片道切符の異世界
「何だと? テメェ、もう一回言ってみろよ!」
「聞こえなかったのか?
役立たずって言ったんだ。ハゲ」
ハゲと罵られた短髪の男が顔を真っ赤にして見下す様な視線を投げかける男の胸倉を掴む。
「近寄んなよ。臭ぇんだよ」
「止めろ。迷惑だ」
座りながら気怠そうに二人を見上げる男が一人。
「テメェは、何もしてねぇのに仕切ってんじゃねーよ」
「あん? ぶっ殺されてぇのか?」
揉める男達。
その様子を遠巻きに術で姿を隠しながら眺める。
もう良いか。
横で気配を殺すナーシャに『行こう』と、手で合図を送る。
小さく頷き彼女は目を閉じ、両手の平を上に向ける。
そこから現れる小さな妖精、シリン。両腕が翼になっているその妖精が静かに微笑んでナーシャの掌から飛び立って行く。
二人、忍び足でその後を追う。
シリンは俺たちを門へと導き、消えて行った。
◆
「じゃ、先帰るデス!」
「おう」
シキシマセキュリティサービスでレポートを提出すべく、ラップトップのパソコンの前で唸る俺を置いてアリスと何処かへスイーツでも食いに行くであろうアナスタシヤの背を見送る。
そして、溜息一つ。
「辛気臭いな。何か飲むか?」
「いえ、大丈夫です」
Tさんの申し出。
だが、その手に持つ物を見て断りを入れる。
「……それ、何すか?」
「タピオカ青汁」
飲まなくてもわかる。
まっずいヤツだ。
「小さな悩みが吹き飛ぶくらい強烈だぞ?」
「要らんす」
溜息をもう一つ。
「辛気臭い」
いや、今のはアンタの所為だよ。
「……何すかね」
「何が?」
「向こうに残った連中」
言ってどうなるものでも無いと分かっているのだが、それでも愚痴が溢れる。
「煩悩まみれだろ?」
「煩悩ってか……」
シキシマセキュリティサービスの施設で向こうへ行くようになりもうすぐ一ヶ月。
召喚。
それが主な能力であるアナスタシヤに向こうへ行く度に呼び寄せられ彼女の護衛役をさせらせている。
とは言え、彼女の呼び出す様々な妖精達の能力は便利で、例えばシリンは門までの道案内をしてくれるし、レーシーは姿を隠してくれる。
戦いにおいても、彼女は妖精を使役して自身は殆どそれに参加しない。
あまりに何もしないので苦言を呈そうかと思ったが、それが彼女の願いなのだと思い至り、俺に対し害が無いうちは好きにさせる事にした。
誰かに守られる。そう言う存在への憧れ。その顕在化。そう思うと、少女染みたその願いも彼女の育ちを考えると別の意味を持つ様に思えた。
むしろ、俺を憂鬱にさせているのは五島に与えられた任務の方。
向こうへ残った人間の調査。
未だ、接触こそしていないが幾度となく向こうへ長期に滞在しているであろう人達を見かけた。
一人であったり、数人の集団であったり。
彷徨う様に歩いていたり、荒屋の様な所へ物を集め生活の拠点を拵えていたり。
だが、その全員が全員、その表情に翳りが見られた。
少なくともこの一ヶ月で見かけた人は全員。
もちろん聞いた訳では無いが、何となくその理由は察せられた。
帰りたいのだろう。
こちらへ。
だが、帰ってしまうと次にいつ来れるのか定かではない。
だから、帰るに帰れない。
そう言う事なのだろうと思う。
依然として大里は戻らず、ベルゼブブも見つからない。
つまり、溜息を吐くに相応しい状況なのだ。
「ベルゼブブ、どうすか?」
「来ねえな」
「来ねえすか」
「ああ、来ねえ」
TさんにGoProで撮影されたあの時以来、こちらの世界には現れてないらしい。
あの捨て台詞の所為かな?
「今は神無月だからな。関係無いか」
「……関係無いすね。
何で神様の話が出てくるんすか」
寺なら仏だろうし、大体、ベルゼブブは神様では無い。
「世界に忽然として現れる存在。
太古の昔から人はそれを神と呼んだだろ」
「別に神様だけじゃなく無いすか?
他にも、幽霊とか妖怪とかUMAとか」
「そう言う類は、この世界で発生した存在だ」
「ん?」
「神様ってのは、世界の壁をすり抜け、と言うか自分の意思で通り抜ける事が出来る様な、そう言う存在だ」
「ん?」
「あらゆる世界に遍く存在する事が出来る。
それが、神さま仏さまって訳」
「そうなんすか?」
「知らね」
「自分で言ったんじゃないすか」
「与太話だ」
「有り難い説法かと思いましたよ」
Tさんとそんな話をしながらレポートを仕上げる。
「じゃ、説法を一つ」
「はい?」
「諸行無常。
全ての物事は移ろい変わり行く。
お前が見てる世界もまた、変わり続けている。
今見えてる景色も、今見ているお前自身もやがて過去になる。
だから、あまり深く考えんな」
「はあ」
「そんで、こうやって他が他に影響を与えるのが諸法無我。
そう言う訳だから、これ飲んで感想を聞かせろ」
どう言う訳だろう。
上手くやり込められたなと思いながら、差し出された緑の液体を受け取りストローに口をつける。
「……不味いす。
絶対売れない」
「だな。次は甘酒を試してみるか……」
それも売れないと思う。
「お疲れさん」
席を外していた五島が戻ってきた。
ちょうど良い。レポートの提出報告をして帰ろう。
「五島さん。今日分のレポート上げました」
「ああ、読んだよ」
ジャケットを脱いで自席に腰を下ろした彼に報告。
「また、男ばっかりだったか」
向こうで見つけた他の利用者の事だろう。
「あ、そうですね。それが何か?」
「いや、元々割合としては女性の方が少ないわけよ。
だから、一ヶ月で会わないってのも不思議では無さそうなんだが、それにしてもそんなに見かけないもんかね、と思ってさ」
言われてみれば確かにそうだ。
「つまり、五島さんとしては嫌な想像をせざるを得ない、と」
Tさんの問いかけに眉尻を下げながら五島が応じる。
「まあ、そう成らざるを得ないわな。
御楯、例えばだ、そういった女の子達がまとめて囚われて、道具にされていたら。
そう言う場面に遭遇したら、お前さん、どうする?」
問われ、返答に困る。
そして、その場面を想像する。
助けるべきだ。
感情に従うならば、是非もなく、動くべきだ。
だが、そのためにそれを行った連中と剣を交える事となる。
つまり、他人を救い出すために命を張れるか、と言う事だ。
更に言えば、其奴らを殺し、女を解放する様な選択をするか。
それは、多分その時にならないと答えは出ない。
だが、それとは別に五島の言葉に微かな違和感を感じた。その違和感の正体に気付くのはもう少し先になるのだが。
「どう言う選択肢があるか。
頭の隅にでも置いて考えておけ。
だが、決して無茶はするなよ?
この組織には二階級特進なんて無いんだからな」
そう言って、五島は静かに笑う。




