最後の敵③
理解の及ばぬ光景が目の前にあった。
アナスタシヤが、裸のアナスタシヤが、同じく裸のアナスタシヤを抱き締めている。
「Вы не должны больше колебаться」
穏やかな声で語りかけ自らの胸に顔を埋めたレヴィアタンの頭を優しく撫でるアナスタシヤ。
なんだろう。
これ、何てエロゲ?
◆
背後から迫るアナスタシヤに気付き振り返るレヴィアタン。
二、三ロシア語でやり取りをした後に穏やかな、まるで聖母の様な微笑みでレヴィアタンを抱き締めたアナスタシヤ。
直後、その外皮が崩壊するように、纏う衣が剥がれ落ち、霰も無い姿を晒したレヴィアタンを優しく抱擁したアナスタシヤ。
そんな光景が目の前で繰り広げられてみろ。
思考は止まるし、足は動かない。
まるで別人の様に穏やかな表情を浮かべるアナスタシヤに抱擁されたレヴィアタンを見ながら良い尻だななんて……。
『あれ? そ』そんな感じでは断じて無いです!!
アナスタシヤと瓜二つの裸の後ろ姿にムラムラしてるとか、決して無いです。
脳内再生される桜河さんの声に必死で弁解。
いや、俺が大里だったらやばかった。即死だった。
金髪が琴線に触れる様な性癖を持っていたならば。
だが、違う。
辛うじて、その欲情を駆り立てる様な光景から目をそらすだけの理性は保てた。
保てたのだ……。
それに、他にも気がかりはあった。
設定と、後ろで縛られたままの大里の生死……。
嗚咽が、唐突に止まった。
そして、アナスタシヤに抱えられたまま、糸の切れた操り人形の様に手足を弛緩させるレヴィアタン。
彼女を抱き止めたアナスタシヤの困惑の目が俺に向く。
「アナスタシヤ。
その変身は、お前の力か?」
微かに地鳴りの様な音。
「そうデス。
あと六人中から出てきますヨ」
完全にマトリョーシカだな。
つまり、残り一つとなった星は太陽へ変わった訳ではない。
ならば……。
「そっちのアナスタシヤの方。
腹、この辺に黒いマークあるか?」
自分の下腹部を指差しながら尋ねる。
「……無いデス」
密着した体を離しそれを確認するアナスタシヤ。
――七つの星は七つの罪。
――その全てが堕ちる時、全ての罪が書き換わる
ノートに書かれていた設定。
ありきたりな、ラスボスの示唆。
面倒なことになる前に帰ろう。
そう言おうとしたが、それを遮るようにアナスタシヤの目が俺の背後へと向く。
振り返るとそこには何も無かった。
いや、闇。
そう、砂の大地と空を遮る黒い壁。さながら世界と世界の境界線。
それがこちらへと迫る。
……アレはマズイ。
飲み込まれたら帰れない。
俺の脳内がガンガンと警鐘を鳴らす。
帰る。
そうアナスタシヤへ手で合図を送る。
既に自身を抱きかかえ走り出していた彼女はそのサインを見て小さく頷き、その速度を上げる。まっすぐに門へ。
それを追いかけ走り出す。
……忘れ物!
大里!
急停止して、振り返る。鎖で縛られたままの大里へ迫る壁。
……間に合わない。
今から戻ったら、二人あの壁に飲み込まれる。
「解」
自分で走れ。
そう祈りを込め、術を解く。
大里の体はそのまま砂の上へと倒れ込んだ。
「クソが!」
頼みの綱、瞬間移動の術も今日はもう弾切れで、そうでなくても他人を連れては飛べない。
行ったら戻れない。
俺は、桜河さんに会うために戻るんだ!
だから、大里はここで捨てる。見なかったことにして。
それで良い。
それで良いはずなのに何で俺は奴の方へ走ってるんだよ!
「起きろ!!」
叫びは届かず、闇に飲まれる大里。
ギリギリでその手を掴んだ瞬間、視界が真っ暗に変わる。
闇の中を落下し、見えぬ地面に叩きつけられた。
「……大里」
身を起こし、少し離れた所でうつ伏せに転がる男へ声をかける。
返事は無い。
関節が曲がってはいけない方向へ曲がって見えるのは気の所為かな。
……多分、落下の衝撃で折れたんだろ。うん。俺の術じゃ無いよな?
「……大里、何か来るぞ」
まるで宇宙の様な空間。
上には満天の星空。
それは、遮るものがなく下まで続く。
そんな中に浮かぶ、白と黒の影。
ベロボーグとチェルノボーグ。
スラブ神話における創世の神「白の神」と「黒の神」。
「分かつ者
断絶の境界
三位の現身はやがて微笑む
唱、拾参 現ノ呪 水鏡」
現れた盾に友の守りを頼み、俺は左手に波泳ぎを携える。
「極冠に吹く死の風
灼熱に踊る雪
全てはその悔恨の為
唱、伍拾参 現ノ呪 千殺月
断ち切るは光
刎ね落とすは闇
生きながらえるは再びの滅び
斬神 灰燼に帰せよ 火雨花落
我と共に、原罪を塗り替えん」
勝って、帰る。
幾度となくやって来た事だ。
「……参る」
静かに宙を蹴る。
◆
「……ここは?」
やっと目覚めたか。
「プラネタリウムの中に浮かんでるみたいだろ?」
「……御楯?」
「どっか痛むか?」
一通りは術で治した筈だが。
「……大丈夫。……アナスタシヤは?」
「無事に帰ったと思う」
「そうか。……僕は……」
「覚えてるのか?」
「漠然と……」
しばらくの沈黙。
「……ごめん」
「謝んなよ」
「僕の所為だろ。僕を助けるために……」
そうだな。
「……ごめん」
「謝んなって言ってんだろ!」
疲れていた。
神二柱と激闘を終え、それでも帰れぬ事に絶望もしていた。
「お前なんか! 見捨ててとっとと帰れば良かった!
何度も何度も思った。
いま、今だって思ってるよ。
何で助けに戻ったんだろうって!」
最低だ。
それを大里にぶつけても帰れる訳では無い。
「……帰るぞ」
長い沈黙の後に、言って立ち上がる。
「門は?」
「さあ? これから探す」
どっかにあんだろ。
こんだけ広いんだ。
探せばきっとある。
そう思い込まなければ、狂ってしまう。
星の光しか無い暗闇の中、二人で歩き出す。




