異変。その始まり③ / 帰り着いた世界①
何故か参事官自らがハンドルを握る車の後部座席に母と並んで座っている。
年代物の日産のセダン。
「悪いね。古い車で」
「いえ」
「刑事ドラマで使ってた奴でね、憧れだったんだよ。
まあ、言っても知らないだろうけど」
「て言うか母さん、自分の車は?」
「そんな時差ボケで運転したら事故るだろう」
「これくらい平気ですけどね」
だが、そうしないのはそれなりに理由があるのかただの強がりか。
多分、両方だろう。
「明日からの激務に備えて今日くらいはゆっくりしてもらおうと言う上司の心遣いだよ」
「ヴァチカンから連絡が?」
「ああ。第五の封印が解かれたそうだ」
「……母さんのイタリア出張って、それ?」
「そうよ」
ちゃんと仕事だったのか。
正直、ただの視察旅行だと思ってた。
「第五の封印って、一から四は?」
「最初はロンドン。
白い馬の騎士が現れた」
「参事官、良いんですか?」
「ああ。
言っただろ、非常事態だ。
関係者には、一切の情報を隠さない。
それが俺のやり方だ。宗家であろうと文句は言わせん」
「……わかりました」
「それで、白い馬の騎士はどうなったのです?」
「黄金の夜明け団が倒したよ。
次に赤い馬の騎士がニューヨークに現れた。
こちらを撃退したのは、ゴーストバスターズ。
そして、同社のピーター博士が黙示録の四騎士の封印が解かれていると警鐘を鳴らした。
黒い馬の騎士はベルリンに現れ、薔薇十字団によって倒された。
青白い馬は先週だな。
ローマへ現れ、マルタ騎士団が対処した。
この頃には、既に黙示録に記された終末が始まったと世界の意見は固まっていた。
だから、御楯君をヴァチカンへと送った訳だが」
参事官の口から次々と各国の組織の名が飛び出してきて、改めて大事だなと感じた。
「封印を解いて回る者が日本に現れる。
そうアメリカから連絡を受け、急遽帰国したのよ。
そしたら、何でか頼知が巻き込まれてた訳。
……無事で良かったわ」
「あんな爆発で無傷とか、ハリウッド仕込みのトンデモ技術のお陰だな」
「頼知がやったんでしょ?」
「いいや。
恥ずかしい話、俺はスタングレネードをまともに浴びて転がってただけだし」
「……報告では、祓戸大神の発現が観測されてるわ」
「……まさか……」
その時まで俺は呑気にも、ハナが俺を助けたのだと、そう思っていた。
だが、祓戸大神の力が観測されたとなると、途端に話は変わる。
それを為した存在が別にいる。
俺の内に座す、瀬織津比売。
そう言えば、鎮火直後の現場写真は不自然な程に地面が濡れていた。
スプリンクラーか消防の放水だと思っていたが……。
「自覚無しに神籬になってるのね?」
この体を、瀬織津比売が勝手に使う。
そして力を振るう。
その事実が御天宗家に知られれば……俺は再び地下に閉じ込められるかも知れない。
「それは良い。
この局面で、神がこちらの味方とは心強いじゃないか」
瀬織津比売と禍津日とは表裏一体。
それを宿す器がそれを制御出来ぬとあらば、それはいつ爆発するか定かではない時限爆弾と同義。
しかし、御槌当代はそんな事はお構いなしだとハンドルを握りながら言う。
「良いんですか?」
「私はね、部外者だから。
一葉さんと結婚するまで、この国を守るために裏で動いている一族がいたなんて思ってもみなかった。そんな男だ。
それまでの人生は何だったのかと思うくらいに信じられぬ事を見聞きさせられた。
例えば、その一族は物心つく前の子供を鎖で繋ぎ、地下牢に閉じ込める様な事を平気で行う。それが当然だと思っている。
中世じゃない。現代においてそんな事が、すぐ目の前で行われていた。
あの時の私は、その子を助ける事が出来なかったのだよ。
婿養子と言う形で知らぬ世界へ足を踏み入れ、右も左も分からなかった当時の私には」
この子どもは俺の事なのだろう。
だが、その後に彼の義妹に俺と風果は救われた。
「君には当面監視を付けざるを得ない。
当然、他国の目も張り付くだろう。
さっきはああ言ったが、何かあれば直ぐ拡散してしまう世の中だ。昔は出来た隠蔽工作もやり辛くなってきている。
あまり、人目につく場所へ出かけないで欲しいのが本音だが……夏休みに入ったばかりの若者にそんな事を言うのも酷かな?」
「……自重します」
夏実とマキちゃんとプールの予定がすでに入っているが……それぐらいは良いよね?
夏実なら、トラブルが起きても多少の事情は理解できるだろうし。
「杏ちゃんに、この事言っちゃダメだからね」
「え?」
「彼女はもう部外者なんだから」
「……そっか」
夏実は御天八門とは無関係な人間になったのだ。
「その、杏ちゃんとは?」
「夏実杏。御紘龍市郎さんの忘れ形見ですよ」
「ああ、あの子か。
ん? 近くに住んでるのか?」
「同じ学校に通ってます」
「それだけ?」
母が下から覗き込む様な目で俺を見る。
「田舎から出てきたお上りさん同士仲良くしてるよ」
「仲良く。どれくらい?」
「どれくらいでも良いだろ!」
友達以上、恋人未満。多分。
聞くな! 言わせんな!! 恥ずかしい!!
そんな俺の困惑を感じ取ったのか参事官は母が外しかけた話の軌道修正を図る。
「話を戻そう。
ヴァチカンでは白衣を纏った亡者が暴れだしていると、マルタ騎士団から各国に警告が発せられた。
一日と待たずして世界中へ伝播するであろうと」
「白衣の亡者が暴れ……やはり、曲解されてますね」
「ああ。黙示録を模してはいるが、聖典を真に理解した者の行いではないと言うのが大方の見立てだ。
あの一節は、殉教者が復讐を行う、ましてや、黄泉返りの事などでは決してない。
質の悪い模倣だよ。まあ、模倣犯であれ余波は免れない。御楯君、よろしく頼む」
「わかってます」
「それより問題なのは、頼知君の友人の方だな」
翼を顕在化させたミカエル。
その姿に御天八門の人間は別の懸念を抱く。
「白い翼を持つ、神の如き大君。羽白熊鷲の再来」
それは御天八門が頑として阻止すべき事態であり、御天先代が俺に禍津日を封じ、御天当代が風果を介しそれを御さんとした原因でもある。
話は、俺がこの世界に戻った三日後。
御紘龍市郎さんの通夜の日まで遡る。
◇
喪服を着て受付に香典を置き、式場へと入って行く母。
俺はただそんな母の後について行くだけだった。
葬儀会場は既に大勢の人が入っており、すすり泣く声がそこかしこから聞こえてくる。
並ぶ遺族へ頭を下げ、母が悔やみの言葉を口にする。
顔を伏せた杏夏の顔を正視する事は出来ず、その横の彼女の母、つまりは御紘の親父さんの奥さんに至っては、爪先しか見ることが出来ず。
たどたどしく頭を下げ、顔を上げた俺を喪主である御紘寅寺郎さんがじっと見据えていた。
「若い人の葬儀は堪えるわね」
並んだパイプ椅子に腰を下ろす前にポツリと母が呟いた。
若い人?
確か、五十前後の筈。
そう思ったけれど、口には出さない。
やがて、僧侶が入り読経が始まる。
母に倣い、僅かに頭を垂れそれを聞く。
神式ではなく、仏式。
御天八門と神道との関わりを隠す為ではなく、世間一般的にこの方がわかりやすいから。
母がそう教えてくれた。
この場には御紘の親父さんの知り合いで一般の人が大勢いるのだから。
読経の最中、空席だった俺の横に誰かが腰を下ろす。
ちらと、横目に見れば、それは祖父である御楯勝男であった。
十年振りに会う祖父は、俺の記憶の中と全く変わっていなかった。
……向こうは俺に気付いているのだろうか。
母の横に座っているのが孫であると。
やがて読経が終わり、母の真似をして焼香をする。
そして、寅寺郎さんが喪主として挨拶し、通夜は締めくくられた。
「大きくなったな」
式場から出たところで、祖父が目尻を下げながらそう俺に声をかけた。
「お久しぶりです」
「禍津日を和魂に転じさせたと聞いたが」
母が教えたのだろう。
「はい」
「……随分と、真っ直ぐに立つ様になったな。
真経津とは、不思議な物だ。
龍市郎君には、感謝してもしきれない。
御紘には枕を向けて寝れなくなった。
ああ、元より北枕か」
一陣の隙間風が吹いた。
おかしいな。室内なのに。
「……お父さん。やめてよ」
「通夜ぶるまいは出ないのか?」
「今日は帰ります。
頼知を連れて顔を出したくないし、娘を待たせてるから」
「娘、か」
娘……。母は実を自分の娘として育てると言い出した。
となると俺の妹と言う事になる。
信じられるか? あのクソガキが成仏するどころか俺の妹だぞ? 何考えてるんだよ。
その実は、ホテルの部屋でお菓子の家にこもってお留守番。ここには連れて来ていない。
「その件、どうにかなりそう?」
「大丈夫だ。そう言えば、歳を聞いてなかったな」
「あ……頼知。実、何歳?」
「え? 知らない」
「何で知らないのよ」
「聞いたことないし」
「何で聞かないのよ」
「式の歳なんか聞くかよ。
千二百とかじゃない?」
「それは、無理だな。
身長はどれくらいなんだ?」
「これくらい」
母が自分の腰の上辺りで手の平を下に向ける。
「小さな小学一年生くらいか」
「それなら、来年小学生がいいわ。
今年一年で、色々と教え込むから」
「では、それで進めよう」
「何の話?」
「あの子に一番必要なもの」
「ご飯?」
「戸籍」
「え? 取れるの?」
「造作もない」
いや、待て。
母、仮にも警察だろ?
祖父、アンタ市議だろ?
滅茶苦茶だ。この親子。
式場の隅で違法だか脱法だかわからない話を交わす二人。
そして、そんな親子三人へ声をかける男が一人。
「おお、御楯当代、遠路ご苦労様」
「宗家当代。久しぶりだな」
御天当代。
風果の兄であり、俺と妹を暗い家へと押し込めた張本人。
「それから、頼知。
風果はいなくなったそうだな」
その風果から、伝言ですよ。
そう言って、ぶん殴ってやろうと思っていた。
だが、拳を握りしめた瞬間、耳元で風果が囁いた。
――それが、考えなしだと言うのです。
と。
「明後日、屋敷に顔を出したまえ。
御楯当代も。それから、響子さんも」
何の用か。
それを尋ねる前に喪主である御紘寅寺郎さんが現れる。
「宗家、それから御楯当代も。遠路ありがとうございます。通夜ぶるまいを用意してますのでどうぞ。
響子さんも、食べて飲んで行ってください」
「すいません。車ですので、遠慮させてもらいます」
「ああ、そうでしたか。頼知君も?」
「連れて帰ります」
「そうですか。頼知君をちょっとお借りして良いですか?」
え。俺?
「先に車行ってるから」
式場の奥へと消えて行く祖父。
駐車場へと消えて行く母。
そして、残される俺。
目の前にはインテリヤクザ……。
◇
寅寺郎さんの後に着いて、式場の外へ。
そして、建物の隅で立ち止まる寅寺郎さん。
「……吸うか?」
スーツの中から煙草を取り出し、咥えながら俺の方を向く寅寺郎さん。
「いえ」
「そうか」
ライターで火をつけ、大きく息を吸い、ゆっくりと吐き出す。
「……兄貴は、どうして死んだ?」
「俺と、風果と杏夏を助けようとして、命をかけました。
すいません」
「そうか」
表向きの死因は心筋梗塞。
その場に居合わせたのは俺と杏夏。
杏夏に尋ねるのは流石に憚れたのだろうか。
「面倒事を全部残して死んじまいやがって……」
寅寺郎さんが、夜空を見上げ煙と共に吐き出す。
「頼知君」
「はい」
「御紘を継がないか?」
「……は?」
何を言ってるのだ? この人は。
御紘の次期当主は御紘寅寺郎だと言う話でないか。
「俺には子が無い。この先、作る予定も無い。
兄貴は君を息子の様に可愛がっていた。
ならば、と思ってな」
寅寺郎さんが俺を見る。
その顔は、どうやら本気らしい。
「五月蝿いジジババが死んでからだから当分は先の話だが、考えといてくれ」
煙草を消しながら、そう付け加えた。
◇
「寅寺郎さん、なんて?」
インプレッサの助手席へ座った俺に運転席の母が尋ねる。
「龍市郎さんの最期を聞かれた」
「そう」
母はそれ以上聞かなかったし、俺もそれ以上は口にしなかった。
車は実の待つホテルへ向け走り出す。
翌日、告別式に出て出棺を見送り仙台を後にした。




