涙の吸血鬼・下
振るわれる巨大な爪を避け、一飲みに出来そうな口から逃れ、まるで飼い犬と戯れる様にルフを翻弄するナゼル。
その奥で、彼らへ狼の群れを近付けまいと奮闘する御楯。
そんな二人の戦いの横で、一人心ここに非らずと言ったパム。
私は虚空を見つめる彼女に語りかける。
「パム」
「…………」
彼女の目がゆっくりと、私を捉える。
「……まあ……懐かしい人。
リコね?」
「そう」
「ルフ? リコよ。リコが会いに来てくれたんだわ。ルフ?」
「パム。ルフはあそこ。
私だけでなくナゼルも、ライチも居る」
「まあ、あれはナゼルね?
フフフ。二人共、あんなに楽しそうに」
襲いかかる獣の攻撃をただひたすらに避けるナゼル。
どうやったら、楽しそうなどと言う感想になるのだろう。
「パム。ルフを止めて。
貴女なら出来るでしょう?」
二人に微笑みの眼差しを向けるパムの両肩を掴み、こちらに向ける。
「止める? どうして?」
「わからないの!?」
彼女は、微笑みながら首を傾げる。
「二人を、ちゃんと見て!」
私は声を荒げた。
パムへの哀れみと怒りで。
身近な人を喪う悲しみと苦しみは、私だってつい最近経験したばかりだ。
その私よりもっと、悲しみ途方に暮れ絶望を味わい、そして、怒り……。
でも、その全てを飲み込み一切を表に出さず気丈に振る舞っていた人が居る。私のママ。
そんな彼女を間近で見ていたからだろう。
目をそらし逃げようとするパムが許せなかった。同時に哀れだった。
「ルフは……死んだのよ!」
昂ぶった感情と共に涙が溢れ、気付くとそう叫んでいた。
「死んでない……死んでない……死んでない」
両肩に乗せた手にパムの両手の爪が食い込む。
「死んでない!!」
怒りに顔を歪ませたパムが私を睨む。
「リコ!」
ナゼルの声に振り向く。
そこにこちらに迫るルフの巨体。
避けなければ。
だけれど、パムが掴んだ両手を振り解く事が出来ず。
突っ込んで来るルフに私は跳ね飛ばされた。
その衝撃で一瞬頭が真っ白に。
……飛ばなきゃ!
背の翼を動かそうとして、それを成す前に再び衝撃。
跳ね飛ばされた私を空中で受け止めたのは御楯だった。
「……ありがと」
来てくれて。
「闇に蝕まれていたのはルフだけでは無かったか……」
私を抱えながら御楯が悔しそうに言う。
直後、甲高い声が木霊する。
ルフの遠吠えの様な。パムの悲鳴の様な。
そして、景色が真っ赤に染まる。
城から炎が上がった。
私達を取り囲み逃さんとする。
そんな風に、城壁の全てが炎の壁と化す。
その中心、パムを飲み込んだルフへ瘴気が濃縮されていく。
私を抱え、ナゼルの側へ降り立つ御楯。
涙を拭いながら、私の方が飛ぶのは上手だと思ったのは内緒。
「ごめん」
地に降りると同時にナゼルに頭を下げる。
「私はパムの心を揺さぶってしまった」
私達の目の前で闇が膨れ上がって行く。
炎の中、体の芯まで凍りつく様な寒気が体を包む。
「もう、奇跡が起こる事を願うしかないな」
そう言いながら御楯は右手をゆっくりと握りしめる。
その視線の先で濃縮されたどす黒い瘴気の中から何かが現れる気配。
「……元はと言えば、僕がパムの願いを叶えられなかったからだ」
私達の前に立つナゼルが背を向けながら言う。
「そんな事、悔やんでも仕方ない」
「それでも悔やむんだよ。
だから、ここは僕がやる」
「ナゼル、お前……戦えないだろ?」
御楯の問いにナゼルは背を向けたまま沈黙する。
闇が徐々に人の形へと変わって行く。
「仲間には攻撃できない。
そうだったよな?」
「……良く覚えてたね」
「思い出したんだよ。ルフと戯れるお前見てて」
そこで彼は振り返る。
穏やかな笑みを浮かべ。
「仲間と共に強敵へ立ち向かう。
それが叶ったよ。
ライチ」
彼は右手を振って何かを放り投げる。
「これは?」
それを受け取りながら尋ねる御楯。
三センチ程の小さな薬瓶。
「メデューサの血だ」
「何故俺に?」
「仲間のお前に託す。パムに渡してくれ」
「自分で渡せば良い」
「……そうだな。
じゃ、それまで預かっててくれ」
そう言って、前を向くナゼル。
完全に二人だけの世界が出来上がっていて、私が入る隙は微塵も無い。
「……預かるだけだからな」
小瓶を握りしめる御楯。
そして、突風が吹いた。
重苦しい瘴気が吹き荒れ、その奥から姿を現したのはパム。だけれど、その腰から下にあるのは狼の頭。
「スキュラ……」
横で御楯が呟く。
それと同時にナゼルが走り出した。
「我が命と引き換えに影を裂く
終・白光の柱」
天高く掲げた右腕をスキュラに向け振り下ろすナゼル。
空から現れる光の柱。
直後、視界が真っ白に染まった。
˚✧₊
「竜つ巻く柱
朝霧を払う風
神より産まれし神
志那都比古神
ここに現し給え
我が水の女神と共に
唱、佰壱 天ノ禱 避来石・零式」
御楯が、ナゼルの亡骸を抱え言霊を紡ぎ天を仰ぐ。
すぐに降り出した雨が、御楯の涙を洗い流して行く。
「居たわ」
御楯に手を上げ合図を送る。
植え込みの中に倒れていたパムの体。息はある。
そして、その横に干からびたミイラの様になったルフの体が横たわる。
パムを起こそうとして、また彼女の感情を掻き乱すかもしれないと思い至る。
御楯がゆっくりと近付いて来て、ナゼルの亡骸を地に下ろす。
そして、躊躇いも無くパムの元へ。
「パム」
彼女の横に膝をつき、優しく声をかける御楯。
私は、少し離れその光景を眺める。
降り続く雨が、燃え盛っていた城の炎を消し去って行く。
「パム」
再びの呼びかけ。
「…………ライチ………」
目を開け、彼の名を呼び、一拍置いて目を見開きながら身を起こすパム。
「ルフは!?」
ライチは視線だけで、今まで彼女の側に居続けた人の変わり果てた姿を示す。
それを見て息を飲むパム。
「ナゼルは?」
たっぷりと時間を置いてから御楯の方を見て尋ねるパム。
御楯はゆっくりと首を横に振る。
そこで再び目を見開くパム。
「これは、ナゼルから預かった物だ」
御楯がパムに小さな薬瓶を手渡す。
「メデューサの血。
意味はわかるね?」
御楯の言葉に、今しがた渡された瓶を見つめながら小さく頷くパム。
それを確認し、御楯は立ち上がる。
ゆっくりとパムの側を離れ、私の横に並んで立つ。
パムはじっとルフの亡骸を見つめていた。
御楯の呼んだ雨は、城の火を全て消し去り柔らかな小雨へと変わる。
直に上がるだろう。
パムがゆっくりと立ち上がり、ナゼルの横へ腰を下ろす。
そして、薬瓶の蓋を取ってそれをナゼルの口へと当てる。
「………………パム?」
ナゼルが目を開け、すぐ側で大粒の涙をこぼす女性の名を呼ぶ。
「僕は……君に謝らないと。あの時の事を。
君と、ルフに」
「……恨みなんて微塵も無かったのよ」
「そんな事はない。
僕は、君達の幸せを引き裂いたんだ」
「もう、良いの。
全て、終わった事。
そう……終わった事なの」
そう言ってパムは仰向けのままのナゼルの胸に顔を埋める。
ルフの亡骸がまるで灰の様に崩れ落ち、風がそれを巻き上げる。
まるで二人へ別れを告げるかの様に、パムとナゼルの回りを舞い宙へと消えて行く。
いつの間に、薔薇の蕾が開いていた。
パムのすすり泣く声を背中に聞きながら、私達は無言で満開に薔薇が咲く庭園を後にした。
◆
────────────────
御楯頼知>今日は屋上が良い
なつみかん>りょ
────────────────
GAIAに呼ばれ、ナゼルとパムに再会した翌日。
俺は夏実へLINEを送り、伝えた通り屋上へと向かう。
夏実が作ってくれたお弁当を持って。
昼休みの屋上は、弁当を食べる何組かのグループが既に居り、そんなグループから少し離れる様に腰を下ろす。
遅れてやって来た夏実を手を上げて呼ぶ。
「ごめん、英語の教科書忘れちゃって。
六時間目、貸してくれない?」
そう言いながら俺の横に腰を下ろす夏実。
「良いよ」
そして、二人で弁当を広げる。
中身は同じ。
忙しく働く母に弁当を作る余裕などなく。そもそも料理自体それほど得意ではないので忙しさを理由に作らない事にしているのかもしれないが、そんな状況を見かねたのか夏実がお弁当を作ると言い出し、断る理由もなくそれに甘えている。
「あの二人、どうなるのかな」
「さあ?」
昨日が、終幕なのか、それとも幕開けなのか。
それは二人にしかわからない。
もう、あの二人に会う事は無いだろう。なんとなく、そんな気がしていた。
「でも、あれで良かったんだと思う」
「どうして?」
「ナゼルの持ってきた薬は、たしかに蘇生の効果があった。
でも、ただそれだけの薬。
彼の腕も目も、どちらも治らなかった。
だから、ルフにあの薬を与えても……あの体では直ぐに朽ち崩れて居たと思う。
再び死ぬ為に蘇る。
それだけで終わってたんじゃないかな。
その後に残ったのは、結局パムの後悔だけだと思う」
もしかしたら、そうではないかも知れない。
でも、その答えはもはやわからない。
だから、彼女の選択は間違いではない。そう、思いたかった。
「物語の神様は、意地悪ね」
空は抜ける様に青く、それはあの庭に咲いた薔薇の花を思い出させた。
˚✧₊
「ねえ」
「ん?」
「一つ、約束して」
「何?」
御楯が箸を止め私を見る。
お弁当箱はほとんど空になっていた。
「黙って、向こうへ行かないで」
私のスマホには、まだあのアプリが残っている。
多分、御楯も同じ。
スマホ見せて、なんて事は流石に言えないので確かめようは無いけれど。
「うん。わかった」
彼は、素直に同意した。
それから私はお弁当箱に目を落とす。
空になったその中にはポツンと丸い物が一つ。
「それと、ミニトマト、食べなよ」
「嫌いだって言ってるじゃん」
知ってる。
でも、入れた。
そうしないと彩りが悪いんだもん。
観念したのか、右手でミニトマトのヘタを持って持ち上げる。
それから十秒程。
ミニトマトをじっと見つめて居た彼は、結局口を開くことなく、そのまま私の方にそれを突きつける。
「美味しいのに」
そう言ってから私はそのミニトマトへかぶりつくのだった。




