異変。その始まり④
この世界に破滅的な予言がある。
そして、その予言が示した姿に似た物が俺に向こうで待ってると囁いた。
しかし、その言葉を鵜呑みにして良いのか。
そもそもミカエルが羽白熊鷲だと言う確信はない。
更に言えば、FBIを始めとした各国からの監視が俺につきそう。
そうなると、呑気に夏実とデート……と言う訳にもいかない。
いかない……。
行きたいけど、それで万が一にも巻き込む訳にはいかない。
夏実は気にしない風に装っているが、彼女の母は夫を奪った俺と御天をまだ許していないだろう。
大きく溜息を吐く。
何事もなく、全てが終わればよいのだ。
いや、終わらせれば良いのだ。
「母さん。
茨城の家、まだ残ってるよね?」
一度、東京を離れよう。
夏休みの間だけでも。
「残ってるけど?」
「暫くそこに行くよ。
幸い夏休みだし」
「……あの辺なら、確かにここよりは人目が少ないけど……」
どうせ、ミカエルに呼ばれたG Playへ行くことになる。
ならば、こちらで何処にいてもさほど変わらない。
だが、ここにいて万が一にも夏実を巻き込むのは不本意。
あと、五月蝿い妹から逃げたい。
「……じゃ、実も連れて行って」
「……は? 何で?」
「これから忙しくて、まともに帰れるかわからないから」
「お前、母親だろ? そう言うの育児放棄って言うんだぞ?」
「私だって! 仕事なんて行かないで毎日実と布団でゴロゴロして、オヤツ食べて過ごしたいの!
何なのよ! 残業残業の中、海外視察に向けてスケジュール調整したのに。そもそも海外なんて行きたくなかったのよ! それなのに飛行機降りてそのまま帰国便って何よ! 土産を買う暇すらありゃしない!」
「……いやぁ、なんかすまんねぇ」
おい。
上司が恐縮してるぞ?
「いや、有珠君を帰国させてもらっても良かったんだが……」
「あんな目をキラキラさせた部下に帰れと命令できますか? 私は出来ない。鬼ですか? 参事官は」
「鬼は君の……」
「何か?」
「いや、何でもない」
いや、お前が帰って来たかっただけでは?
「そうだ。
頼知、アンタ、バイトしなさいよ」
「は?」
「捜査協力者として。
そうだ。それがいいわ。
名案だわ! そうすれば私の労働時間が減るじゃない。
ああ! 実も私が連れて歩けばいいんだわ!
あの子も捜査協力者よ!」
「そんな書類、判は押さんぞ?」
「大丈夫ですよ。
参事官の印鑑、私は持ってますから!」
世の中、それを大丈夫とは言わない。
「流石にその我儘は見逃せんよ」
「えー」
「俺は俺で忙しいんだよ。
やる事ある」
「はー? 何よ?」
「後で話す」
今はまだ参事官の耳に入れる必要はない。
「つまんないー!」
そう言って頬を膨らませる母。
ガキかよ。
◇
「……寝た、か?」
「あ、寝てますね」
いつの間にか静かになった母は隣で小さないびきをかいていた。
上司に運転させて後ろで寝るとかマジかよ。こいつ。
「ずっと空の上で満足に寝てないんだろう。
しばらく休ませてやりなさい」
「すいません」
「しかし、今日は一段と舞い上がってたな」
「すいません」
「帰国できた事が余程嬉しかったか」
「娘に会えますからね」
「君にも、だろう」
「もうすぐ半年なんで、いい加減慣れて欲しいんですけどね」
しかし、たったの半年。
俺はこの肉親の事をほとんど知らない。
「母は、どんな人ですか?
参事官から見て」
「仕事一筋。
誰より長く職場にいる。
部下には辛辣で上司には強硬。そして、他人以上に自分に厳しい。
毎日、般若の様な顔をしてるから付いた渾名が鬼の八課長。通称鬼八」
鬼女ですか。
鬼女なら、祓うべき対象なんだが。
「そんな鬼の八課長が、ここ半年、毎日ニヤニヤしていて、定時になればすぐ帰る。
事情を知らぬ人はついに病んだと言ってるそうだ」
そうかぁ。
病んじゃったか。
本格的に祓わねばならないか?
実に塩を持たせてぶつけさせよう。
間違いなく溶ける。
「すいません」
「それでも仕事はキッチリこなす。
助かっているよ」
「はあ」
とってつけた様なフォローだが、この気配りが出来るからこそ、曲者揃いをまとめて行けるのだろう。
◇
参事官に家の前まで送ってもらい帰宅したのは夏の夕陽が沈んだ頃。
実は一人家で不貞腐れてるだろうが、予定外の母の帰りで機嫌を直すだろう。
「ただいま!」
俺に荷物の殆どを持たせた母が玄関の扉を開けながら声を張り上げる。
「おう? どうしたんじゃ?」
「実ぃー!
会いたくなって帰って来たよ!」
「そうか。
今日はカレーじゃ」
と、一人盛り上がり玄関先で両手を広げた母を華麗にスルーする妹。
「お帰りなさい」
その後ろから顔を出した夏実。
何そのエプロン姿。
写真撮って良い?
「ありがとうね。杏ちゃん」
「いえ。
カレー出来てるんで食べて下さい」
「お代わり!」
「食べ過ぎだよ?
何杯目?」
一、二、三、四と指折り数える実。
「いっぱい食べれて偉いね。実は」
母よ。
甘やかし過ぎだ。
「それじゃ、私帰ります」
「まだ良いではないか!」
「遅くなると私のママが心配するの。
またね」
俺が写真を撮る前にさっさとエプロンを外し帰り支度を整える夏実。
「送るよ」
「助かる」
響子の荷物を雑に置き、夏実の荷物を持つ。
大した荷物では無かったけれど。
◇
明るい夜道を駅まで。
二人並んで歩く。
だが、昼間の騒動が脳裏をチラつき気分は晴れない。
「ねえ」
「ん?」
「体、平気?」
どこかおかしいか?
立ち止まり確かめる。
「なんで?」
「服、少し焦げてる」
「マジで!?」
「ファミレスに居たんでしょう? 何があったの?」
なぜか夏実はそれを確信している様子。
ああ、そういえばクラスメイトに会ったんだ。
そこから伝わった可能性があるな。
「ガス爆発。
あれ、俺が店から出た直後だったんだよ」
「体は?」
「全然平気」
答えた直後、ドスっと体に衝撃。
二の腕を殴られた模様。
「痛くない?」
「ゼンゼンイタクナイデス」
いや、痛ぇよ。
なんで殴られた?
「大丈夫そうね」
「ごめん。
意味がわからない。
何で?」
「痩せ我慢してるのかと思って」
「だとしたら、殴って確かめるって、割と鬼じゃね?」
「平気なんでしょ?」
「平気だけど……いや、それでも殴る意味がわからない。
欲求不満?」
さっきより強く殴られた。
◇
ここで良いよと言う夏実を押し切り改札を通る。
そして、新百合ヶ丘から鶴川まで送る。
帰りの勤め人が目立つ車内で話に上がったのは、マキちゃんが言い出したプールの事。
「よみうりランドで良い?」
「悪い。行けないかも」
「え。そうなの?」
「ああ。
ちょっと、鹿嶋に行くことになった」
「え? まさか、あの家に?」
「そう」
「……何しに?」
「修行」
決して嘘ではない。
その場所が現実か、異世界かの違いはあるが。
「夏の間ずっと?」
「まだ決めてないけど、最悪、そうなる」
「一人で?」
「多分」
「……ごめん。私は……ちょっと、行けない」
いや、誘ってないし。
ついて行くなどと言われたらそれこそ嬉しいけれどそれはそれで非常に困る。
ただ、俺と風果が過ごしたあの家は……あの場所は彼女にとって父親を喪った場所になってしまった。
だから、余計足を向けたくないのだろう。
それを、夏実が謝る必要はないのだ。
「呼んでないし」
「そうだよね」
……言い方を間違えたかも知れない。
「いや、本当は行きたいよ? プール」
「はいはい」
「夏実の水着も見たいし」
「変態」
「健全だよ」
「そうかも知れないけど、面と向かって言うな」
せめて写真だけでも送って欲しい。
……素直にプール行けばいんじゃね?
ミカエルとか放っておいて。
あー、待て。
最近の流れだと、三人とは限らないぞ?
四人。
実がついて来る可能性がある。
待て。
そうすると、響子も来かねない。
おのれ!
どこまで俺の青春を邪魔するのだ!?
などと思っているうちに鶴川駅へ。
「いや、本当に良いよ。もう」
と言いながら自転車を押す夏実の横を歩く。
「暗いし」
「自転車の方が早いんだけど」
「一人だと危ないし」
「いつも一人で帰ってるから」
「そっすか」
でも、帰らない。
もう少しだけ。
「……御楯」
「ん?」
「何かあった?」
「……別に」
「聞いちゃいけないこと?」
「何もないよ」
「そっか」
「そう」
「……本当、もうここで良いよ。
家の前までは流石に」
「ん。そっか。
迎えだけじゃなくて、ご飯まで悪かったね」
「上手く出来たと思うからちゃんと食べてね」
「楽しみだ」
「じゃね」
「じゃ」
と言ってキス。
などとはならないのである。
軽く手を振り別れる。
良し……やるぞ!
俺はこの世界で、彼女と生きていきたい。
だから、その為の障壁は全力で取り除く。
例えそれが夏実との約束を破る事になろうとも。
と決意を新たにした俺は家に帰り、そこで絶望を知る。
カレーは実と響子の腹に消え、洗い物だけがシンクに残されていた。
死ね。糞が。
風呂場で騒ぐ二人に本気の殺意を抱く。




