帰り着いた新たな現実
「よっ」
「よっ」
鶴川駅から現れ、手を上げた杏夏に手を上げ返す。
「久しぶり」
「久しぶり」
俺達二人がこちらに戻り、数ヶ月。
急性心不全。
表向きはそう診断された御紘龍市郎、つまりは杏夏の父親であり、俺の監視役であった彼の葬儀以来の再会。
監視役の突然死。
更には監視対象であるはずの荒魂、八十禍津日神の消失。
そう言った事態もあり、中学の卒業を待たずして俺は御天の軟禁を解かれ、母親の元へと引き取られることになった。
予てからそう言う話を進めていた母ではあったが、突如予定が数ヶ月早まりバタバタしたまま新たな生活が始まり、やっと落ち着きを見せてきたというのがここ最近。
俺達の引越し先、家族三人の新居として母親が目星をつけていたのは偶然にも前の世界で俺が住んでいた新百合ヶ丘駅付近のファミリー向けマンションで、これ、本当に偶然か? と何かしらの作為を疑いはしたがそれを疑ったところで黒幕が現れる訳でもなく。
そんな訳で、初めての東京の筈が勝手知ったるなんとやら。
あっさりと順応してそれなりに不自由無い日々を送り始めている。
むしろ、反抗期真っ盛りと言うか、敵愾心すら見せていた息子の突然の豹変振りに母親のほうが戸惑いが大きいように思える。
今の俺には目の前の母親に対し、かつて抱いていた俺を捨てたと言う恨みは無い。
それは、単にそれ以前の世界で一緒に居た、彼女では無い御楯響子のお陰なのだけれど、そのことはまだはっきりとは口にしていない。
いつか、俺の父の事を教えてくれるならばその時にでも話そうかと思っている。
別世界で勉強した経験が生き、突然の編入試験も軽くパスし二度目となる高校の入学式が目前に迫る、そんな時だった。杏夏から会おうと連絡が来たのは。
LINEで連絡は取り合っていたし、近況はそれとなく聞いてはいた。
東京に来るならばわざわざ端の方でなく都心で待ち合わせれば良いのに。
そう言う申し出を固辞し、彼女はここへ現れた。
東京と神奈川の境へ。
「で、何で鶴川?」
「何でって、私の最寄りだからだけど?」
ややドヤ顔で答える夏実。
「最寄りって、引越すの?」
「もうした!」
「え? マジで? 都民?」
「区民」
「神奈川かよ」
「何よ、その反応。この前まで茨城の田んぼの中で暮らしてた癖に!」
「いや! 精神的にはずっと都民だね!」
「そしたら私もそうだもん!」
とは言いつつも、次第に薄れ行くあちらの記憶。
それはいつの日か、完全に忘れ去ってしまうかもしれない。
だから、そうならない為に大学ノートに書き留め時折見返す。
あの世界、そして間の世界。そこで出会った人達と出来事を。
「引越しって事は……」
「そう。名前も変わった」
御紘の当代が倒れ、その後を継ぐ立場にある杏夏。
本来であるならば名を変えるなどあり得ぬ事である。
「ママと私は御紘の籍を抜けて、家は叔父さんが継ぐ」
まだ杏夏が若い事に加え、彼女自身、稜威乃眼を持たぬ事も理由なのだろう。
まあ、それを遺憾とは思っていなそうではあるが。
御天八門などと、偉そうに言った所でその威光は時代と共に薄くなりつつある。
世の中から夜が消え、闇に紛れた禍がその気配を薄くしている様に。
ウチの母が所属する警視庁公安八課でさえ、その存続が危ういなんて話もあるようだし。
「そうか。
寅寺郎さんが次の御紘当代か」
龍市郎さんの葬儀の折に会った龍市郎さんの弟。
見た目は完全にヤクザ。
兄の死の遠因である俺を内心どう思っているかは分からないが表面上は、とても紳士的に接してくれた。良い人の仮面が似合うヤクザ。
「それで、新しい名前は?」
「聞きたい?」
杏夏がニヤリと笑いながら上目遣いで俺を見る。
「いや、そんなに勿体ぶって良いのか?」
たかだか母親の旧姓でハードル上げなくても。
「ふふん。
御紘杏夏改め、夏実杏です!
よろしく!」
「……は?」
「な・つ・み・あ・ん、です」
「いや、夏実って……」
「ママの旧姓」
「それに名前も」
「ほら夏実杏夏だと夏に挟まれちゃってなんか字面が可愛くないじゃん?
だからついでに改名!」
「名前ってそんなに簡単に変えられるんだっけ?」
「まあ、言っても御紘のお家柄。地元では名士な訳ですよ。だからチョチョイとね」
まあ、確かに戸籍を用意出来るぐらいの力はある……。御天庶家には。
「それにしたって……」
なんでその名を?
「さて、御楯。
私の事、なんて呼ぶ?」
「え?」
「夏実……さん?」
「んん?」
「何だよ?」
「よそよそしくない?」
「いや…………じゃ……夏…実?」
「んー、まあ良いか」
気恥ずかしさを隠しきれぬ俺の向かいで満面の笑みで答える夏実。
改めて彼女と正面から向き合う。
「……何か色々とあったけど……これからもよろしくお願いします」
そう言って、頭を下げる。
「こちらこそ」
それに倣う夏実。
頭を上げ、二人声を上げ笑う。
「じゃ、行こうか」
「何処に?」
「町田」
夏実にこの後の行き先を告げる。
その後どうするかは考えてないけれど、どうしても一緒に行きたい店がある。
「ほう?
何で?」
「オススメの喫茶店があるんだ」
「まさか……?」
「いや、メイドは居ないよ」
「どんな店?」
改札へ向かう俺の横を歩く夏実。
「オムライスが美味い店」
「へー」
「後、ハンバーグも」
「ほう!」
やはり肉の方が食いつきが良いか。
「響子が忙しいから、外食が多くてさ」
「あー、なるほど。
前は風果が作ってたんだもんね」
「そう」
今は居ない妹。
彼女は元気でやってるだろうか。
当然です。清々してます。
そんな声が聞こえて来そうで内心苦笑いする。
その居なくなった妹の代わりで我が家はてんやわんやなのに。
「まあ、大変だよね。
急にガラリと環境が変わったんだから。
御楯も、響子さんも」
電車に乗り、夏実が溜息混じりに言う。
「……そっちは?」
一家の大黒柱が居なくなったのだ。
大変さでは、我が家の比では無いだろう。
「実は……あんまり実感が無いのよね。
ママも、意外とサバサバしてて」
「へー」
「まあ、元々御紘の家と折り合いは悪かったから。
直毘だなんだってしがらみが無くなって清々したって」
「そんなもんなのか」
「金輪際、御天なんて関わり合いを持ちたく無いって」
「へー」
そう言えば、龍市郎さんの葬儀の喪主は寅寺郎さんで、何で奥さんに喪主をさせないのかと母が憤っていたな。
吊革を掴み、大人の世界の面倒事をボンヤリと考えていた俺は続く夏実の言葉を理解するまで頭の中で三回程反芻する必要があった。
「だから、御楯の男が娘さんを下さい何て言ったら発狂するよ。きっと」
「………………え?」
鳩が豆鉄砲を食らう。
それは正に今の俺。
「……結婚……すんの?」
回らぬ頭が馬鹿正直にそう聞き返す。
「しないの?」
上目遣いで挑発する様な夏実。
御楯の男って……それは……俺……だよな?
「する」
だけれど、こんな豆鉄砲なら大歓迎だ。
「じゃ、駆け落ちだ」
「いや……説得するよ」
もう、何かから隠れる様にひっそりと生きるのは嫌だ。
結婚と言ったってそれが出来る年になるまでまだ二年以上ある。
時間はあるのだ。
……だけれど。
「順番、おかしくない?」
どうしていきなり結婚なのだろう。
いや、それに文句がある訳ではないのだけれど。
「おかしく無いよ?」
「え? あ、そう?」
電車のドアに寄りかかりながら夏実が指折り数える。
「だって、キスしたんでしょ?」
した。
彼女は覚えてないだろうけれど、確かに。
「プロポーズも、されたし?」
いや、まあ……王子様気取りで……確かに。
「告白もされたし」
「……え?」
「したよ?」
「俺が?」
「御楯が」
「え……いつ?」
「秘密」
え?
覚えて無い……。
何で秘密なんだよ。
「まあ、順番おかしいと思うなら……全部やり直せば良いんじゃない……かな?」
「……うん」
夏実の言葉に頷くと同時に電車は町田へ。
「うーん。初めてなんだけど、久しぶりだな」
町田の駅から外へ出て、なんとも奇妙な事を言う夏実。
だが、その感覚はわかる。
俺も先日同じ様な感想を持ったのだから。
「こっち」
目的の店の方へ歩き出す。
「なんかさ、知ってる道だ」
「そう」
あの世界ではアンキラへ行くのに通った道。
だけれどこの世界にアンキラは無かった。
代わりに小洒落た喫茶店。
メイドは居ないけれど、代わりにエプロンの似合うバイトが一人。
こっちに引っ越して来て初めて出来た友人。
彼女に是非とも会わせたいのだ。
俺の好きな人を。
二人はきっと仲の良い友達になれると、そう思うから。
一部、完
お読みいただきありがとうございました。
ここで一区切り。
さて、二部をどうしようかと考えながら少し間を置きつつ、いくつか別視点の話などを投稿しようかと思います。
次回は時計の針を大きく戻したお話。
幕間「亡者の群れの中で⑦’」




