氷上の軍人③
多分、俺の動向は監視されているのだろう。
鍵のないところは自由に出入りして良いと言われ船内をウロウロとするが、付かず離れず人の気配を感じる。
まあ、本来ならば現れるはずの無い部外者。
敵だと警戒してもおかしくない。
と言うか、ムサシが無警戒過ぎるのかも知れない。
拘束して隔離する方が普通なのではないだろうか。
夜の帳が下りた船の甲板へ出る。
全長二百メートル以上あると言う広い甲板。
その先には真っ暗な氷の海。
少し歩き、甲板の上に腰を下ろす。
見上げると満点の星空。
彼らの言葉が本当ならばここは北極だと言う。
だが、寒さは全く感じられなかった。
「綺麗でしょ?」
背後からかけられた声に振り返る。
タンクトップにショートパンツ姿のムサシ。
夜間にフォボスと呼ばれる異形が姿を現わす事はない為、警戒する必要はないのだと言っていた。
それにしても、ラフすぎる格好だと思うが。
「圧巻だ」
答えながら、再び星空へ視線を転ずる。
俺の知る世界と同じ星座がいくつか。
「あんまりじっとしてると服が凍り付いて動けなくなるよ?」
「え?」
言われ慌てて立ち上がる。
「全然寒くないのに?」
「感覚を遮断した世界だから」
「感覚を遮断?」
「そ。痛みとか、寒さとか暑さとか、そう言うの全部を遮断した世界」
「なにそれ。すごい」
試しに自分の手をつねる。
確かに痛みを感じない。
「夢みたいだな」
「お腹を切られても気付かないまま死んじゃうから気をつけてね」
成る程。怖い。
「私達はそうやって、得体の知れない知識に縋り生きながらえる道を選んだ。
それでも、世界はいつ終わるともわからない。
荒野になったアメリカ東海岸には今もメタトロンが封ぜられているけれど、高濃度放射線の影響で人どころか、機械すら近づけない」
「でも、ムサシ達が守るんだろう?」
「いやー、自分で言うのも何だけどさ、こんな小娘の細腕に世界の命運がかかってるとか本当どうかと思うよ」
そりゃそうだ。
「何で、戦ってるの?」
「うーん、まあ、他にやれる人が居ないから?
居ない事は無いけど、やっぱり少数なんだよね。
異形と戦えるのって。
私達みたいにそれを生業にしてきたか、ベッカムみたいなどこか壊れた軍人か」
「怖くない?」
暗闇の中の横顔にそう問いかける。
恐怖を乗り越える。
その手段があるならば参考にしたかった。
「怖いよ。
自分が死ぬのも、負けたら世界が終わるかもとか考えるのも。
でも、そんな事言ってられないし。
だから、なるべくそんな事考えない。
世界とかそんなよくわからない物の為に戦ってるんじゃなくて、友達とかそう言う人の為に戦ってるんだって、そう考えてる」
「なるほど」
「それに、なかなかない経験だよね!
北極の海の上でこうやって話するなんて。
子供が出来たら思いっきり自慢するんだ。
ママは北極の海を泳いだんだぞって!
私が負けても出来ないし、世界が終わっても出来ない。
でしょ?」
「そうだな」
闇の中に響くムサシの明るい声。
「俺も帰って世界を守らないと。
いや、世界じゃないな。知り合いを、守りたい人達と時間を」
「そうか。君も。
じゃ、私達は同志な訳だ」
「同志、か」
「うん。なんか良いね。帰っても元気でね」
「ああ。でも、美味いカレーをご馳走になったから明日一日は力を貸すよ」
「ありがと!」
一宿一飯の恩。
明日、何が起きるのか知らないけれど、少しでも力になろうと思った。
そして、その後に御識札へ飛んで帰ろう。
暗がりの中、同志だと言った女性の横顔を見ながらそう決める。
◆
翌朝。
銃を手にしたベッカムとムサシ。
そこから少し離れて立つ。
『定刻よ』
タカムラと呼ばれた男が一言、七時を告げた。
それと同時に、甲板の上の三人が同時に天を仰ぐ。
示し合わせた訳ではなく、ただ同時に何かを感じ取った。そんな風に。
重く雲に覆われた空。
そこに光が浮いていた。
幾つもの円と、それを繋ぐ線……あれは、セフィロト……生命の樹と呼ばれる文様。
光で描かれた巨大な絵が俺達の上空に出現した。
『二度目の人類の危機ね』
「……クソッタレ。
タカムラ、お前にだけは任せたくないが娘を頼む」
『御免よ。帰って自分でなんとかなさい』
「それが出来たらな。
小僧、武器を運ぶ。手伝え!」
ベッカムが武器庫の中へと走って行く。
言われた通りそれに続く。
ムサシは、その場から動かずただ天を睨みつけていた。
「ライチ」
ベッカムの後を追おうとした俺はムサシに呼び止められ振り返る。
「君は、帰れ」
「ん?」
「この先、命の保証はない。
失敗したら私達ごとこの世界が消される。
そう言う状況になった」
彼女の顔に、昨晩談笑した時の笑みは無かった。
同年代とは思えない程に、険しく真剣な顔。
「お前が倒れたらその数珠丸、貰って逃げるさ」
そう返し、格納庫の奥へと消えたベッカムを追う。
◆
格納庫の奥から荷台に砲身を搭載したピックアップトラックを運転し、ベッカムが現れる。
「ありったけの武器を乗せろ」
俺の鼻先で急停車したトラックの運転席から飛び降りながら指示を出すベッカム。
自身も次々に荷台へ銃を放り込んで行く。
それに倣い、手当たり次第に銃を積み込む。
「お前、運転出来るか?」
「そのまま海に落ちる自信があるけど?」
「クソッタレ!」
こちとらただの高校生なんだぞ?
「何が起きるんだ?」
「天使が現れる。
それ以上聞くな。オレも、いや、誰にも正確な説明出来ない」
「……何であれ、倒せば良いんだよな?」
「そうだ。お前も必要な銃を持って行け。
引き金を引けば、子供でも撃てる」
「いや、刀が良い」
「何でも良い。好きなの持ってけ」
その言葉、待っていた!




