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酒の記憶

「寄るな!」


 トロンとした目つきで言ったアナスタシヤに怒鳴りつけながら後退る。


「これしか、出来ないデス」

「……酔ってそう言う事を言う奴は……殺したくなる」


 自分でも驚くほどに気持ちが冷めていた。

 下着姿の女性を前にしても、だ。


 原因はわからない。

 だが、アナスタシヤの言動が許せなかった。

 或いは酒の匂いの所為かもしれない。

 或いは荒い息遣いかもしれない。

 とにかく、目の前にいるアナスタシヤと言う物に対し、俺の全てが、嫌悪感を感じ、拒絶反応を示し……殺意を覚えた。


 どんな顔をしていただろう。


 俺の様子にアナスタシヤも流石に異常を感じ取ったのか、顔を強張らせ、二歩三歩とゆっくりと後ずさる。


 次第に顔を青くするアナスタシヤ。


 その顔から目を逸らさず、動く事も出来ず。


 沈黙の時間が、静かに流れる。



 先に動いたのはアナスタシヤ。


 ガクンと頭を下げ、そして、吐いた。


 …………ええええええええ!!??


 おまっ、マジかよ!?


 飛び散る吐瀉物。

 立ち込める匂い。

 その上に座り込む下着姿の女。


 地獄。

 まさに地獄。


「怖い……デー……ス」


 首をフラフラとさせながら、涙を流すアナスタシヤ。

 いや、泣きたいのこっちなんだが!


 落ち着け。

 KBCで鍛えたのだ。

 常に冷静に状況を分析せよ、と。

 自分の出来る事を見極めよ、と。


「取り敢えず、お前、風呂行け!」

「いーやー」

「行けよ、マジでぇ!」


 ゲロまみれのアナスタシヤを引き上げ、立たせ、無理矢理引きずって行って下着姿のまま風呂場へ放り込む。


「全部流せ!」

「ダー」


 アナスタシヤの足跡で汚れた洗面室の床に雑巾をかける。

 後ろからシャワーの水音。

 ……じゃない音も混じっているような気もする。

 泣きたい。

 バスタオルを床に置いて、洗面室から出て……途方に暮れる。


 いや、途方に暮れた所で救いは無い。

 キョーコは帰らず、加害者は使えない。

 俺がなんとかしないといけない訳だ……。


 取り敢えず、窓を開け、室内の換気扇を回しマスクをつける。

 戻したカーペット上に山ほどティッシュをぶちまけそれを掃除する。

 カーペットにこびりついた汚れをティッシュで落としすぐにビニール袋に詰め込んで行く。


「ヨリチカー!」


 シャワーから出たアナスタシヤが洗面室で呼ぶ。

 それを振り返らずに片付けをしながら返事を返す。


「何だよ」

「眠ーい」


 死ね。


「部屋で寝てろ!」

「ダー」


 帰れ!

 自室へ!

 奇跡的に被害を免れたワンピースは洗面室に置いてある。

 それ着て帰れ。


 ごそごそとアナスタシヤが出て行くのを背中で感じながら部屋の片付けをする。


 テーブルをどかし、カーペットを洗濯機に入れ、部屋に雑巾をかけ、消臭スプレーをこれでもかとぶちまく。

 ゴミを全て捨てて片付けがひと段落し、浴室の扉を開け愕然とする。

 脱ぎ捨てられた下着と異臭。

 排水口ネットに残された吐瀉物の残骸。

 それを片付け、風呂の床に洗剤を撒いて流し洗濯の終わったカーペットを干し……それでひと段落。

 ……疲れた。

 風呂に湯を張る間にコンビニへ飲み物を買いに行ったのは日付が変わる間際。

 幸せなデートの余韻など微塵も残っていなかった。



 自分の匂いを気にしながら買い物を済ませて風呂に入ろうと自室の電気を点け、固まる。

 ベッドの中に、アナスタシヤが居た。

 床にはワンピースが転がっている。


 ……俺のベッドで、全裸の女が寝ている?


 その夢のようなシチュエーションにも、溜息しか出て来ず。

 手早く着替えをクローゼットから取り出し部屋の電気を消しながら扉を閉める。


「おやすみ」

「ドーブライ ノーチ」


 去り際の言葉に寝言が帰って来る。

 逆だったらアイツ死んでたな。


 ◆


「……昨日はすいませんデシタ」


 翌日、物音にソファで目覚めるとアナスタシヤがパンを焼いてコーヒーを淹れていた。


「お前、二度と飲むな」


 顔を見て再び怒りが込み上げる。


「……それは、無理デス。

 あと、昨日の事は忘れて下サイ」

「それは無理だ」

「忘れて下サイ!」

「ならもう飲むな!」

「無理デス!」


 はあ。

 溜息しか出ない。


「……頑張りマス」

「……あっそ」

「……忘れて下サイ」

「忘れた」

「ありがとう……ございマス」

「洗濯機の中に下着放り込んであるからどうにかしろ」

「忘れたって言ったじゃないデスか!!」


 大して覚えてねーよ。

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