はやがて微笑む
唱、拾参 現ノ呪 水鏡」
右手から現れる流体の盾。
「朧兎。
彼女を守ってくれ」
祈る様に、そう声をかける。
そして、振り返らずに素早く足を運びその場を離れる。
出来れば反対へ回り込みたいが、そこまで甘く無いだろう。
「風止まる静寂
溢れる鬼灯
涙は涸れ、怨嗟は廻る
唱、捌 現ノ呪 首凪姫」
三刀の内で、一番切れ味の鋭い蒼三日月を手に食事を楽しむ竜人へと歩みを進める。
足音か、それとも気配か。
俺に気付き食事を中断し、こちらを睨み付ける竜人。
「忘却に風は歌う
待つ影
一つ、二つ
唱、弐拾陸 壊ノ祓 雨百景」
竜人の頭上へ幾千もの光る矢が現れ、それが雨の如く降り注ぐ。
その中で悠然と佇む竜人。
術が効かないのは承知の上。
注意をこちらに向けられればそれで良い。
それでも広げた翼の皮膜に幾つもの穴を穿つ。
しかし、そんな事に構いもせずこちらに向け、滑空。
下がりながらそれを迎え撃つ。
振り下ろされた爪を躱しながら刀を振り下ろす。
肩口から胴まで袈裟斬りに。
そう目論んだ一撃は、その半ば程も目的を達せられずに止まる。
だが、行ける。
竜人が刀から逃れようと身を捻る。
術を。
奴の意識を刀から逸らし隙を作れば……。
刹那、俺の脇腹に丸太の様な奴の尻尾が食い込んだ。
完全に不意を突かれた強力な力に弾かれ、宙を舞い受け身すら取れずに叩きつけられる。
「……ッ……ハッ……ハッ……ァ……」
尻尾の一撃で肋骨を折られた……か?
……息が、呼吸が出来ない。
声が出せない。
術が紡げない。
悠然と近寄る竜人が見えた。
地に転がる俺の上で、大口を開ける竜人。
そこへ咄嗟に刀を突き出す。
直後、脇腹から激痛。
力の籠らない刀はあっさりと避けられた。
何を思ったか竜人は俺の足首を掴み飛び上がる。
逆さ吊りにされ、視界から地面が遠ざかって行く。
なんとか刀を振り回して抵抗するが、何の役にも立たず。
そして竜人は俺の足首を掴んだまま空中で、二度三度と回転し、勢いをつけ俺を叩きつける様に放り投げる。
最早、それに逆らうだけの余力は残っておらず。
走馬灯なんて、ありゃ嘘だな。
大地にぶつかりペシャンコになるまでの数刻でそんな事しか思い浮かばなかった。
そして、訪れた死の衝撃は思った程では無かった。
……いや……ふわりと優しく何かに包み込まれた。
「御楯!」
夏実の叫び声。顔を向けると彼女の顔が歪んで見えた。
これは……。
「朧……兎か」
まるで救助幕の様に薄く広がり俺を受け止める水の盾。
こんな芸当が出来たのか。
「平気!?」
魔法少女が覆いかぶさる様に俺の顔を覗き込む。
「……生きてる」
息は戻った。
「幻の王
響く声、笑う声
未だ夢から醒めず
全て暗闇の中に
唱、伍 命ノ祝 卑弥垂」
脇腹に手を当て傷を癒す。
「逃げよ!」
夏実の肩越しに俺達を見下ろす竜人。
どう足掻いても、逃してもらえそうには無いだろう。
「もうひと頑張りだな」
夏実を退ける為に両肩に手をかける。
「勝てないよ」
知ってる。
「それとも何か奥の手でもあるの?」
夏実が叫ぶ様に問う。
……奥の手……か。
ここで、お前を餌にして逃げるってのが選択肢として一番生存率が高いんだよ。
そんな事、本末転倒で検討にすら値しないのだけれど。
考えろ。
俺の力は、俺が一番知っている。
目の前のクラスメイトを生かして帰す。
その為の力を、戦い方を。
「……ある。
けどまあ、そんなの使わなくても勝てるな」
「何で? 使えば良いじゃん」
「使えないから奥の手なんだよ。
封印を解く鍵が必要だ」
空で竜人が動きを止める。
どうしたのだろう?
「鍵って何よ!?」
……一度、夏実に視線を向け、再び竜人を見ながら答える。
「……口付け」
「……ふざけんな」
いや、俺も可笑しいと思う。
俺の体にマガツヒを封じた御天先代は何を考えこんな開封方法を残したのか。
問い詰めたいが、この世には居ない。
更に蓋をしていた記憶からヨークのうっとりとした顔が蘇る。
「そんなの使わなくてもお前一人ぐらいなら逃がせるから」
鼓 玖拾漆 流転
自らの命を捨て尚戦い抜く術。その血が枯れようとも敵を滅するまで躰は止まらず。
マガツヒがこじ開けた体術の扉。
これならば、夏実一人ぐらい逃せる筈だ。
最悪、俺の命と引き換えに。
まあ、おいそれと死ぬつもりは無いが。
空では竜人がしきりに頭を振っている。
少し様子がおかしい。
……いっそ、夏実はショニンの所で無く門の方へ走らせるべきか?
そうすれば、その後竜人との戦いの隙を突き俺一人くらいなら逃げ出せるだろうか?
考える俺の視界を、突然夏実の顔が覆う。
何を……
柔らかな何かが、そっと唇に触れる。
「……どう?」
ゆっくりと顔を離した夏実が一言。
少し頬を紅潮させながら。
「……最高」
そう答えると同時に、左眼の奥から力が溢れ出るのを感じる。
玖拾玖 鎮ノ祓 封神・開。
悪神が現出せぬ様に鎖し固められた封印が一時的に緩む。
禍津日のその力を我が物に。
「御楯……目が……」
「直ぐに終わらせる」
そう夏実に笑いかける。
そっと彼女を押し避け、竜人を仰ぎ見ながら立ち上がる。
「来い。双式姫」
左手に陽光一文字。
右手に蒼三日月。
鬼神と首狩り。
その二刀が、竜人を切り刻み首を落とせと俺に囀る。
「天駆」
地を蹴り、そして、宙を蹴る。
空から俺を見下ろす竜人の元へと。
「赤千鳥」
詠唱など不要。それほどまでに強力なマガツヒの力。
朱に輝く鳥の群れが竜人へ一直線へ向かい行く。
そして俺もそれに続く。
術が竜人の鱗を切り刻んで行く。
そして、すくい上げる様に振るった蒼三日月が腹から深い傷を刻む。
そのまま竜人の上へ。
陽光一文字を一閃。
背に生えた羽を切り落とす。
「鳳仙華」
その背に爆破の衝撃。
竜人を地に叩きつける。
土煙の中、それでも竜人は動きを止めず。
直ぐに地を蹴り、動き出す。
その先には夏実。
させるかよ。
「縛鎖連綿」
地から生えた鎖が竜人の四肢へと絡みつきその動きを完全に拘束する。
「逆氷柱」
縛り付けられた竜人の、その腹に氷の錐で大穴を穿つ。
堪らず竜人が絶叫。
その背目掛け、重力へ身を任せ飛び降り二刀を心臓に突き立てる。
「死ね」
足の下の竜人へ吐き捨てるが既に事切れて居るだろう。
顔を上げる。
夏実の不安そうな顔にサムズアップを送る。
「御楯!」
笑顔を見せ飛び込んで来た彼女を全身で受け止める。
◆
荒野を歩き、門へと向かう。
勝利の余韻と別れの寂しさを感じながら。
「えっと、クラスでは内緒で」
「そうなの?」
「ちょっと訳ありだから」
「りょ」
守秘義務とか、色々突っ込まれるとヤバいし上手くあしらう自信も無い。
「彼氏、残念だったな。
友達の。
……まだ探すの?」
「そのつもり。
放ってはおけないから」
「そうか」
「自分の力はわかった。
御楯みたいに無理はしないよ」
「じゃ、その刀、やるよ」
預けたままの爪刀、狐白雪。
「良いの?」
「うん。
でも本当に無理すんなよ。
周りは敵ばかりで、命は一つなんだから」
「お前が言うな」
夏実が笑顔を見せる。
「ありがとね。
また明日」
「ああ」
手を振る夏実。
それに手を上げ返す。
そして夏実は門へと触れ、消えて行った。
また……か。
振り返ると、我先にと門へと走り寄る男達。
その先に、竜人の死体を検分するショニンの姿。
「お疲れ」
近づく俺に顔を上げ、ニヤリとしながら声を掛けるショニン。
「流石はランクB、活動最小限の男」
「その名前、気に入ってないんだよ」
「そうか。じゃ、僕が新しいのを提言しておこう。
『ラァヴ・ハンター』とかどうかな?」
巻き舌気味提案されたそれを首を振って拒否。
「じゃ、『白雪姫』は?」
「意味わからん」
「熱いキッスで目覚めるなんて、ロマンチックじゃないか」
「別のにしてくれ。
大体、俺が無理しなくても何とかなったんじゃないか?
ランクS」
巫山戯るショニンを睨みつける。
「おいおい。僕は『道具屋』だぜ?」
ランクS、ショニン。
それが目の前でニヤケ笑いを浮かべる男の正体。
荒ぶる道具屋。
そんな渾名だった。
「……あれが道具屋の戦い方か」
「まあ、全然だったけど」
エゲツない。
空中で俺を見下ろす竜人の動きが僅かにおかしかったのはコイツが毒か何かを盛ったのだろう。
自称ランクAの男達を生き餌にして。
ショニンから強引に奪い取って行った薬に毒が混ぜられているとも知らず、それは目論見通り竜人の体内へと取り込まれた。
自分たちの肉体ごと。
奴らの自業自得とは言え、揉める相手が悪かったな。
結果として俺と夏実は救われたことになったのだが、竜人の死体を検めている男に礼を言うつもりはない。
「これ、僕に加工させてくれない?」
そんな犠牲があった事など全く気にも留めなていないのであろう。
脳天気にショニンが言う。
「鎧か武器か。どちらにせよ、結構な物が作れるよ」
僕なら。
そう顔が言っている。
「それ、どうやって受け取るんだ?」
「それは心配ご無用。
商売人の意地と誇りにかけてちゃんと届けるよ」
まさか空間移動の様な能力を持っているのだろうか。
もしそうならば見てみたい。
「じゃ、鎧にしてもらおうかな。
……二人分」
「それには、ちょっと足らないかな」
「大丈夫。
追加で狩るから」
空を見上げる。
そこに竜人が更に三体。
旋回しながらこちらに襲いかかろうと様子を伺っている。
開封された禍津日の力は依然として溢れ出ている。
再び鍵を掛けるにはもう少し暴れる必要がありそうだ。
それに。
「……何で泣いてるんだい?」
あの時……もし、あの時。
イツキと唇を重ねていたら、彼女を喪うことは無かった。
戦いの最中、そのことに思い至る。
置き場の無い後悔、無力な自分への怒り。
それを全部、あいつらで発散してこよう。
「アンタは戦わないのか?」
目尻を拭いながら問いかける。
「ピンチになったら助けてあげるよ。
お得意様だから」
「そうか。じゃ、ゆっくりと見学しててくれ」
全部、俺の獲物だ。
喰らって、そして力に変える。
「共に駆けよう。終姫」
急降下をはじめた竜人に向かい、空へと駆け上がっていく。
最早、その竜人たちは恐れるような相手では無かった。