合同作戦②
ミカが巨大な魔方陣を描き終わり、呪文の詠唱を始めた頃には自然、四人がその背後に並ぶ。
ライデンの大きな背を見ながら、その斜め後ろに俺。更に後ろにアリスとナーシャが並ぶ。
ミカの詠唱と共に地に描かれた魔方陣が紫の光を放つ。それは、日が昇る前の変わり始めた空の色と同じく。
明るくなる空、そして、強くなる光。
地鳴りがし、魔方陣から力が弾ける。
その寸前。
「ダメデス!」
ナーシャが叫ぶ。
それと同時に黒い雷光が雨の様に降り注ぐ。
亟禱 水鏡
ナーシャの叫びと同時に地を蹴った俺は、すかさずミカの前へと躍り出て降り注ぐ雷撃から彼女を守る。
「……どうしてですの?」
ミカの震える呟きを背後に聞きながら魔方陣の中へと舞い降りた存在を睨みつける。
額に七芒星。憤怒のサタン。招かれざる客。
両手を広げ、悠然と翼を広げる悪魔。
その視線が矢をつがえた俺を射抜く。
直後、降り注ぐ雷光の中を走り抜けてきたライデンの張り手がサタンの顔を真正面から捉える。
受け身すらままならないままに弾き飛ばされるサタン。
そのまま五十メートルほど吹き飛ばされ、動かなくなった。
……押し出して、ライデンの勝ち。
派手な演出と共に現れた闖入者は、あっさりと退場させられた訳で……。
いやいやいや、そういえば噛ませとか書かれてたけど、それにしたって一発KOはないわ。
「稽古が足らないヨ」
とてもつまらなそうに、遠くのサタンを見ながら呟くライデン。
「何が起きた?」
遠方で微動だにしないサタンを睨みながら背後に問いかける。
「……召喚の最中に割り込まれましたわ」
「割り込まれた?
失敗?」
「いいえ。
ベルゼブブもこの場に居ます」
この場に?
だが、その気配を探る前に視線の中、遠く砂の上でサタンがゆらりと立ち上がる。
『許さん。良くも……』
空気を震わせるような声。膨れ上がる瘴気。
弾けた怒りが突風となり荒れ狂うその中心でその姿を変え行く。
背の翼は大きく広がり、口は裂け、首は伸び……。
身を膨れ上がらせ全身を鱗に覆われたドラゴンの姿へと変貌するサタン。
だが、その猛威をふるう前に砂の中より現れた影がその巨体へ喰らいつく。
腹に、翼に、そして頭に。
全身を黒の毛皮で覆われた三首の獣、ケルベロス。
「どうなってるデスか?」
「何で怪獣大戦争が始まってんのよ」
「お目当てのベルゼブブの登場だ」
「は?」
「どれがデス?」
「ケルベロスは、ベルゼブブ……いいえ、暴食の象徴。
でしたわね?」
「ご名答」
それが、今、サタンの力を喰らい、取り込んでいる。
「来るネ!」
断末魔の叫びすら上げることを許さずサタンを食らい尽くしたベルゼブブがその身を更に一回り大きくし六つの眼でこちらを睨む。
真っ赤な目。
その色は、俺の記憶にあるベルゼブブの物。
その巨体が跳ねた。
すかさず矢を番え射る。
放たれた矢は、ケルベロスの体毛に巻き取られ目論見通りにその体内へと呑み込まれて行く。
地響きを立てながら俺達の前へと着地する巨体。
その頭身、十メートル近く。
人一人なら一飲みに出来そうな口が三つ。
「召喚主に抗うとは躾のしがいがございますわね」
「こいつを倒せばボーナスデス」
「こいつを倒せば有休よ」
「食うのは負けないヨ」
てんで統一感の無い四人。
だが、巨体を目の前にしても臆す様子は無い。
頼もしい。
「では、各々抜かりなく」
弓を腰へぶら下げ、波泳ぎを抜く。
「散開」
俺の声を合図に動き出す四人。
「薔薇の庭園」
ミカの声と共に、砂の中よりせり上がり咲き誇る薔薇の花。
「日が完全に姿を現わすまでは、逃がしませんわよ」
それは、ベルゼブブを繋ぎ止める結界となる。
「縮み薬」
アリスの声と共にケルベロスの頭上へ現れる薬瓶。
中のピンクの液体が狼をずぶ濡れにする。
すると、その巨体が見る見る縮んで行き、馬ほどの大きさへ。
「おいで。スナグラーチカ」
ナーシャの呼び出した雪の精が吹雪となり、ケルベロスの視界を奪う。
その隙に飛び込んだライデンが前脚を刈って巨体を投げる。
転がる巨体。
だが、獣はすぐさま体勢を立て直す。
「孤狼を蝕む枷
言霊を縛る幌
地に潜る我が根となり
御罪を繋ぎ止めん
唱、漆拾玖 鎮ノ祓 三身綱」
その体を拘束する。
後の事は、仲間に任せ。
拘束の中にあってもベルゼブブの抵抗は激しかった。
炎を吐き出す三つの首。
それを掻い潜り体を寄せるライデン。
強烈な張り手を身に受け暴れるケルベロス。
拘束を振り払い、首の一つでライデンの体へ牙を立てる。
だが、その上と下の顎を両手に持ち、力任せに引き裂くライデン。
代わりに体から生える竜の首。
薔薇の蔓が絡みつき、ケルベロスの体毛の上から棘を突き立て締め上げる。
ナーシャのルサールカが水の膜でケルベロスの炎を無効化し、白い兎がケルベロスの前を横切りその視線を逸す。
拘束されているとは言え、ベルゼブブへの攻撃を一手に担うライデン。
俺も加わろうか。
だが、横目に見たミカは俺の視線に気付き首を横に振る。
彼女だけではベルゼブブを繋ぎ止める事は出来ない。
ならば、やはり今奴を自由にする訳には行かない。
地平線の向こうへ太陽が昇る。
その姿、およそ半分。
残り、一分強。
嵐のような張り手を受け続けたベルゼブブは既に死に体。
犬の首、二つは千切れ飛び締め付ける茨は全身から血を吹き出させている。
後一手。
太陽が完全に登り切ってこの結界が破れる前に。
間に合う。
そう確信した直後、ライデンの動きがパタリと止まる。
何故?
両手を下げ苦しそうに肩を大きく上下させるライデン。
……水入り? スタミナ切れか!?
「止め!」
それを察した俺は、すかさず波泳ぎを抜きベルゼブブへ襲いかかる。
その刃が、袈裟斬りにベルゼブブの体へと食い込む。
「ッ!?」
刀から走り抜ける激痛。
刀を逆上るようにサタンが放った物に似た黒い雷光が俺の右手を焼く。
思わず刀を落としてしまう。
直後、太陽が昇り俺達を取り囲んでいた薔薇の結界が一斉にその花を散らす。
「ガアァァァァァ!!」
勝ち誇った様に、ベルゼブブが吠えた。
全身に絡まる薔薇を振りほどき、虎の姿となり大きく跳躍。
「待て!!」
着地と同時に俺を見てニヤリと笑う。
そして、消えた。
あと一歩まで追い詰めて、逃げられた。
だが。
「逃さない」
布石は打ってある。
お前が最初に飲み込んだのは御識札を縛り付けた矢。
つまり、その身がマーカーなのだ。
亟禱 飛渡足
逃げたベルゼブブ。
それを追って、俺も飛ぶ。
◆
景色が切り替わる。
……林の中……。
まばらに生える木々。その間、三メートルほど先に虎のごとくベルゼブブ。
……違和感が在った。
牙を剥き出し俺を威嚇するベルゼブブ。
波泳ぎは落としたまま。
ならば、火雨花落を。
そう目論見、目を落とした右手の甲。
だが、そこに在るはずの刺青が無く。
何故?
その答えは聞き覚えのある音と共に飛び込んできた光景によって明かされる。
背の低い植栽の向こう。
エンジン音と共に動く赤と白、二色の車体の小田急バス。
……まさか、ここは現実か?
朝日に包まれる、土曜日の日本。
一歩、二歩と歩きながらこちらの様子を伺う虎。
それから逃げるように、ゆっくりと後ずさりながら思考をフル回転させる。
勝ち目は、無い。
ならば逃げる。
何処へ? どうやって?
もう一度、向こうへ。それには新宿まで戻らないといけないのか?
いや、飛渡足。
……現実の俺が使えるはずも無い。
ならば、まずすべきは目の前の虎から逃げること。
通りへ出てタクシーを捕まえるか?
いや、背を見せれば一気に襲いかかられて殺られる。
ならば、戦うか? 武器は?
腰に、弓がある。
後ずさりながら手を回し、それを左手に。
そして矢を右手に。
虎が、その口を大きく開けた。
その舌の上に七芒星が見えた直後、俺の前に生じる火球。
後ろに飛んで退避を。
だが、意思に反し現実の俺の体はまるで鉛でもぶら下げているかの様に重く、そして緩慢だ。
爆破の衝撃が身を包み、跳ね飛ばされた体は、直後、背後からさらなる衝撃を受ける。
そこで、意識が途絶えた。




