丑の刻②
外堀通りから一本入った神社の下をぐるりと取り囲む細い道。
都会の暗がりの中に、ハザードランプを灯した車が一台。
日産フェアレディ。
日本車。
運転席だと思い覗き込んだ側は助手席で、その奥にハンドルに手を掛けるハナ。
恐る恐るドアを開け、2シーターの助手席に身を滑り込ませる。
何も言わずにハナは左手でマニュアルのギアを操作する。
カーナビのディスプレイは消えたままだった。
首都高に乗り、新宿方面へ。
事もなく加速するスポーツカーは、法定速度などまるで気にせず周囲のライトを瞬時に後方へ置き去りにする。
送ってくれると勝手に思っていたのだが、どこかに拉致られるのだろうか。
そんな不安を抱きながら運転席を見ると、怒りを滲ませたハナの顔。
……どう考えても楽しいドライブではないな。男女二人なのに。
俺はそっと外に目を戻す。
やがて、調布の出口が一瞬で背後に消え去るに至り本気で不安になる。
「何処へ……」
「ちゃんと家まで送るわよ」
こちらをピクリとも見ずにハナが答える。
まあ、こちらを見られても困る速度で走っている訳だが。
五月の連休、最終日の下り車線。
更に深夜。
比較になるような車は少なく、恐ろしくて速度メーターを覗くことも出来ないのだけれどひょっとしたら170km/hぐらい出てるんじゃないか?
「一体、あっちの世界に何が有るの?」
八王子の料金所の手前で速度を落とした時に、ハナが呟く様に尋ねてくる。
その問いかけに、俺は考えながら答える。
「何でもある……けれど、何も無い」
窓の外を眺めながらそう返す。
思い描いたもの、欲しかった物全てが手に入ったわけではない。
だが、それでも十分だと思えるほどの力が向こうの俺にはある。
ただ、それは、こちらに一切影響が無い。
こうして訳の分からぬ組織に属して多少の金銭は手に入れたけれど、それだけだ。
「何でもある。
誰もがそう言う幻想を抱く。
何でもあるなら、全てを無かったことにも出来る。
そこに行った過去すら無かった事に」
静かにハナが言った。
思わず運転席の彼女を見る。
一瞬だけ、視線がこちらを向く。
「そう言っていた調査員が居た」
「その人は?」
是非話を聞きたい。
何を見たのか。
「……帰ってこない」
再び視線を前に戻しながらハナが続ける。
「アンタ、私やその周りのやり方に憤るなら……それを見つけなさい。
全てを無かったことに。
それが手に入れば誰もアンタに逆らえなくなるわ」
最後は鼻で笑いながら、ハンドルを切って車は圏央道へ入る。
……全てを無かった事に?
「現実的な話をしてあげよう」
ハナの言葉の意味を考える俺に彼女は続ける。
「G社に今大学から調査員の引き合いが来ているのは言ったわよね。覚えてる?」
「ええ」
「それを利用して、大学を踏み台に官庁へ入りG playを規制する。
そう言う計画を立てた調査員が居る」
……容易い事では無いだろう。
例え大学に入っても、その後公務員試験とか有るだろうし。
俺の頭がそれを耐えうるだろうか。
しかし、一理はある様に思える。
……ただ、細い道だな。
あと二年。
異世界から生還を続ける。
しかし、現実を見るとそれが一番進学に近い気もする。
なまじ高校が私立な分、浪人する余裕はおろか私大の学費を満額払って貰えるか微妙な所だ。
「そいつ、紹介してくれます?」
「死んだ」
……そうかよ。
しかし、まあ、顔も知らぬ誰かのそのアイデアは悪く無い。
当面向こうへ行くモチベーションになる。
死ぬ様なヘマをするつもりは無い。
その為に必要な物は……情報か。
向こうでの安全を得る為にも、その誰かのアイデアに乗って将来何かを成すにも、名は売っていた方が都合が良さそうだ。
「IDOのランキング、名前公開にしても良いすか?」
「どうしてもと言うなら構わないけど。
協定があるうちはこちらで接触をしようなどと言う国は出てこないだろうし。
むしろそんな国があれば楽しいのだけれど」
どう言う意味だろう。
無視して俺はスマホを操作する。
指紋認証とパスワード。
二重のロックを解除してIDOのサイトへ。
個人設定の【ランキング/名前表示】の欄を"全員に公開”に変更。
俺のランキングは相変わらずB。
Sが百人程度。
その下のAが400。
Bが千五百と言った所。
C〜Eまでまとめて一万人程度。
ここ1カ月で数千人増えたな。
しかしランキングに名が載るのはB以上。
公表して居るのは、半数程度か。
「レアに所属してるS級って何人居るんですか?」
返事は無い。
車は厚木のジャンクションで東名を東京方面へ入った。
サイト上で公表されていて見れる情報は名前と活動時間のみ。
あー……仮に向こうで名乗っても証明する方法がないな。
……いや、S級ならいざ知らずそれより下のランクで名を偽っても利益は無い。
ならば、まあ、信じるだろうか。
容量の大して多くない脳に、ランキングに載った名を上から刻み込んで行く。
「そう言えば、他の調査員のレポートって俺でも見れるんですか?」
また、返事は無い。
ウインカーが出て、車の速度が落ちる。
そのまま減速して海老名のサービスエリアへと入って行く。
休憩か。
「降りて」
車を停め、そう一言ハナが言う。
そのまま売店の方へと向かうハナに着いて行く。
「何飲む?」
「コーラ」
自分の分のコーヒーと二本、自販機で買ってそのまま暗がりのベンチへ。
「調査員に関しては原則教えない。
レポートの閲覧も不可。
で、何でそんなスッキリした顔してんのよ」
「そうすか?」
「はあ。
調査員になる奴ってどうしてこう、自分の事ばっかりなんだろう」
誰と比較されて居るのだろうか。
「後日レポート出しますよ」
「クスリやセックスにも劣らない最高のアミューズメントだ」
缶コーヒーを飲みながらハナが呟くように言った。
「死ぬのはヘマをしでかした奴だけ。
俺は違う」
そう続け、そして、視線を地に落とす。
「……それは?」
「知り合いの調査員が言っていた言葉。そいつも死んだわ」
この人は……実は結構な数の知り合いを異世界で失って居るのでは無いか?
ひょっとしたら、つい最近も。昨日とか今日とか……。
それで……荒れている?
「俺は、死なないです」
「ぜひ、そうして」
「ハナさんこそ、あんな運転してたらそのうち事故りますよ」
「そんなヘマはしない」
そう言う奴から事故るんだって。
そう喉まで出かかったが、おいそれと喧嘩を売れる様な相手では無いので黙っていた。
家まで、後少し。
せめてその間はヘマをしないで貰いたいものだ。




