春休み①
人類の食に対する追求と、地球の恵みと言うのは偉大なのだな……。
そう実感しながら、初めて自作した干し肉を噛みしめる。
素材の持つ力強さがそのまま口内に広がり鼻腔から抜けて行く。
端的に言うと、不味い。
硬くて臭い。
そして塩辛い。
香辛料とか香草とか、そう言った物が必要なんだろうな。
海、もしくは塩湖と思われる地底の水。
それを一度煮沸し、仕留めたデカイワニの肉を半日漬け込む。
それを術で乾燥させて、即席の干し肉。
本当はその前に、塩抜きで淡水に入れなければいけなかったのだが。
春休みに入り時間に余裕が出来た今だからこそ出来た芸当。
やり方は事前に調べておいた。
まあ、非常食だ。無いよりはマシ。
それに、現実へ帰れば美味い物は食えるのだから。
さ、帰ろう。
予め見つけておいた石碑の元へ。
そして現実へ。
◆
……しまった。
現実で時計を見て愕然とする。
午前一時半。
電車が無い。
流石は都心。
それでも空いている店はあるのだけれど、酒を出す店。
俺一人で入れる訳も無く。
しゃーない。
もう一回行くか。
その前に簡単にレポートをしたためる。
持ち帰った情報がアメリカの良いように使われていると思うと癪だが、だからと言って俺が溜め込んだ所であまり意味は無い。
なので自分に不利になりそうな事を除いて極力レポートする様にしている。
それで、あの世界の解明が進み、安全性が上がればそれでも良いし、逆に危険性が認知されて人が近寄らなくなるならそれでも良い。
金と言う見返りは、初回に大きく貰って以降、芳しく無く。
母親からは年収百万を超えると面倒だから気を付けろと釘を刺されている。
俺に収入があるなんて一言も言って無いのに。
◆
降り立った体育館程の空間。
今度の舞台は土の洞窟か。
周囲を見渡し、観察する。
鍾乳洞の様な自然が作り出した洞窟で無く、掘られた穴。
そんな風に感じた。
天井までは五メートル程。
人が掘ったと言うには少し広いか。
うっすらと明かりがあるのは、苔の様な物が光を放っているのだろう。
そして、地面には……何かが動き回った跡が残されて居た。
人の……足跡の様にも見える。
恐らくは、戦いの跡……。
先客が居た。……居る。
まだ居る。
そう想定して進もう。
俺は慎重に歩み進める。
やがて天井が低くなり、壁へとぶつかる。
そのまま壁伝いに歩く。
やがて、その部屋の出口へと至り細い通路を抜けた先に縦穴が現れる。
一度引き返し、他の通路を探すが結局その縦穴へと戻る事になる。
「唱、陸拾漆 鼓ノ禊 火辺知」
壁を歩く術を使い、縦穴を歩いて下りて行く。
その分マナを使うのだが、登攀で手を塞ぐよりは安全だろう。
鼓ノ禊自体は本来詠唱は不要な設定だが、伍拾以降の上位術は禍津日が無理やりこじ開けた所為もあってか一度言葉にしたほうが力が安定する。
まあ、その方が術を使ってる感が出て格好良いだろうし。
しかし、敵の姿は無く。
再び横穴。
そして同じ様な大部屋。
再び縦穴。
しばらく行くと再び横穴から大部屋。
なんだろう。
何かに似ている。
歩きながら、引っかかった何かの正体を考える。
……蟻。蟻の巣だ。
いやいや、待て。
人が優に入れるサイズの蟻の巣。
そしたら、その主はどれだけデカイ蟻なんだよ。
地球上の生物を同じ大きさで比較したら昆虫が最強なんだっけ?
そんな懸念を他所に、モンスターの姿は見えず。
だが、地の上には戦った様な足跡が残っている。
先客が全て倒して行ったのだろうか。
そう考えた方が自然だな。
モンスターは定期的に生まれると言う俺の経験からすると、この状態は先客が暴れてまだそれほど時間が経って居ないと言う事であり、それはやはりまだこの世界に留まっているという事になりそうだ。
先客が戦いながら俺の先を歩んでいるとすればいずれ追いつく……か。
蟻の巣を下へ下へ。
……音!
金属同士を打ち合わせる音が微かに聞こえた。
「唱、漆拾弐 鼓ノ禊 神匸。
唱、伍拾弐 鼓ノ禊 撫霧羽」
声を殺しながら詠唱し、気配を遮断。足早に音の方へ。
連なった大部屋の幾つか先だろう。
近づくにつれ、その音は次第に大きく、そして、激しく。
異様な雰囲気を感じた俺の足は次第に慎重に。
洞窟の影に隠れ、様子を伺う。
向かい合う男が二人。
片や手に剣を、片や手に盾を。
武器と武器が、肉と肉がぶつかり合う音が洞窟の中へ木霊する。
剣を持つのは……細身の東洋人。
しかし、発する叫び声は日本の言葉では無い。
対するは、金髪の……アメリカ人だろうか。
俺の二倍程肩幅がありそうなガタイ。
「唱、玖拾弐 鼓ノ禊 断獄」
息を殺しその戦いを見つめながら、小声で詠唱。
もう既に戦いは終盤だったのだろう。
東洋人が間合いを詰め金髪がそれに合わせる様に盾を突き出した瞬間、東洋人はしゃがみこみ金髪の足を払う。
姿勢を崩された所へ剣が振り下ろされ、金髪の盾を持つ腕の肩から先が吹き飛ばされる。
叫び声を上げ、傷口を抑えながら跪く金髪。
東洋人はその背後へと回る。
命乞いの様に絶叫する金髪。
東洋人は躊躇いもなく剣を振り下ろし、その首を刎ねた。
そして、その視線をこちらに向ける。
目が合う。
気負うな。
相手からこちらの姿は見えて居ない。
その筈なのだが執拗にこちらへ目を向ける東洋人。
気を抜くと手が爪刀に伸びそうになるのを必死に堪える。
やがて、東洋人は剣を納め立ち去って行った。
俺はそのまましばらくそこから動かずに居た。
いや、動けずに居た。
断獄。
感情を殺す力。
これが無ければ俺は恐怖に駆られあの東洋人へ飛び掛かって居ただろう。
その結果、あの死体の横にもう一つ死体が転がって居た筈だ。
あれは……人との戦い慣れた人間の動きだ。
俺が空を駆け術を交え挑んだとて、難なく対処するだろう。
常識の内。そこに踏み止まって居る俺の刃は届かない。
相手は、初めから俺の常識の中になど収まって居ないのだから。
そんなのは……相手にしないのが一番だろう。
人を殺し何かを得る為にここに居るのでは無い。
俺はその場へ腰を下ろす。
そして、不味い干し肉を噛みながら時が過ぎるのをじっと待つ。
あの男がこの洞窟から消え去るまで。
半日程経っただろうか。
物音は一切聞こえない。
引き返して来る事は無さそうだ。
少し迷いはしたが、金髪の死体は弔わずにそのままにして置く事にする。
万が一、あの東洋人が戻った時に不自然に思われ無い様に。
自分で作ったのだろう、木製のドッグタグ。
地に落ちたそれに掘られた名前を脳裏に刻み込み手を合わせ洞窟の奥へ。
やがて感じ取る何者かの気配。
その姿を見て、人でなく良かったと胸を撫で下ろす。
「鳴声は囁となり全てを虜にする
内より沸き立つ血肉
戯れ。望むままに
唱、肆拾壱 壊ノ祓 妃艶魔」
体液を蒸発させる高熱と渇きを運ぶ術。
それを向かい来る巨大な蟻へと放つ。
化け物の巣から帰還したのは翌朝だった。