異変。その始まり⑤
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なつみかん〉カレーどうだった?
御楯頼知〉食えなかった
なつみかん〉え?美味しくなかった?
御楯頼知〉帰ったら残ってなかった
なつみかん〉え?
なつみかん〉一箱作ったよ?
なつみかん〉12皿分
御楯頼知〉アラフォーと六歳児で12皿完食した模様
なつみかん〉すごいね
御楯頼知〉お陰でコンビニ弁当です
なつみかん〉また作りにいくよ
御楯頼知〉素敵
なつみかん〉一杯三千円ね
御楯頼知〉微妙に高い
なつみかん〉微妙か?
御楯頼知〉いや、払うけど
なつみかん〉冗談だよ
御楯頼知〉体で
御楯頼知〉冗談だよ
なつみかん〉三千円の労働ね
なつみかん〉覚えておく
御楯頼知〉荷物持ちだけは勘弁してください
――――――
いや、荷物持ち、それ自体は別に良いのだ。
その前段である買い物が苦行なだけで。
「頼知、実はもう寝たからこっち来なさい」
「ん?」
部屋の扉を軽くノックしてから母が声を潜め言う。
「何?」
「ここ、座って」
リビングの真ん中に置かれたクッションを指差す母。
何だ?
言われた通り腰を下ろすと母が背後へ回る。
「痛って!」
背に激痛が走り、思わず身をよじる。
背後から思いっきり殴るとか、何考えてるんだ? こいつ。
「そんなに強く叩いてないわよ。
治すわね。
楽にして」
そう言いながら母は背にそっと手を当てた。
そこから、じんわりした温もりが伝わる。
命ノ祝。
傷付いた体を癒す術。
「杏ちゃんに言われるまで気づかなかったわ。
母親失格ね」
背後で母がポツリと呟く。
「いきなり完璧な母親役が出来るわけないだろ。
十五年放ったらかしにしたんだから」
「……そうよね」
「大体、母親なら息子の晩飯は残しておくべきだ」
折角の夏実のカレーを。
「なるほどね。そりゃ出て行きたくもなるわね」
ん?
「別に出て行こうなんて思ってないからな?」
「そう?」
「何をどうやっても過去は変わらない。
だから、それは口にしない」
今更、完璧な母親も従順な息子も無理だ。
だけれど、それはそれ。
過去の話。
この先は変えられる。
まあ、こっ恥ずかしいので口にはしないが。
「なんでか俺が狙われている。
そして、それはいずれこの生活を破壊するかもしれない。
そんな事をさせるわけにはいかない。
だから、その前に出来る事をする。
それだけ。
その為に、せめて夏の間ぐらいは向こうへいく」
ここは誘惑が多い。
そして、連絡が付かないことを不審に思った夏実が訪ねてこれる距離でもある。
「何をするつもりなの?」
「G Play。
真経津が開けた別世界への扉。
それを使って向こうでミカエルとケリをつけてくる」
「ここではダメなの?
ここなら八課全体でバックアップ出来る」
「アイツはG Playを通ってこっちに来たんだ。
この世界の力じゃ到底太刀打ち出来ない」
人は神に抗えない。だから贄を捧げ、怒りを逸らし慈悲を乞う。
実が口にしたそれがこの世界の理。
ミカエルが『神の如き大君』になったのだとしたら、到底敵う相手ではなくなる。
だが、向こうは違う。
「あの世界じゃ、こんな痛み、秒で治せるんだぜ?」
「なにそれ?」
向こうには、理なんて存在していない。
「実なんて、牛になったり、大人になったりする」
「大人?」
「そう。超バインバイ……ん……」
「……何が?」
「……」
「まさかと思うけど……実に……」
「それはない! 絶対。天地神明に誓って言える!」
「本当に?」
「母親だろ? 息子を信じろ」
「じゃ、信じよう。
あと、杏ちゃんとはどういう関係なの?」
「友人」
「ふーん」
「何だよ?」
「友達のお弁当とか、普通作るかな?」
「まあ、普通は母親が作るよな」
「ぬかしおる」
「と言うか、今、夏実は関係ないだろ」
「あんな良い子、他にいないと思うの」
突然殴るけどな。
「だから、捨てられないようにしたほうが良いわよ」
「余計なお世話」
「はい。終わり。どう?」
母の手が背から離れた。
「体が軽くなった」
腕を回しながら、正直にそう答える。
「明日になって違和感感じるようなら、ちゃんとした医者に見てもらったほうが良いわよ」
「わかった。
で、鹿嶋、行っていいの?」
「ええ。良いわ」
「実は?」
「まあ、なんとかするわ」
「大丈夫?」
「母を信じろ」
「いやぁ、無理だろ」
「何でよ!?」
シンプルにポンコツだからだよ。
◇
「実、早く着替えて!」
「うむー」
「頼知、洗濯物お願い」
「はいはい」
慌ただしい家だな、と毎朝思う。
しかし、その慌ただしさもひとまず今日まで。
既に出かける準備は済ませてある。
と言っても鞄一つに入りきるだけの着替えとスマホの充電器。
あと、宿題。
それだけ持っていけば十分。
万が一足らないものがあっても、買うか送ってもらうか。最悪、取りに戻れる距離だし。
「お母さんといっしょ終わったぞ」
「うそ。もうそんな時間?
実、着替え終わった? トイレ行った?」
「うむ」
「後は母さん待ちだよ」
「ヤバいヤバい。今行く。直ぐ行く。
頼知、洗い物もお願い」
「はいはい」
「はいは一回じゃぞ?」
妹の癖に生意気な。
「じゃ、行ってくるね」
「またのう」
「いってら」
騒がしい二人が出て行った途端に静かになる家の中。
動くのはルンバだけ。
着替える為に部屋へ戻ろうすると、ガチャリと家の鍵が開く。
「頼知!」
母が三和土で俺を呼ぶ。
「忘れ物?」
化粧ポーチか? ケータイか? 財布か?
「忘れ物。
アンタ、ちゃんと帰って来なさいよ」
「え?」
「それだけ。行ってきます!」
「……いってらっしゃい」
言い終わる前に、母は飛び出して行きドアが閉まる。
「ちゃんと帰る」
聞こえてないと知りつつ、そう返す。




