追い込まれた悪役は雄弁に
「トリグラフ。
そう命名された実験があった。
スラブ神話の地母神だ」
母に活を入れられ、目を覚ました男が観念して口を開き語り始める。
「少年。
例えば、第三次世界大戦が起きたとしよう。
それはどの様なきっかけで始まりどの様な推移を辿り、そしてどの様な結末を世界にもたらすか。
想像出来るかい?」
急に話を振られた俺は顎に手を当てしばし考える。
核戦争?
いや、核は抑止力だ。
使わない事に意味がある。
ならば、どうなる?
そもそも、どう言う陣営になるのだ?
旧世紀来の東と西?
「可能性は山ほどある。
何がきっかけか。
そんなものは、起きて見ないと分かり得ない。
ひょっとしたら、一見無関係そうな若者の失恋がキッカケだったなんて冗談の様な事もあるかも知れない」
「平和に暮らす主婦を怒らせたとかね」
母が相槌を入れる。
再び正座をし俯いたままのアナスタシヤが肩をビクリと震わせる。
「当然ながら、その結末も予想が難しい。
だけれど、起こり得る危機には常に備えねばならない。危機の芽は出来る事ならば未然に摘む。
それが国防、国を守るという事なのだ。
こんな事を、平和な国の若者である君に言ったところでピンと来ないだろうが、そう言うものだと思ってくれ」
「自分の身一つ守れない癖によく言うわ」
母の言葉を無視し、男は続ける。
「だから、世界各国の情報を収集し何が起きているのか、何が起きるのか。
それを見極める事はとても重要だ。
我が国に限らず、どの国でも行っている。
そこに、多少の違法性があろうとも」
「そうやって何でも正当化してりゃ世話はないわね」
見下す様な口調で母が言う。
「しかしだ、仮にこの先起こる事が分かるのならば。
世界はどう推移していくのかシミュレーションすればそれが分かるのではないか。
そう言う実験が行われた。
しかし、結果から言うと、上手く行かなかった。
世界をシミュレーションするなんて莫大な電力と、演算の時間がかかる。
パラメータをわずかに変えただけで大きく結果が異なる。
1980年代に行われたその実験は、当時のコンピューティング技術では満足な結果を残せなかったのだよ」
「自国の崩壊も予想出来なかったのかしらね」
母の辛辣な言葉には一切反応せず男が続ける。
「だが、仮想的に作る事が無理ならば実際にそうなった世界を見に行けば良いのではないか。
そう言う、とんでもない事を考えた男がいた。
それが、後にトリグラフと名付けられる実験へとつながっていく。
私にも具体的な事はまるでわからないが」
「偉そうに自分の無知を語る馬鹿ほど怖い物は無いな」
母は余程この男が嫌いらしい。
「結果、無数に存在する並行世界。
それを覗き見る事の可能性が示された。
その世界とこの世界の間に存在する僅かな隙間。
そこへ人を送り込む事で。
だが、その実験データ一切を持って科学者がアメリカへと亡命してしまった。
そして、あの国で実験の続きが行われる事になる」
「亡命にカモフラージュしてスパイとして送り込んだんだろう?」
「そしてアメリカは、あろうことか民間企業を隠れ蓑にしてこの国でその実験の続きを始めた。
それが、G Playだ。
この国の連中は、呑気に同盟国へ情報を提供するモルモットにされてるのだよ」
「情報は欲しい。でも、コストはかけたく無い。
浅ましい連中ばかりで嫌になる」
「我々は、そんなG Playの真実を告げその協力を得ようとしているだけだ」
「で、色仕掛けか。やっすいな」
「我々は、世界の行く末を本気で考えているのだ!」
「お前、その格好で言う台詞か? それ」
「クッ……」
まあ確かに両手両足を縛られ、ブーメランパンツ一枚にひん剥かれ、母の椅子代わりにされながら言う台詞では無い。
因みに気絶している間に服を脱がせたのは涙目のアナスタシヤ。
二人は本当の親子では無いらしい。
「大体、世界の行く末とか言うけどお前は自分が上手く渡っていける未来を知りたいだけだろう?
ひょっとして、その世界へ乗り換えたいとか考えてるのか?」
「……それの何が悪い?」
「夢は大統領か?」
「……そんな物は要らん。人生に権力など、何の意味も無い」
「じゃ、何だ? 言ってみろ。お前の望む未来とやらを」
「……娘と……デートをするのだ。……仲睦まじく!」
母の尻の下で、初老の男が悲しい叫びを上げた。
「残念ながら、そんな世界は存在しない。
どれだけ探そうともな」
冷たく切り捨てる母。
えっと、何の話?
「そんな筈は無い!
昔は、パーパと結婚すると言っていたんだ!
なのに今! 目すら合わせようともしない。
何故だ!? あの天使は何処へ行ったんだ!」
「良かったな。娘はまともに育って」
「お前……偉そうにしてるけれど自分はどうなんだ?」
「は?」
ここぞとばかりに男が反撃。
母が俺を見る。
「超仲睦まじいけど?
頼知、ママとデートするよな?」
「するかよ!」
何でオカンとデートなんかせねばならぬのだ。
「するだろ?」
「しな……」
「するよな?」
「……」
「する、よな?」
「……はい」
これ以上拒否すると殺される。
そう言う視線を投げつけられ俺は折れる。
俺の本能が、ここが死地だと告げた。
「ほら」
「クソーーーーーーー!」
オッサンの絶叫が木霊する。
近所迷惑だからやめて。
誰か来たら本当に困るから。
てか、親父帰って来たらこの状況にどう思うのだろう。




