亡者の群れの中で⑧
現実でイツキの痕跡を探す。
しかし、そんな物はどこにも無く。
探せば探すほどに、彼女の存在がまるで蜃気楼の様に思えてくる。
彼女が言っていた、参宮橋のスリップ事故。
そんなものは、過去二十年遡っても起きていなかった。
明治神宮で弓道の大会は行われていたがそれと降雪が重なったことも無い。
IDOのランクの話も、過去を変えられるなんて話もネット上には一切無い。
つまり、彼女の話は……全てが嘘で。
そうすると、彼女の存在自体も虚構だったのだろうか。
せめて、もう一度。
何か……を。
そう願い、追いかければ追いかける程に、彼女の姿は薄らいで行く。
考えてみれば……禍津日なんて俺の中には存在しないし、そうするとイツキの存在も……。
休日の井の頭公園で、一人ベンチに座りぼんやりと考える。
幸せそうな家族連れや恋人同士にとってはさぞや迷惑だっただろう。
真っ昼間から沈んだ顔で涙を流す男がいて。
◆
寒いと思っていたら、降り出したのか。
最近元気が無い担任の現社の授業をBGMに、頬杖をつきながら窓の外を眺める。
ひらひらと白い物が舞っている。
傘、持ってないな。
本降りになる前にさっさと帰ろう。
そう。
今日みたいな日は、さっさと帰ろう。
明日は2月14日。
非モテがその現実を思い知らされる日。
しかし、明日は土曜日のため校内には一日繰り上げたそのイベントの気配が漂っている。
爆発しろ。
心底思う。
爆発しろ。
チャイムが鳴り、授業が終わると共に同級生達が窓へ寄って来る。
「うわ、もう、マジ最悪なんだけど」
俺の前の席で両手をついて机に寄り掛かりながら、恨めしそうな顔で窓の外を見つめるのは、東条。
「何? デートでもあった?」
前の席の主、村上がスマホを弄りながら問いかける。
「ちげーし。明後日、明治神宮」
「明後日には止むみたいよ。デート?」
「ちげーし。大会だし」
「なる」
「東条さんって弓道部だよね!?」
思わず立ち上がり、二人の会話に口を挟んでいた。
「え? そうだけど……何?」
露骨に嫌そうな顔をする東条。
「何? 何アピール?」
大げさに振り返り俺を見上げる村上。
「てか、誰?」
「イミふ」
まさか……いや、まさかな。
だが、しかし。
いや、まさか。
そうやって、何度も自問自答を繰り返し、結局参宮橋まで来ている訳で。
昨日一日降り続いた雪は朝には止んでいたが、脆弱な東京都心の交通機関を混乱させるにはそれでも十分だった。
始発と共に小田急線に飛び乗り、普段の倍、一時間以上かけて参宮橋へと辿り着く。
そして、積もった雪で底冷えする改札の外に立っていた。
何やってんだろう。
俺は。
こんな所で、ガタガタと震えながら。
でも、雪が降って、弓道の大会があって。
「こえーし」
不意に、声を掛けられた。
東条だ。
弓を持っている。
「誰かの応援?」
問われ、首を横に振る。
寒くて、顎が動かせない。
「マ? アタシの応援?」
嫌そうな顔で問われ、首を横に振る。
睨みつけるような表情を残し、東条は去って行った。
その後も、同じように弓を持った学生が俺の前を通り過ぎて行く。
やがて、そう言う学生の姿もまばらになって来て。
そろそろ開始時間なのだろう。
無駄足だった。
当然か。
帰ろう。
スマホを取り出し、改札を……。
丁度、上りホームへ新宿行きの電車が飛び込んで来る。
電車のドアが開くと同時に飛び降りてまっすぐに改札へ走ってくる弓を担いだ女性。
改札を抜けようとした俺の足が止まる。
猛ダッシュで改札を抜け、走る彼女とすれ違う。
その顔を、姿を追い掛けるように振り返る。
その向こうに、車が見えた。
咄嗟に伸ばした手が、彼女のコートを掴む。
不意に後ろから力を加えられ、体勢を崩しかけた彼女を強引に引き寄せ抱きとめる。
轟音と共に、メルセデスのGクラスが飛び込んできた。
車止めのポールを拉げ、歩道まで車体をめり込ませて来た鉄の塊。
それは、俺達の眼前で停止した。
「大丈夫?」
目の前で起きた突然の大事故に、顔を真っ青にした彼女に問いかける。
「え、あ、はい」
混乱の見える顔で俺を見返す彼女。
その顔は……記憶に残るイツキよりも随分と若い。
「あ、行かなきゃ。どうしよう」
自分の目的を思い出した彼女の肩を押し、体を離す。
「急いでるんでしょ? 行って」
「……良いのかな?」
「大丈夫」
背中を押され、そのまま足早に歩きだす彼女。
集まる野次馬に紛れるその後姿へ声をかける。
「頑張って!」
「ありがとう!」
振り返り、手を上げた彼女の笑顔に俺の知るイツキの笑顔が重なった。
彼女の過去が……変わったのか?
これで良かったのか?
「大丈夫ですか? もしかして、当たりました?」
車から降りてきた運転手が、立ち尽くす俺に声をかける。
片手で顔をおさえながら、首を横に振る。
涙が止まらなかった。
イツキが蘇る訳では無い。
でもイツキは生きている。
悲しいのか、嬉しいのかわからない。
ただ、涙が止まらなかった。
『亡者の群れの中で』篇 完




