高尾山登山①
朝九時。
とは言え、既に日差しは暑い。
今年の残暑も厳しそうだなとタオルで汗を拭いながら思う。
ロータリーに停車するバス。
降車する客の中に天使を見つける。
バケットハットに、リュックを背負い、ハーフパンツにタイツ姿ですっかり山ガールの格好に扮した天使。
その天使も俺を見つけ、微笑みを浮かべる。
訂正する。
女神だ。
その女神から送られて来たLINEを半月放置した末に会う早々抱きつくと言う痴態を行った俺は大罪人だ。
……いや、マジで通報されてもおかしくなかった訳だけど。
「おはようございます。
待ちました?」
「ちょっと早く来すぎました。
でも、全然苦じゃなかったです。全然」
夢のような三十分だった。
多分、三日ぐらいなら余裕で待てる。
「ま、私は半月待ったんですけどね」
そう、上目遣いに言う桜河さん。
だが、その表現は咎めると言う風では無く。
「じゃ、行きましょう。コンビニとか大丈夫です?」
「はい。平気です」
彼女と並び、京王線の調布駅へ。
そして、空席の目立つ、高尾山口行きの下り電車に乗って並んで座る。
「御楯くんに謝らないといけない事があります」
動き出した電車の中。
横の桜河さんが静かに口にした。
「……何でしょう?」
そんな心当たりなど微塵もなく、むしろ俺の方が謝るべき事の心当たりが沢山あるのだけれど。
聞くのがとても怖い。
でも、聞かなければいけない。
「昨日、探しに行ったんです。御楯くんを」
「え? ……俺、家教えましたっけ?」
そんな事、記憶にないけれど、なにかの弾みに口に出していたかもしれない。
「探しました」
「え?」
家って探せるもの?
「二月の大会、クラスメイトの人に会いましたよね?」
「ああ、村上ですね。良く覚えてますね」
「その時、彼女がこう言ってました。
『アタシはトウジョウの応援』。
なので、選手名簿見て、小田急線の高校でトウジョウさんを探して。
知り合いを辿って何とかその東条さんにたどり着いたんです」
「凄いすね」
「たまたま、色んな学校の女子の連絡先を集めるのが趣味の人が居たので」
それ、趣味なのかな?
「それで東条さんには、村上さんを教えてもらって、村上さんからアナスタシヤさんを教えてもらいました」
「あー、それで」
アナスタシヤが桜河さんを知ってたのか。
「そんな感じで、君の事を探ってました。
ごめんなさい」
ピョコンと頭を下げる桜河さん。
「……どうしてですか?」
「連絡が全然無くて、もしかしたら、死んじゃったのかなって思いました」
「すいません」
「でも、取り敢えず生きてはいるらしいって聞いたので安心はしました」
電車は多摩川を渡っていく。
水面が真夏の日差しを反射しキラキラと輝いていた。
「住んでる所は、アナスタシヤさんが教えてくれました。
家、近くなんですってね」
「隣です。この春にウチの学校に来た留学生」
「良いな。同級生」
「え?」
隣で桜河さんが俺を見上げ微笑む。
「これが私の懺悔です」
「俺は、えっと、もっと謝る事があります」
「はい。だと思います」
電車の中は行楽姿の乗客が目立つ。
目的地は皆同じだろう。
「えっと、連絡をしなかった事」
「はい。寂しかったです」
「すいません。
それと、結局海もプールも花火も行けなかった事」
「はい。残念です」
「あと、昨日、いきなり抱きついた事」
「はい。びっくりしました」
「色々とごめんなさい」
「謝って、許し合えるって、良いですよね」
「え?」
「会えないと、それも出来ないんだなって。
もう、会えないのかなって思ったんですよ」
「……俺も、思いました」
電車が、高尾山口駅に着いた。
駅のホームに降りると同時に夏の日差しが強烈に降り注ぐ。
「あー、可愛い!」
駅から出て山へと向かう。
その途中、登山口の手前。
小さなムササビの像を見つけ、しゃがみこみ頭を撫でる桜河さん。
「ケーブルカー、乗りますか?」
観光客向けの商店が並ぶそのすぐ先にケーブルカーの駅がある。
それを見ながら桜河さんに尋ねる。
「歩いて登りたいです」
彼女は立ち上がり、大きな看板に描かれた地図の前へ。
「色んなルートがあるんですよね」
「あ、ここどうです? 滝がありますよ」
「俺は良いですよ」
「じゃ、ここから登りましょう」
六号路と呼ばれる登山道。
そこから山頂を目指すことにする。
「御楯くんは、何をしてたんですか?」
狭い登山道を二人で歩く。
その中で桜河さんが核心に触れる。
「……G Play、わかりますか?」
俺は彼女に対し、隠していた事を全て打ち明ける事に決めた。
それで、嫌われようと仕方ない。
そう言う思いで。
「別の世界へ行けるってやつですか?」
「そう。それです」
「ニュースで見るくらいには」
「初めは、友人に誘われて。
去年の夏、サービスが開始された直後です。
その後は、週末の度に行ってました」
「どんな所なんですか?」
「薄暗い洞窟の中だったり、遺跡の様な建物の中だったり、都市の廃墟の中だったり、海の上だったり。
脈絡が無くてバラバラで、でもたった一つ。出口を見つければ帰って来れる。
そんな所です」
「洞窟って、暗くないのですか?」
「不思議な明かりがある事が多いです。
光る苔とか、ぼんやり光る岩とか」
「遺跡とか、廃墟って食べ物とかあるんですか?」
「向こうだと、あまり食事は必要ないんです。
それと、睡眠も」
「夢みたいですね。
あ、夢って、寝ている時の方です」
「そうですね。
見える景色も、少し現実離れしてます」
「海の上って、船ですか?」
「いや、海の上に立って歩きました」
「忍者みたいに?」
「そうですね」
「楽しそうですね。私にも出来るんでしょうか?」
「わかりません。
その能力は、俺だけの能力みたいなので」
「御楯くんだけ?」
「そう。
それぞれに違う力、桜河さんには桜河さんの力があるんだと思います」
登山道は木々が生い茂り、夏の日差しを木の葉が遮る。
「私の力か。なんだろう。
少し行ってみたくなりました」
「でも、危険です」
「どんな風にですか?」
「襲って来る敵がいます。武器を持って。
ゲームやファンタジー小説に出てくる魔物や、ハリウッド映画のゾンビみたいな」
「それを倒しながら進むんですか。
物語の主人公ですね」
「危ないのはそれだけではないんです」
登山道の横を流れる川の音が耳に涼しい。
「向こうで人が人に殺されるのを見ました。
目の前で」
「えっ……」
「でも、それは裁かれないんです」
「え、そうなんですか?」
「はい。
向こうへは、日本の法律は及ばないらしいので。
だから、殺人だけでなく他の犯罪も」
「……御楯くんも?」
首を横に振りながら答える。
「今のところ、そう言う必要がなかったので」
今は、まだ。
「あと、この世界に戻って太陽の下を歩けない様な行動はしない方が良い。
そう忠告されました。
それは、その通りだと思ってます」
或いは、常識の内に留まれ、と。
「その必要が出たら?」
桜河さんは真っ直ぐに俺を見て問う。
「……わからないです。
その時にならないと」
「ですよね。
それは、向こうとか、こっちとか、あまり関係ないと思います。
そんな事、ないですかね?」
誰かを殺さねば帰って来れない。
以前は、そんな状況になれば迷わず殺すつもりでいた。
だけれど、そうやって帰った後に、何食わぬ顔で再び桜河さんに会えるだろうか。今はそう言う迷いを抱えつつある。
「何も知らない私が言える事では無かったですね。
御楯くんは、一年も行き続けたんですから」
考え、答えを出せない俺に桜河さんが明るく言う。
「いや、一年では無いです」
「ん?」
「えっと、去年から桜河さんに会うまで。
それから暫くは行って無かったです。
また行きだしたのは、今年の五月からです」
「お休みしてたんですね。
何かあったのですか?」
「……桜河さんに会って、もう行く必要は無いなと思って」
「……またそう言う……」
耳を赤くしながら言った台詞。
横を歩く桜河さんがバケットハットの両脇を下げながら顔を隠す。
「暫く行って無かったのに、また行きはじめたのはどうしてですか?
五月に何があったんですか?」
登山道の横に置かれた丸太のベンチ。
並んで座り、桜河さんが持ってきたドライフルーツを食べる。
「ひとりの女の子と知り合いました。
その子は、生まれ故郷から遠く離れた国でスパイの真似事の様な事をさせられていました。
だから、その子を助ける代わりに、俺がG Playに行って、その情報を渡す。それを繰り返せばいずれその子は自由になる。そう言う取り引きをしました」
「好きな人……なんですか?」
「え? いや、全然。
むしろ、若干の恨みすらありますけど」
「……ちょっと、御楯くんの言ってる意味がわからないのですけど、何でそんな人を助けようとするんです?」
「その時は、助けなきゃ、と思ったんです。
手を伸ばし、届くなら。
それに、妹に少し似ていたんだと思います」
「あ、妹さん居るんですか。初耳でした」
「いいえ。ひとりっ子です」
「……えっと、御楯くんが何を言ってるのかさっぱりわからないんですけれど、ひょっとして冗談ですか?」
「すいません。俺も何言ってるか、わからないです」
「そう言えば、最初からそうでしたもんね」
川の中の飛び石をピョンピョンと渡って行く桜河さん。
「じゃ、今はその女の子の為に頑張ってる訳ですか」
「……結果的にはそうですけど、それだけじゃ無いです」
「と言いますと?」
「何て言うか、自分の力を試すと言うか、そう言う高揚感とスリル。そして、それが……この世界でも認められていると言う実感。
そう言うのがあったんです」
「……それは、わかる気がします。
私が言いたいのはそう言う事では無かったんですけど」
「え?」
「御楯くんは、女の子の為に頑張ってるって所です。重要なのは」
「それは、でも」
「実は私もそうなんです」
「え?」
「私がインターハイで頑張ったのは、玉の輿に乗るためなんです!」
「ええ!?」
「冗談です。
でも、それくらいの告白でしたね。さっきのは」
「すいません」
「私の方こそ変なこと言ってごめんなさい」
浮き出た汗をタオルで拭いながら笑う桜河さん。
「……いや、やっぱり彼女の事は、きっかけでしか無かったのかも知れない。
向こうの世界に、居るんです」
「誰がですか?」
「俺の知らない……俺が」
そして、俺の感情を駆り立てる何かがあるのだ。
前を歩く桜河さんが立ち止まり、振り返る。
「そろそろ頂上みたいですよ」
俺を待つ桜河さんの横へと急ぐ。
もう、離れないように。




