亡者の群れの中で④
光の中をうろつく亡者とゾンビ犬。
夜よりは格段に動きの遅いそれらを葬りながら廃墟を歩き、そして天井が赤く染まり始める。
夕方だ。
結局、依代と成り得るような物は見つからず。
イツキと約束した場所へと向かう。
焚き火の前に腰を下ろし、自分の右手を見つめていたイツキは俺が近づくとその顔を上げる。
手相でも見て、今年を占ってたのか?
「コーヒー、要る?」
問われ、頷く。
大して美味くは無いが、多少は気が晴れる。
「持って六秒」
コーヒーを受け取りながら俺は正直に自分の術の限界を伝える。
その答えに僅かに眉を上げるイツキ。
「後は私次第か……。400まで近づいて射てば行けるわね」
「俺の術で奴が放つ光線を受け止めている間に、君が矢で射抜く。
そう言う算段だよね?」
改めて、確認するとイツキは小さく顎を引く。
「そもそも、その作戦で上手くいくの?」
「じゃ、他に何かある?」
ムッとしたような表情で言われ首を横に振る。
「でも、失敗したらどっちか死ぬよ?」
盾が保たなければ俺が。
矢が外れればイツキが。
「……わかってる。その時は、私が死んであげるわ」
そう言ってイツキは立ち上がる。
日が暮れ、亡者の呻き声とゾンビ犬の遠吠えが聞こえて来た。
そして、昨日まで無かった音……。
「カラス!?」
羽音と、泣き声。
見上げると空を飛ぶ黒い影。
「下は全部任せて良いかしら?」
「上を気にしなければ」
イツキに問われ頷きながら答える。
今日も長い夜になりそうだ。
そう思いながら、術の詠唱を始める。
「伸びよ。満ちよ
それは森の王の寵愛の如く
穴を穿ち、餌と成せ
唱、弐拾壱 壊ノ祓 骨千本槍」
片膝を付き、大地に手を当てる。
俺とイツキを中心に周囲をぐるりと取り囲む様に幾千もの白い槍が出現し、亡者共を串刺しにする。
そのまま全ての力を吸い付くし、塵へと返していく。
◆
にじり寄って来る亡者共を骨の剣山の餌食とし、それを乗り越えて来るような奴は爪刀で斬り落とす。
上を舞うカラス共は、イツキが正確な弓さばきで地に落として行く。
そうして三日目の夜が明ける。
天井が明るくなり、それでも残った亡者共を走り回って一掃。
また夜には溢れかえってくるのだろうけれど。
「タフね……」
戻った俺にイツキが呆れたような声を掛ける。
一晩中亡者からマナを吸い取り、肉体的には言うほど疲れは無い。
精神的には少し、うんざりしてきているけれど。
「顔でも洗ってきたら」
そう言いながら術で作り上げた白い布を渡す。
受け取り、腰を上げるイツキ。
その間に、俺は火を起こし湯を沸かす。
遅いな。
どっかで亡者に襲われたか?
探しに行くか?
そんな風に思い始めたタイミングでイツキが戻る。
「ありがとう」
さっぱりとした顔でイツキは言う。
それにお茶を差し出す。
……良い匂いがした。
「いい香りね」
お茶を受け取りながらイツキが言うが、それ以上に石鹸の様な香りがイツキから漂っており。
よく見ると髪全体がかすかに湿っている。
そうなると自然、自分の匂いが気になり出す。
少し、離れるように座り直す。
イツキは自分の荷物から、何かを取り出した。
「食べる?」
「え、あ、うん」
ドライフルーツの様な物だろう。
差し出されたそれを受け取る。
自然、体が近寄り再び彼女の清潔感のある匂いが鼻をくすぐる。
早くなる鼓動を自覚しながら、受け取ったその紫の物体を口に放り込む。
微かな甘味。
「……美味い」
俺が持っていた干し肉とは天と地の差だ。
「このお茶も」
そう言って微笑みを向けるイツキ。
俺はすぐに目を逸らす。
自分でも信じられないくらいに心臓が早鐘を打っていた。
落ち着け。
自分に言い聞かせる。
そうだ。
素数、素数を数えて落ち着くんだ。
一、三、五、七、九……。
◆
五百メートル先の的を射抜く為の遠的の練習。
そう言って、弓を引き絞るイツキを座って観察する。
「別に見てなくても良いんだけど」
「護衛」
そう言って上を指差す。
そこにはカラスの姿。
ここでどちらかが欠けて困るのはお互い様。
得るものも無さそうなので動き回ってマナを消費する必要も無い。
こうして真っ直ぐに飛び行く矢の美しい軌跡とそれを放つ女性の背筋の伸びた立ち姿を見ていたかった。
イツキは小さく溜息を吐き、矢を番え遠くへ置かれた的を見据える。
弓を引き絞り、そのまま動きを止める。
そのまま三秒程。
そして、放たれた矢は真っ直ぐに的に見据えたパラボラアンテナへと向かい行き……その手前で蒸発する様に消滅した。
彼女の放つ矢は、実物が無いマナの塊だと言う。
一度、弓を下げ、そして再び構える。
彼女は無言のまま、矢を放ち続けた。
何度も、何度も。
五百メートル先の的へ彼女が矢を当てたのはその日の夕方近くだった。
「どう?
一日観察していた感想は」
俺を睨みながらイツキが言う。
「んー……綺麗……」
「は?」
「あ! ちが! 立ち姿が!」
「……これでも経験者だから」
「弓道の?」
そう言やウチの学校にも弓道部あったな。
「そう」
「ふーん。その経験を生かして異世界で大活躍って訳か」
「……君は、何でこんな所へ来てるの?」
「何でって……大した理由は無いけど……」
強いて挙げるならば……快楽か?
生き延びる快楽。
「……過去を変えられるって言う話、信じてる?」
「は?」
「私は……その為にここへ来てるのよ」
何だ?
その話。
ネットの噂か?
彼女は自分の右手を見つめ、そっと握りしめる。
二度程。
憂いを帯びた表情。
……考えてみれば現実世界で満たされているならば、わざわざこんな所へ足を運ぶ訳は無いか。
夕焼けの様な明かりがイツキの顔を赤く染める。
そろそろ夕暮れだ。
「昨日と同じ様な感じで戦おう」
「そうね」
マナを溜め込みつつ。
イツキを守りつつ。
天井がすっかり暗くなり、申し訳程度に残る街灯が今夜も亡者を浮かび上がらせる。
空からはカラスの鳴き声。
昨晩と違う所はあるか?
いや、まずは先制だ。
「伸びよ。満ちよ
それは森の王の寵愛の如く
穴を穿ち、餌と成せ
唱、弐拾壱 壊ノ祓 骨千本槍」
周囲の亡者をまとめて串刺しに。
残りは居るだろうか。
それを確認する為に周囲に目を凝らし、気配を探る。
パンっと乾いた音がした。
直後、左の二の腕が何かに焼かれた様に熱くなる。
右手で抑える。
……ぬるっとした感覚。
右手にべったりと……血?
左腕が血だらけだった。
再び乾いた音。
何かが足元の地面に当たり、小石が弾け飛ぶ。
「……銃?」
イツキがポツリと呟く。
「分かつ者
断絶の境界
三位の現身はやがて微笑む
唱、拾参 現ノ呪 水鏡」
咄嗟に作り上げた盾が再び放たれた物体を弾き返す。
「どうやらそう見たいだ」
俺の視線の先に、拳銃を構えた亡者。
その視線は、焦点を結ばず俺達を正確に捉えて居るのか怪しい。
しかし……このまま二人で固っていては不味そうだ。
「布、出せる?
止血しないと」
「そんな余裕、無いかも」
銃火器が出てくるなんて流石に想定外……。
しかし、だからと言って、負けてやるつもりも無い。
「……出来るだけ引き付ける。
だから、朝まで身を隠していて」
彼女には結界を張る術がある。
身を隠すのは難しく無いだろ。
イツキの返事を待たず俺は扉を一つ開ける。
『鼓ノ禊 肆拾弐 断』
心練の技の一つ。
不要を断ち切り戦う術。
一般的にゾーンと呼ばれる状態。
飛びくる銃弾に対処するには、これしか無い。
「混沌の主、君臨する者
その全ては戯れ
望みのままに。ただ、望みのままに
唱、弐拾捌 現ノ呪 双式姫」
右手に陽光一文字を持ち、イツキから離れ飛び出す。
まるで映画のスローモーションの様に、こちらに飛び来る銃弾が目に入る。
それを避け、そして、放たれた方角へ術を飛ばす。
周りの亡者を狩ること。
思考をそれ一色に染める。