降り注ぐ蝉の声⑤
「……おーい……おーい、生きてる?」
声と共に体を揺すられ目を開ける。
「ん、生きてるね……動ける?」
誰かが俺の側に居る。
だけれど、目が霞みよくわからない。
「衰弱、かな。
とりあえず、水飲んで」
地に横たえていた体を抱き起こされ、水筒の水を流し込まれる。
爽やかな水が、俺の中へと染み渡って行く。
「幻の王
響く声、笑う声
未だ夢から醒めず
全て暗闇の中に
唱、伍 命ノ祝 卑弥垂」
その後にかけられた術。
少し体が楽になり、視界が焦点を結ぶ。
そして、ハッとした。
助けが、来た。
俺の顔を覗き込む、金髪の少女。
その目。虹彩の中に虹彩、直毘の証、稜威乃眼。
「姉貴、飴があった」
「サンキュ。食べれる?」
問われ、小さく頷く。
直後、口の中へ異物が押し込まれた。
……不味い。ハッカ飴だ……。
だが、何日かぶりに口にしたそれをゆっくりと舐めながら、俺を助けに来た二人組を観察する。
金髪の女の子と黒髪の男の子。
どちらもその目に直毘の証。
「何があったの?」
金髪の少女に問われ、俺は喉の奥から声を捻り出す。
「……門を……壊された……」
彼女にそう呟いてから気がつく。
彼女が助けに来たところで、門が無いことには変わりはないと言う事に。
「門って……壊せるの?」
「さあ? そんな事、試した事ないし」
「だよね」
彼女が振り返り後ろの男の子へ尋ねる。
腕組みをしながら首を傾げる男の子。
「門、どっち?」
問われ俺は顎でその在処を示す。
「ちょっと、見てくる」
「へーい。気をつけて」
示された方へと彼女が歩き出す。
その手に赤い槍。
男の子の方は、俺から少し離れ火を起こし始める。
「はい。お茶」
差し出された銀の器を受け取る。
湯気と共に爽やかな香りが立ち上る。
それにゆっくりと口をつける。
「どれくらい居たの?」
「……正確にはわからない。多分、十日くらい」
「うわ。きっつ。
どうやって壊したんだ? 殴って?」
「……喰われた」
「は? 門、石碑を?」
「そう」
「ワニ?」
「……ベルゼブブ」
「ん? 蝿の王?」
「暴食」
「七つの大罪か。そんなのが居るんだ。
魔王ね。
そりゃもう直毘の出る幕じゃないな。
……直毘、だよな?」
「ああ」
俺の返事に笑みを浮かべる男。
そう言えば、名前も知らない。
「俺はライチ」
「俺はユズ。次期、御紘当主」
「え?」
御紘の……次期当主?
それは、俺の知る限り御紘杏夏と言う女の子の筈で。
いや、彼女は……亡くなったのか……?
お茶のカップを持ち困惑する俺の前に、門を見に行っていた女の子が戻る。
「どうだった?」
「それっぽい残骸はあった。
ユズ、反対側見て来て」
「へいへい」
仕方なさそうな顔をした後に立ち上がり、門があった方とは逆へユズが歩き出す。
腰に手を当てユズの後ろ姿を見送る女の子。
そして、俺を見下ろし口を開く。
「なんか、穴だらけだったんだけど、君の仕業?」
「……ああ」
「門も自分で壊したの?」
「まさか。喰われたんだよ」
「喰われた? ワニ?」
何で二人ともワニと言う結論に至るのだろう。
「暴食のベルゼブブ」
「蝿の王か。
それが門を食べた、と。
美味しいのかしら?」
「人が食う物じゃない」
「……え? まさか、君も食べたの?」
問われ俺は頷く。
同じ事をしたら、同じ力が手に入るのではないか。
結果は、言うまでも無い。
「……馬鹿じゃないの?」
女の子が呆れた様に言う。
「何とかして帰ろうと、思いつく限りの事をした。
穴だらけなのもその所為。
他に出口が無いか探してたんだ」
「ん? 君、直毘よね?」
「ああ」
「飛渡足は? 使えないの?」
「…………使える。でも、飛び先が無い」
「ああ、なるほど。
大丈夫。私達が幾つか御識札を埋めてあるから」
そう言って女の子は俺の額へ指を当てる。
「目、閉じて」
俺はその言葉の通りに。
「竜を告げる
闇夜の鈴の音
馳せよ 烈火の如く
唱、陸拾参 現ノ呪 伝侵」
暗闇の中、一つの印が浮かぶ。
……御紘……の……二。
「伝わった?」
「……ああ」
「それが門のすぐ側の札」
「少し休んだら帰れるでしょう?」
「…………ああ」
そこへ飛ぶ、飛渡足。それを使うと代償がある。
だが……背に腹は代えられない。
「あれ?
嬉しくない?」
「……いや、そんな事ないよ。
ありがとう」
「いやいや。すっごい微妙な顔してるけど?」
「……いや、そんな事ないよ」
答えながら、無理に笑顔を顔に貼り付ける。
「そんな事なくないでしょ? 気になる事があるなら言いなよ」
「……代償がある……。だけど、仕方ない。」
それでもやらなければ二度とここから帰ることが出来ない。
生きて帰ってこそ……なのだ。
「代償?」
女の子は顎に手を当て小さく首を傾げ考える仕草をする。
「……ああ、庶家の血脈に刻み込まれた呪いって奴ね?」
……血脈に刻まれた、呪い?
何だ、それは。
そして、その他人事の様な言い方が引っかかった。まさか、この女の子は宗家・御天の人間か?
しかし、宗家に同世代の女性は居なかった筈。
風果を除いては。
……いや、俺が知らないだけで風果の様な外に生まれた子がいるのかも知れない。であれば、ユズもそうか? 確か姉と呼んでいた。しかし、御紘の次期当主と……止そう。素性の詮索は。
気にはなるが、助けに来てくれた恩人。
直毘の仲間。それこそが、この二人。
「呪いって、何の事?」
「ああ、知らないか。
庶家七門に対し、御天が力を抑える為にその血脈に受け継がれていく呪いをかけたって話」
「宗家が?」
「それが代償」
禁呪、神の力を使う事。
御天に流れる神の血のみに許された術。
ではなかったのか?
……呪い……?
然もありなん。他を下げ、自らを上げ。宗家らしいやり方だ。
「飛渡足の代償って何だっけ?」
「心を消す」
「心……ああ、記憶。
……そっか! 忘れたく無い人がいる訳か。へー」
そう言って自然に浮かんだ笑みは、クラスの女子が休み時間にしている顔と何ら変わりはなかった。
直毘。だけれど、普通の女の子。……俺や風果とは違う。
「どんな人?」
「何が?」
「忘れたく無い人。恋人?」
「別にいいだろ。誰でも」
「やー気になるじゃん。
命と天秤にかける程の想い?
なにそれ裏山」
笑いながらこちらに歩み寄って来る。
「……片想い」
横を向きながら答える。
何でこんな話に?
「へー。それでどうなの?
いけそうなの?」
「……可能性、無いことはないと思う。
てか、どうでも良いだろ。
そんな事」
何だよ。コイツ。
「その呪い、解く術があるけど?」
「……本当か!?」
その言葉の意味を理解し、思わず立ち上がる。
「まあね」
「頼む!」
「もちろん。その為に助けに来たわけだから。
……動かないでね」
そう言って女の子が俺に向け、両手をかざす。
そこに、力の高まり行くのを感じ取る。
「清らかなる水
その始原の一滴 無垢なる乙女の涙
神より産まれし神
瀬織津比売
ここに現し給え
唱、佰玖 天ノ禱 思々三千降」
天ノ禱、佰玖?
瀬織津比売の力を行使すると言う聞いたことの無い術。
「な……!?」
あっという間に水の中へと閉じ込められた。
そして、全身をくまなく襲う激流。
体内へ潜り込む水。
代わりに押し出されるのは血。
目の前が真っ赤に染まる。
◆
「…………ぅ…………ぁ」
まるで洗濯機の中に入れられバラバラにされ洗われた様な感覚。
「別に悪気は無いからね?」
白縛布で作られた大きな白い布。
俺の上にかけられたそれ越しに女の子の声が聞こえる。
少し、申し訳なさそうに。
「私も初めてだったし」
ぶっつけ本番で人をここまでボロボロにするとかドSかよ。
布で涙と涎と鼻水を拭い、身を起こす。
その弾みで耳からも水が流れ出た。
「……気持ち悪い。フラフラする」
「ドエスかよ」
ユズが悪態を吐きながら俺の横へ座り込む。
「艶やかな朱は汝の色
豊穣に金色は揺れる
神より産まれし神
倉稲魂命 ここに現し給え
唱、佰肆 天ノ禱 命鳴」
彼が掛けたそれは、御紘の禁呪。
「どう?」
気分は落ち着き、力も少し戻った様だ。
「ありがとう」
「飛べそうか?」
ユズの問いかけにゆっくりと目を閉じる。
体の中から、今までよりはっきりと力を感じる。
それは速秋津比売の力。
行けそうだ。
目を開け、ユズと女の子へ頷きを返す。
「一応、これ渡しておく」
そう言って小さな木片をユズから手渡される。
御紘の四。そう刻まれていた。
「転移してすぐに札の気配が消えたら帰れたと思う事にする。
そうでないならその時は……」
「当然、助けに行くわよ」
ユズの言葉を女の子が引き取る。
「……重ね重ねすまない」
深々と頭を下げる。
「情けは人の為ならず」
「片想いの子にヨロシクね」
心地良い笑顔で送ってくれる二人にもう一度頭を下げ、詠唱。
「虚ろを巡る鳥
天を翔ける石の船にして
神より産まれし神
鳥之石楠船神
ここに現し給え
唱、佰弐 天ノ禱 飛渡足」
瞬時に景色が切り替わり、俺の前に現れる門。
手を伸ばし、それに触れる。
ああ……帰れる。
◆
タブレットの置かれた小部屋。
瞬時に切り替わった景色。
現実へ戻ったのだと理解するまでに一拍。
帰って来たと喜びが湧くまでにさらに一拍。
そして、今日は何日だろうとスマホを取り出すが充電切れの端末は微動だにせず。
……マズい。桜河さんとの約束、すっぽかしたままだ。
いや、約束にも至ってない。
早く充電して連絡を取らねば。
しかし……何と?
そもそも何日連絡をすっぽかしているのだ?
急ぎ、外に出る。
停めっぱなしになっていた自転車は、撤去される事は無かったが籠にはゴミが溜まりタイヤの空気は完全に抜けていた。
逸る気持ちを堪え、その自転車を押し家路につく。
真夏の午後の日差しが、俺に帰ったばかりの現実の厳しさをヒシヒシと伝える中、自転車を押す。
降り注ぐ蝉の声も懐かしく思えたのは最初の数分。
途中で寄ったコンビニで十五日以上向こうに行っていた事を知った。
そして、流石に怒っているだろうなと桜河さんの事を考え憂鬱になる。
いや、怒ってると言うか、嫌われるだろ。もう。
詰んだな……。
帰ったら、シャワーを浴びてそのまま寝てしまおうか……。
何度も溜息を吐きながら、30分かけ何とか自宅マンションの前まで辿り着く。
そこに、信じられない光景があった。
俺はまだ現実へ戻ってはいないのか……?




