涙の吸血鬼・中
「最近じゃ、魔犬の森とか呼ばれててさ。
それじゃ俺がサクッと調査して来ようと一肌脱いだ訳よ」
「森?」
俺達が歩いているのは、冷気が吹き荒ぶ洞窟の中。
前を歩くAが風除けになり多少はマシだが、それでもこの寒さは堪える。
まるで、あの……ニブルヘイムの様だ。
左手を強く握る。
温かい夏実の手を。
チッと、一瞬振り返ったAが舌打ち。
知らん。
この手は離さん。
例え、爆発しろと怨嗟を送られても。いや、爆破されても。
「この先に、重苦しい森があるそうだ。
そして、その奥に朽ちた古城。
尤も、門は城とは別方向にあるらしいから城へ近づく必要はない。
そして、まるでその城を守る様に野犬の群れが居るらしい。
人狼だと言う話もある」
人狼。
そう言われ思い浮かぶのは……死してなお、愛し合った女性を守ろうと横に立っていたルフの事。
「……人狼、か」
横で、夏実が呟く。
おそらく同じ様にルフを思い浮かべているのだろう。
「……私、もしかしたら戦えないかも」
「何で?」
夏実の弱気にAが振り返らずに尋ねる。
「知り合いかも。……とても、悲しい人」
「うん。ルフだろ?」
「そう。……どうして御楯が知ってるの?」
「パムとルフ。
涙を求めた吸血鬼と物言わぬ人狼。
……俺も一緒に居たんだよ。夏実と一緒に。
夏実は……覚えてないけども」
「あ……そうだったね」
二人を……涙を流しながらもなおも笑ってみせたパムを思い出す。そして、横で共に涙を流した夏実を……。
絡めた指に夏実が力を込める。
確かめる様にその手を握り返す。
チッと再びの舌打ちが聞こえた。
幾度となく襲ってくる蝙蝠を先頭を行くAが棒で叩き落としながら進み、やがて、洞窟は外へと至る。
「誰か、居るな」
先頭のAが立ち止まり警戒する。
洞窟の外は満月の月明かりが照らす夜の世界。
黒い木々の生い茂る森の端。
そこにぽつんと焚き火の明かりがある。
「俺が行こう」
先頭を買って出る。
一度、力を込め左手の温かさを確認し、繋いだ手を解く。
「何で?」
「知り合いの様な気がする」
「あ、そう」
どのみち、刀はない。
だから手ぶらでその焚き火の横に座る人影へと近付いて行く。
向こうもこちらに気付き座ったまま顔を上げる。
「こんばんは」
「やあ、久しぶり」
焚き火に照らされながら笑顔を見せたのはやはり俺の知る男、ナゼル。
だが、その風貌は様変わりしていた。
眉目秀麗だった顔。頬は痩せこけ、顔の左側には大きな傷跡が残り隻眼になって居た。
銀色の長い髪は、手入れもされずにボサボサでよく見ると左腕も無くなっている。
「……ボロボロだな」
その姿を見て、そう言わざるを得なかった。
「色々無茶したからね。
でも、お陰で……」
言い終わるより前に、俺の前にAが立ちはだかる。
手に棒を構え。
「ナゼル、だな?」
「そうだ」
「あちこちで問題起こしてる様だが心当たりは?」
「……山程、あるね」
そうナゼルは疲れた笑みを浮かべながら答える。
「それも、もう終わる。
届け物一つしたら……いくらでもこの首を差し出すよ」
「駄目だ。
そんな戯言を見逃す訳には行かない。
今すぐ拘束する」
「ならば、仕方ない」
ゆらりとナゼルが立ち上がり、右手を剣に掛ける。
「おい、A。お前、何でそんな警察みたいな事をしてんだ?」
「仕事だ。Lは黙ってろ」
「いや、黙らないね。
ナゼルは仲間だ。
それに矛先を向けるお前は即ち俺の敵と言う事になる」
「……ボケにしては面白く無い」
「ボケじゃ無いからな」
一歩下がり、Aの間合いを外れながら睨みつける。
「……いつまでも格下と思うなよ?
俺だって、ランクSだ」
「だからなんだ?」
「良し。どっちが上か、ケリをつけようか」
Aが俺に向き直り、その棒を俺に向ける。
「御楯」
夏実が俺に向け白銀に光る物を投げ放つ。
「サンキュ」
それを受け取り、礼を返す。
俺から彼女へ渡した爪刀。
それが再び俺の手に。
何も言わずともそれを差し出してくれた夏実。
やだ、カッコ良い。
惚れ直す。マジで、
「ナゼル。ここは俺に任せて先に行け」
「……恩に着る」
「リコ、後から追いかける。ナゼルを助けてやってくれ」
「了解。待ってるから」
一度これで失敗している気がするが、それでもこれくらい格好はつけたい。
返事の後に遠ざかる二人の足音。
それを静かに待つA。
「ナイス死亡フラグ!」
「お前、命の恩人に向かってそれは無いと思うぜ?」
「俺があの長髪に負けるとでも?」
「何があったが知らないが、ナゼルは覚悟を決めた目をしていた。
負けないにしろ、五体満足かどうかは怪しいと思うぞ?」
正気を失い、捨て身で掛かって来る敵ほど怖いものは無い。
……ナゼルはそう言う目をしていた。
彼は例えAと刺し違えてでも進もうとしただろう。
「そんなのとリコを行かせて大丈夫なのか?」
「仲間に手を掛ける様な奴じゃない」
「どうかな?」
「心配してくれるなら、素直に踵を返してくれるとありがたいんだが」
依然として穂先は俺に向けたままのA。
「まさか。
今は敵同士だろ?」
「……仕方ない。リハビリがてら、少し揉んでやるか」
「そうだ。一つ賭けをしないか?」
「賭け?」
「俺が勝ったら、エル、お前はこっちに戻って来い。そして、俺と一緒に働け」
「は? 嫌だよ」
「欲しい物は力尽くで手に入れる。
まあ、この世界らしいやり方だよな。
本当はこんなんで良いんだ」
「いや、話を聞けよ。その賭け、乗ってないからな?」
「PROWESS」
俺の抗議に一切聞く耳を持たないAの体を漆黒の鎧が包む。
仕方ない。
俺が勝ったら今日の事は全て忘れさせよう。
「……参る」
狐白雪を手に地を蹴る。
˚✧₊
「目的地はわかるの?」
私は森の中を走りながら前を行くナゼルに問いかける。
「きっとこの先に、パムが居る」
「会ってどうするつもり?」
口には出さないけれど、向かう先からは禍々しい気配を感じる。
「見つけたんだ。
蘇生の薬、メデューサの血を」
ナゼルは速度を緩める事なく、僅かに振り返り笑顔をみせた。
とても、悲しい笑顔を。
どうしてそう思ったのかわからないけど、私にはそう感じられた。
「これをパムに渡す。
それでルフは蘇る。
全て上手く行くんだ」
その言葉とは裏腹に、彼の声に喜びは感じられなかった。
走りながら彼が剣を抜き放つ。
「マジカルベール・キャストオン モード・レオパール」
私も戦闘体勢に。
メリジェーヌは大きな翼を持った竜人モード。
それは、木々の生い茂る森の中で活動するには不向き。
ブルーフォックスはキーアイテムの刀を御楯に預けてしまった。
フルアームは燃費が悪い。最終兵器。
なので、消去法でこの姿。通称、猫ちゃん。
「さ、行くわよ」
飛び上がり、木の枝を掴む。
そのまま体を振って大きく前方へ跳躍。
迫る黒い影の群れの中へと飛び込んで行く。
犬歯を剥き出しにして襲い来る狼。
不思議と恐怖は無かった。
誰かに、その対処法を教えてもらったのだと思う。覚えてないけれど。
ううん。覚えてないって事は、それを教えてくれたのはきっと御楯の筈。
忘れてしまった事は悲しいけれど、それでもなお私は彼に守られている。
だから、負けるつもりなんて微塵も無いのよ!
ナゼルの前に出て道を切り開いて行く。
瘴気を撒き散らしながら走るこの狼の群れは、私が、御天八門が一つ、御紘当代、御紘龍市郎の娘としての私が祓う!
˚✧₊
やはり狼はただの獣ではなかった。
倒すと黒い霧と化し宙に消え行く。
瘴気を残しながら。
そうやって森の中を走り抜け、今目の前に西洋風の小さなお城がある。
「本当にここにパムがいるの?」
中から漏れ出る瘴気はまとわりつく様に重く、凍えそうな程に冷たい。
「居る」
だけれど、ナゼルは断言した。
その顔に刻まれた苦悩の跡は、あの時謝りながら部屋を後にした時のまま。
「じゃ……行こう」
「ここでライチを待ってても良いよ?」
「大丈夫。直ぐに追いついて来るから」
「……羨ましい」
彼は寂しそうに笑い、城の中へと歩き出す。
私も一歩離れ、それに付いて行く。
外壁と一体になった門。
開け放たれたその門を抜けると中庭の様な空間が広がっていた。
薔薇の庭園。それも青い薔薇。でも、花は開ききっておらずまだ蕾だ。
その中心付近に置かれた一組のテーブル。
そこに腰かけるお姫様の様な女性。
私達に気付いていないのか、その視線は宙を向いたまま固定されている。
その傍に、真っ黒な人影。
「パム! ルフ!」
ナゼルが叫び走り出す。
パムの横で黒い影が、大きな口を歪ませてニタリと笑う。
それは、旧知の仲間が救いを持って現れた事に対する喜びではなく、新たな獲物を見つけた捕食者の笑みだとそう感じた。
全身が総毛立つ様にその黒い影が膨張し、跳躍する。
ナゼルとパムを遮る様に降り立ったその時にはその背に翼を生やした狼の姿に変わっていた。
ルフ……いや、ルフだった者の成れの果て。
完全に禍と化してしまった人ならざる存在。
足を止めるナゼルの倍以上の高さから彼を見下ろし真っ赤な口を開ける。
ナゼルを追いかけ、私も地を蹴る。
そして、炎が放たれた。
「分かつ者
断絶の境界
三位の現身はやがて微笑む
唱、拾参 現ノ呪 水鏡!」
それと同時に響く御楯の声。
炎がナゼルを、そして私を飲み込む寸前、それを遮る水の膜。
……出てくるタイミング、見計らってた?
そう勘繰らざるを得ない様なタイミングでの御楯の登場。
「退くよ」
棒立ちのナゼルに声をかけ、彼を担ぎ上げドヤ顔の御楯の元へ。
「注し縛る者
連なるは人為らざる者の声
縄と成りて足手を縛る
唱、弐拾玖 鎮ノ祓 縛鎖連綿」
すぐさま拘束の術をかける御楯。
「遅い!」
「あれは?」
私の抗議を無視して御楯がナゼルに尋ねる。
「……ルフだろう」
「……ルフ……いや……違う。ルフであった者かもしれないけれど、もうルフではない」
御楯がナゼルの言葉を訂正する。
元々は、死者の体に宿った仮初の魂。
歪んだ存在なのだ。
私達が禍と呼ぶ存在。
それに成り代わってしまっても不思議ではない。
「……ルフだ」
再びナゼルが断言した。
それに答える様に遠吠えを上げるルフ。
その奥で微動だにしないパム。
「二人はここで待っていてくれ」
「……ナゼル。
パムを思うならば、ルフの幻は消すべきだ」
「そんな事、他人が指図する事じゃない。
それは、パムとルフが決める事だ」
「ルフはもういない」
「今から、呼び戻すんだ。
邪魔するならば……」
ナゼルが剣に手を置く。
「……お前が死んだら、俺は誰を恨めば良い?」
「誰も恨まなくて良い」
ナゼルは、私達に笑いかけそして再びゆっくりと歩き出す。
「……どうしよう」
ナゼルは笑った。
全てを承知している様な顔で。
「……禍を祓う。それが……俺達のすべき事」
「でも……」
ナゼルはそれを望んでいない。
「ルフは……絶対にこの状況を歓迎してはいないんだ。
でも、俺には彼を救う手立てがない。
ああなってしまったら……外からでは救えない……」
再びの遠吠え。
それと同時にルフを拘束していた鎖が消える。
そして、それに呼応する様に背後からも無数の鳴き声。
「……あっちは引き受ける」
城の外、私達が通って来た門の方から迫る狼の群れを睨みながら、御楯は手にした白雪を私に差し出した。
「刀、持ってないんじゃない?」
「一振り、力が戻った」
そう言って私に向けて見せた左手の甲には一筋の刺青。
「三人を守ってくれ」
「了解」
「……お前は俺が守る」
声、小っさ。
恥ずかしいなら言わなきゃ良いのに。
そう思ったけれど、あれ? 何だろう。にやつきが止まらない。
「疾る。偽りの骸で
それは人形。囚われの定め
死する事ない戦いの御子
唱、肆拾捌 現ノ呪 終姫
祓濤 金色猫」
「モード・メリジェーヌ」
稲光りの様な速さで狼の群れへと向かい行く御楯。
私は飛び上がり、パムの元へ。




