一方、大統領は全てを無にする決断を下す
ピンポーン、とインターホンが鳴る。
マンションのエントランスの方。
この状況で部外者の訪問。
「出て」
母親に促され、ソファから腰を上げる。
宅急便かな。
モニターの向こうはスーツ姿の三十代ぐらいの男性。……何かの営業か?
「はい」
『あ、私、サイロの真壁と申します。
荷物を引き取りに参りました』
母親を振り返る。
荷物って何だ?
「入れて」
「どうぞ」
『ありがとうございます』
母親の命に従い、エントランスを開ける。
「何で永田町が動いてるんだ?」
「彼らもラングレーのやり方が気に入らないのだろう。
今は一部共闘関係にある」
母の問いに男が素直に答える。
「……サイロって、まさか内閣情報調査室?」
まさかなあと思いつつ、母に問いかける。
「そんな知識だけはしっかりしてるんだから。
その情熱を学業に向けなさいよ」
ヤバい。
下手な事を言うと流れ弾で殺さねかねない。
再びインターホンが鳴る。
今度はこの部屋の前。
「私が出る」
そう言って母は椅子代わりにしていた男から腰を上げた。
そして、玄関から真壁と名乗った男を伴い戻る。
真壁は室内の状況を見て、苦笑いを浮かべる。
そりゃそうだろう。
両手両足を拘束された裸の男と、制服に下はバスタオルを巻いて正座をしている女の子。
「北が慌ただしくミサイルの打ち上げ準備を始めたのを衛星が捉えました」
真壁が母に告げる。
「弾頭は?」
「おそらく、核」
「あら大変」
「形振り構わず。一体何をしたんですか?」
「クレムリンに電話しただけよ? 鼠が入り込んだけれど、お前の差し金かって」
「余程怖かったのでしょう」
「怖くなんてないわよ。ねえ?」
と、俺に笑顔を向ける母。
えっと……ロシアの大統領に電話?
そんな母の横で真壁という男がわざとらしく大きな溜息を吐く。
「そう言う事態なので、早々に二人を解放していただきたい。
そうすれば、彼らは二度と貴方方の前に姿を現しません。
そう言う約束をあちらの国と取り付けました」
真壁が鞄から何かを取り出し、男の側へ。
「死人には会えないものね」
母が嘲笑する様に言う。
アナスタシヤが頭を更に落とした様に見えた。
「戻ったら、そのまま始末される、と?」
「……我々はそれだけの失態をしでかしたのだ」
「外国人である彼らがこの先どうなろうが、我々には関係の無い事。
では、二人は連れて行きます。
部屋を汚した補償は後ほど」
「ああ」
アナスタシヤが、腰に巻いたバスタオルを押さえながらヨロヨロと立ち上がる。
……男は別にどうなろうと構わないが、あの子は……。
俺とさして年の変わらない女の子。
生まれた国から遠く離れたこんな所で失禁する程の恐怖を味わい、そして今生きながらえても殺されると言う。
勝手を押し付けられ、他と同じ様に生きる事を許されぬ……少女……。
頭を落とした後ろ姿に、既視感を覚える。
「……G Playの情報を渡せばいいんですか?」
俺の言葉に、真壁と母が俺を見る。
「協力してくれるのか?」
寝転んだ男が叫ぶ。
「その代わり、アナスタシヤは解放して下さい」
「ああ! 勿論だ!」
「駄目よ」
歓喜の声を上げる男、そして母の冷たい言葉。
「何で?」
「勘違いするな? 頼知。
お前の言葉はこの露助にとって渡りに船だろう。
それが、如何に不平等で取引と言えないようなものでも応じるだろう。
だが、この状況は私が作り上げた物だ。
私は、自分の名を勝手に取引に利用することは許さない。
例え、息子のお前でも例外ではない」
「なら、自分でやれば良いんだろう?
この先、すべての情報をアンタ等に渡す。
そこが、どんな異世界だろうと、俺は行って戻ってこれる」
それだけの、力がある。
向こうの俺には。
「駄目」
「何でだよ! 俺とコイツラの交渉だ。母さんは関係ない」
母親を睨みつける。
だが、そこにあったのは先程までの冷酷な女の顔ではなかった。
「息子が道を外すのを見過ごせる訳が無いでしょう? 母として」
「……直ぐに結論は出ないでしょう。この二人の身柄はひとまずサイロで預かりますよ」
真壁が男の顔にマスクをはめてから拘束を解く。
「息子さん」
「はい」
「正義感は素晴らしい。でも、こんな出来事は忘れて青春を謳歌したほうが良いと思うよ」
ぐったりとした男に雑に服を着せてから、真壁はその男を肩に担ぎ立ち上がり部屋から出ていく。
よろよろと、それにアナスタシヤが続く。
彼女に、謳歌する青春なんてあったのだろうか。
大きく肩を落とした彼女の背に、何も言うことは出来なかった。
◆
「母さん、何者なのさ」
「只の主婦。
……昔いろいろあっただけよ」
「あ、そう」
先程の騒ぎが嘘だったのではないかと思えるほどに、普段と何一つ変わらぬ晩飯の風景。
父親は今日も残業で遅いのだろう。
「アンタさ、開放しろとか言ってたけど、その後どうするつもりだったの?」
「その後?」
「あの子は、ああいう形で稼いで生活をしているのよ。
それを急に全部奪われたらどうなるか想像できる?」
「……普通に学校行って、卒業して、働いて」
「その普通って言う基盤がないの」
「じゃ、どうすりゃ良かったのさ」
「関わりを持たない。
大方、虐待かなにかだと思ったのでしょう?」
「ああ」
「そうだとしても、引き止めてその後どうするつもりだったのよ?」
問われ、答えに困る。
そんな事まで考えてる訳ないだろう。
「……ご馳走さま」
「ま、一晩寝て忘れなさい。
人生、平穏が一番よ。パパみたいに」
食器を片付ける俺に母が笑いながら言う。
「あ、それから」
「ん?」
部屋に引っ込もうとした所を呼び止められ振り返る。
「この事、パパに言ったら……お前、死ぬよ?」
「……はい」
何があっても言わない。
そう、心に決める。
うちの母親は一体何者なのだろう。




