初夏⑤
再び歩き始めたが、夏実は一言も言葉を発さなくなった。
まあ、気持ちはわかるけど。
別にこちらから話す事も無いので困りはしないのだが。
そうやって無言で歩き回り、何度か魔獣を倒し、出口の当ても無く再び歩く。
日が傾き始めた頃、俺の耳は静寂の中から微かな水音を捉える。
それは……そう、滝の様な大量の水。
逸る気持ちを抑えながらそちらに。
そして、俺たちの目の前に巨大な滝が現れる。
「すごい」
飛び散る飛沫が虹を作るその幻想的な光景に思わず息を飲む。
「夏実」
「……何?」
俺は振り返りながら腰のナイフを鞘ごと彼女に差し出す。
「何か来たら……これで戦え」
「え?」
「俺は、滝の様子を見て来る」
あの裏に門があるなんて可能性もあるなと、そう思った。
荷物袋を下ろし、そして身につけて居た鎧を脱ぐ。
「無理なら逃げろ。
道具は持って行って良い。
そうやって、生き延びる。
その事だけを考えれば、案外死なない」
「……分かった。
でも、すぐ戻って来てよ」
「ああ」
もちろんそのつもりだ。
「唱、拾弐 鼓ノ禊 水蓮」
下着一枚になった俺は潜水術を使い水の中へと。
澄んだ冷たい水が全身を包む。
川魚が泳いでいるのが見えた。
食えるかな。
いや、毒を持っているかも知れない。止そう。
現実に帰れば全て解決するのだから。
滝の裏に門があるなんて事は無く、徒労に終わったなと思いながら岸へと戻った俺を夏実はその場で待って居た。
「どうだった?」
「何もなかった」
「そっか。
……ねえ、私も入って良い?」
「え? 良いけど」
少しだけ逡巡を見せたけれど夏実も下着姿となり水の中へと入って来た。
緊張の糸が緩んだのか、それとも空元気か。
赤くなりかけた空の下でまるで馬鹿なカップルのように戯れる。
こう言うのも悪く無い。
水を掛けられ笑い声を上げる夏実を見ながらそんな風に思う。
◆
陸に上がり、術で作り出した布をバスタオル代わりにして体を拭く。
そして、手頃な枝を拾い集め火をつけ、沸かしたお湯で淹れたお茶を飲みながら、二人その炎を見つめる。
「ねえ、さっきの干肉、まだある?」
「あるけど」
「お湯で煮たらスープっぽくなって食べやすくならない?」
「ああ、どうだろう。やってみるか」
夏実の提案どおりにワニ肉のスープを拵える。
「……そのまま食べるよりは大分マシだな」
「うん。悪くないんじゃない?」
塩気は薄れ、肉は柔らかくなった。
「本当はもっと食べれるものとかあるんだろうけど、そっちはからっきしだからな」
道具袋に突っ込んであった夏実からもらった果物を見ながらそう呟く。
「そうなの?」
「香辛料とかそう言うのもあるだろうし。
これもドライフルーツにすれば食べられるかもしれない」
「ドライフルーツか」
「前にドライフルーツとか、コーヒーとか色々持ってる人が居た。
良く聞いておけば良かった」
焚き火を見つめながらイツキの事を思い出す。
「聞けばいいじゃん」
「……死んだ。
それにこっちでは会おうと思っても会える訳じゃないから。
出会いは偶然で、一期一会。
だから……やりたい放題」
殺すも犯すも。
「……御楯ってさ、結構通ってるの?」
「月四十時間。週末はこっちに居る方が多い」
「何で? 危険なんだよね?」
「……楽しいんだよ。こういう非日常」
少し考え、そう答える。
他にもレアーの契約とか細かい理由は色々あるが、突き詰めるとその一点に集約する。
「……強いものね」
「まあ、ね。ただ、戦う力ばっかりでさ……例えば門の位置がわかるとか、そう言う便利な力があれば苦労しないんだけどなってよく思う」
「そう言うの無いの?」
「俺には無い。
他の誰かにはあるかもしれない。
この世界に関わりなく自分が望んだ力。
後付は通用しない。
そんな感じだと思ってる」
「そっか」
夏実は自分の両手を見つめる。
「じゃ、私もどちらかと言うと戦う力かな」
「物理で殴る。魔法少女なのに」
「え、だって魔法少女って戦うお姉さんじゃん」
そう言ってシャドウボクシングの様に二度三度拳を突き出す夏実。
「そう言えば、ボクサースタイルの奴も居たな。
いや、喧嘩スタイルかな。
殴って戦う奴」
「へー強かった?」
「死んだ」
素っ気なく答えた俺に夏実が顔を歪める。
「じゃ、死なない様に戦い方を教えてもらおう」
そう言って夏実が立ち上がる。
「マジカル・ベール キャスト・オン!」
夏実の体が光り下着姿から裸に変わり、そして猫耳へ。
素直に帰るつもりは無いか。
「取り敢えず、御楯を一発殴る!
それが目標」
そう言って俺を指差す。
「……何で?」
「ケジメ!」
「あ、昼のこと怒ってる?」
「ウルサイ! それ以上言うな!」
顔を真っ赤にしながら夏実が叫ぶ。
俺は殴られる為にコイツを鍛える訳か。
……そんな趣味、無いんだけど。
◆
「そろそろ焼けた?」
「ああ。大丈夫。先に毒味しようか?」
「……いや、信じて食べる。私のお腹を」
狼の群れと、兎のような獣の群れが一緒に襲ってきた。
お前ら捕食関係とかどうなってんの?
などと疑問を持ちつつ、単体では大した強さではなさそうなそれらを退ける。
夏実は早くも自分の力の扱い方を覚え出した。
猫科の動物のようにしなやかにステップして、そして拳で仕留める。
狼の鼻っ面に思いっきり左フックを食らわせたかと思うと、別方向から飛びかかって来た兎をアッパーカットで粉砕する。
とても素人の動きには見えないので、余程力が嵌ったか、そもそも何か格闘技をやっているか。
そんな風に戦う夏実をサポートしつつ、歩みを進め、夜が更けた頃に休憩を取ることにした。
仕留めた兎は解体して肉に。
狼の毛皮も剥いでおいた。
夏実は顔を顰めこそすれ、それに対して文句は言わなかった。
そして、その肉は今俺たちの目の前で香ばしい匂いを放っている。
それを二人同時に口へ運ぶ。
「じゃ、いただきます」
「いただきます」
……美味い。
「美味しい!」
夏実が満面の笑みを浮かべる。
「解体の仕方も教えてもらわないと!」
肉を頬張りながらそんな事を言う夏実の意外な逞しさに驚く。
「そう言えば、御楯の刀って、何処に仕舞ってるの?」
「ここ」
左手の甲に刻まれた三つの入墨を夏実に向ける。
「へー。そのタトゥーが。
そう言う仕組みなのか。
じゃ、右手の奴は?」
よく見てるな。
「こっちは盾」
「ほうほう。
じゃ、背中は?」
「背中?」
「そう。背中にもあるじゃん。同じようなタトゥーが」
そう言われ、俺は後ろへ首を回すがそんな事をして見えるわけは無く。
「……それは知らない。
どんなの?」
「こんなの」
そう言って夏実は木の枝で地面に絵を描く。
それは重なり合う二本の曲線の様な模様。
Sを横にして、もう一つを反転させ重ねた、そんな形をして居る。
まるで何かが翼を広げた様な……。
「……何だろう」
背中に手を当てるがまるで心当たりが無かった。
◆
豹柄の外套を掛け横になる夏実を眺めながら周囲の気配に気を配る。
二人の気配は術で遮断しているので襲われる事は無いはずだ。
暗闇の中、当てもなく動き回るよりは一晩休んで明日に懸ける。
疲れを隠す夏実を見てそう判断した。
寝れる訳無いじゃんと言いながら横になった夏実からは規則正しい息遣いが聞こえて来る。
まあ、狸寝入りの可能性もあるが。
もし熟睡している様なら信頼されている、或いは男として見られてない。
起きているなら、その逆。
どちらにしろ、その結論は少し悲しい。
それにしても背中の紋は何だろう。
鏡が無く確かめる事は出来ないが、夏実にはそんな嘘を吐く理由が無い。
確かに刺青が入って居るのだろう。
それは、何かが封ぜられた証。
夏実が土の上に書いたその模様を眺めながら言い知れぬ不安を覚える。
そして、この広い世界にも。
見上げた夜空は、見た事の無い星空。
あの星の中に地球があったりするのだろうか。
俺に天文学の知識があれば、この空から何かを知ることができるかもしれない。
……無い力を望んでも仕方無い。
タイムリミットまで24時間を切った。
……女子を守ったと言ったら母は許すだろうか?
無理だな。
もういっそ高校を中退してレアーに就職してしまうか……。
それも無理だな。
英語が使えない。
はあ。
結局進路の悩みは一年前から変わらず。




