降り注ぐ蝉の声④
最早蝉すら湧かなくなって静寂しかない洞窟の中。
ベルゼブブと共に門が消えた。
それは帰る手段を失うと言う事。
その状況をすんなりと受け入れる事など到底出来なかった。
今まで門が二つあった事など無かった。
それでも洞窟の中、端から端まで隈なく探す。
見つけられたものは、絶望。
術を使い、当ても無くあちこちに穴を開ける。
掘り出したそれは、失望。
そんな事をしても何にもならないとわかっていながらも、喚き散らし、怒鳴り声を上げる。
だけれど何も起きなかった。
持っていた食料も尽きて久しい。
最早時間の感覚など無い。
それでもまだ、体は動く。
そして、帰りたいとそう思う。
何か手段は無いか。
何度も考えた。
何度も何度も。
そして、その度に独力で切り開く術はないと言う結論に行き着くのだ。
瞬間移動の禁呪、飛渡足。
それが使えたならば、あるいは世界を越え戻る事が出来るかもしれない。
だけれど、その移動先が無いのだ。
行ける先、それは視界の範囲、もしくは御識札がある所。つまり自身が認識出来る所。
御識札を認識するには、事前に一度それを確認する必要がある。今まで御識札を作った事などない。
だから、当然飛ぶ先なんてない。
それに仮にあったとしても、禁呪を使う為には代償が必要。
それは、桜河さんへの想い。
それを断ち切るなど到底受け入れられない。
洞窟の壁にもたれかかる。
全身を包む疲労感と空腹感。
立ち上がる気力は、最早無い。
立ち上がった所で、出来る事など何一つ無いのだから。
静かに襲い来る睡魔。
このままここで寝て、敵に襲われたら二度と目覚めないかもしれない。
ただ、起きていたとて状況が好転する訳ではない……。
◇
畳の上に正座し、凛と背筋を伸ばす若い女性。
それとは対照的に俯き加減で猫背の子供が二人。
「背中を伸ばして、私を見なさい」
穏やかな口調で、しかしはっきりと女性が命ずる。
おずおずと顔を上げる女の子。
それは幼い妹、風果。
ならばその横で相変わらず顔を伏せている男の子は俺か。
では、その向かいで口を真一文字に結び、だけれど、どこかしら安らぎを覚える様な表情の女性は……師匠だ。
御槌四葉。
俺達兄妹の監視役であり、直毘としての全てを教えてくれた人。
何より、俺達兄妹に対し人として接してくれた人。
ああ、これは夢だ。
懐かしい、夢。
このまま目覚めなければ、あの家での厳しくとも、穏やかだった時間に行き着く……。
「頼知、顔を上げて。
私と目線を合わせて」
再び言われ、渋々と顔を上げる男の子。
そして、彼女は二人の前へ小さな木片を置く。
「これは御識札と言う物」
小さな木片。
そこには天に乚、御槌を示す一文字と四を示す穴位置。
「直毘、その仲間に自分の、或いは敵の位置を知らせる物だ」
ゆっくりと言って、そこで一拍置く。
そして、子供に言い聞かせる様にゆっくりと続ける。
「修練を積めばいずれはこれの位置がわかるようになる」
風果だけ、小さく頷く。
「だが、位置がわかるのは見た事のある御識札だけ。
電話番号の様な物。
知らなければ、掛ける事が出来ない」
そう言われ、だが子供二人はピンと来て居ない。
電話など使った事がなかった。
二人はそれ程までに幼かった。
そんな二人の前に、師匠は別の木片を一つずつ置く。
縦に赤い波線が一本掘られた物。
「だけれど、これは違う。
直毘の全員が知っている印。
仲間がかならず助けに来る。そう言う印だ」
二人は畳の上に置かれた札をじっと見つめる。
「だから、この札は肌身離さずに持っていなさい。
使い方はこれから教える。
二人がこれを使う時、必ず誰かが助けに行く。
いや、私が行く。
だから、絶対に無くしては駄目だよ」
ああ、そうだ。
これは俺達の家に最初に師匠が来た日の事だ。
親に捨てられ、一族の腫れ物として扱われた二人に取って、味方がいると言う事ははじめての事。
その証である御識札。
六年近く肌身離さずに持っていたそれは、師匠が結婚した後に二人同時に火にくべ燃やしたのだ。
一族から離れた師匠との決別として。
風果が、畳の上の御識札を取り上げ手の中でマジマジと観察する。
そして、微かに笑みを浮かべた。
◆
御識札……苦境の印。
狐白雪で木片に波印を彫り、そこに自分の血を塗り込む。
助けなんて来る当ては無い。
そもそも直毘は、俺の設定の中だけの存在。
だから、こんな物を作った所で……。
それでも、縋りたかった。
必ず助けに来ると言う師匠の言葉に。
「石連なる先
戻ること無い道の半ば
孤独を残す標と成る
唱、伍拾捌 現ノ呪 枝折」
祈る様に握りしめた木片。
それに刻まれた印が微かに朱く光る。
およそ、五秒程。
光が消えた木片を握り、目を閉じる。
暗闇の中を狼煙の様に立ち上る赤い光。
自分のすぐそばにそれを感じ取る。
目を開け、それを地面に置き少し離れ壁に寄りかかり腰を下ろす。
いや、倒れ込んだ。
じっと、その木片を見つめる。
眠り、また同じ景色の中で目覚めた事に絶望する。
所詮、直毘なんて設定の中だけの物。
それに縋った所で救いなんてある訳はない。
絶望の中、目を閉じ再び眠りに落ちる。




