風花雪月⑤
「お兄様。
先程の話、どう思われますか?」
歩きながら、静かに風果に問われる。
「……すまん。どの話だろう」
風巻さんが夏実を懐かしんでいた事か?
それとも風巻さんになんか見せ場を全部台無しにされて悔しい件か?
はたまた実姫がノリに全然付いて来れて無い残念な事実か?
「白狐の言葉です」
「ああ!」
それか。
「一体何の事だと思ったのです?」
「いや、まあ……」
はあ、と小さく溜息を吐いてから続ける風果。
「真経津。
天岩戸にお隠れになった天照大神を引き出す一因となった三種の神器の一つ、八咫の鏡と同じ名の術。
それはあらゆる事柄を封じ閉じ込める。
どうして、龍市郎さんは天津甕星でなく私達へその術を?」
「分からん。
だが、それ故に俺達は生きながらえた」
「そうでしょうか?」
「何?」
「鏡とは、即ち虚像。
私達が鏡に映った虚像であるならば、実像が必要なのです」
歩みを進めながら、風果が言う。
「実像が失われた時、虚像もまた、失われるのでは無いですか?」
そう問われども、俺は答えなど持ち合わせていよう筈も無く。
大蛇は胴の大半が朽ち果て残るは八本の尾のみとなる。
「つまり……」
次々と朽ちて行く尾。
その最後の一本。
その中から現れた黒い塊。
うずくまる人の様に見えた。
漏れ出る赤と黒の瘴気。
「言いたい事は分かった。
だからと言って、やる事は変わらない」
見覚えのある黒い影。
その身から発せられる感覚。
俺が、自身の中で対峙した禍津日に瓜二つ。
実像。
つまり、あれは俺か。
禍津日に飲み込まれた。
だから、夏実を、杏夏を求めた。
「……風果。
動きを止める。
神奥寄、タイミング合わせられるか?」
「愚問です。お兄様の仕草ならば目を閉じても読み切れます」
「心強い」
「冗談です」
……お前さ。
ドエスの顔で微笑む風果。
「お兄様が真に受けると思いませんでしたので。
ですが、そこまで信頼されているのならば何としても合わせてみせます」
「……任せた」
これが嘘なら立ち直れないかも知れない。
溜息を一つ吐き、うずくまる黒い影へ視線を転ずる。
これが俺だとしても、やる事は変わらない。
倒し、祓う。
中の禍津日諸共。
「実姫。
囮になってくれ」
「うむ」
珍しく文句を言わない実姫。
腰に挿した三本の刀。そのうち大小二つを抜く。
「主の中にあった八十禍津日神は、上澄みであったと言う事か。
重く沈んだ穢れの大半はここに取り残された。
やはり、あれを鎮める事が儂の為すべき事。
直毘の本懐であるな」
「……終わったら母にたっぷり自慢しろ」
「うむ。そうだな」
笑みを浮かべ俺達の前に立つ実姫。
ユラリと立ち上がる禍津日。
そこから発せられる瘴気は俺の中で対峙した時とは比較にならない。
こうして向かい合って居るだけで肌がチリチリと刺す様に痛む。
実姫が飛びかかるタイミングを見計らう。
その影で力を練る。
祓濤 蒼三日月
祓濤 金色猫
残った刀はこの二振りのみ。
「行くぞ!」
実姫が短く発し、地を蹴る。
それを押さえ付けようと地から伸びる無数の手。
さながら黒い腕の草原。
二刀を振り回す実姫がそれを斬り飛ばし走る。
瘴気も何も物ともせず。
そして、禍津日の眼前へ至る。
しかし、その刀を振るう前に足をそして腕を掴まれ動きを止める。
「環」
実姫を戻し、すぐ背後を走っていた俺が躍り出て両手の刀を上段から振り下ろす。
禍津日の二本の手が振り下ろされた刀の中程を掴み受け止める。
そのまま力任せに握りつぶされた刀は、二つに折れ消滅。衝撃は人刃一体となっていた我が身へと襲い来る。
両腕を走り抜ける激痛と異音。
だが、敵は目と鼻の先。
亟禱 鳳仙華・十重襲
十重の爆撃を目と鼻の先の赤い眼、目掛け炸裂させる。
自分の放った術の衝撃に弾き飛ばされた体は、宙で後ろから抱きかかえる様にふわりと受け止められた。
疑問を棚上げし、禍津日を見据える。
「「葦流れ海より戻る
昼帰り夜となる
祈る声を聞き入れ給え
唱、捌拾玖 鎮ノ祓 神奥寄」」
炎を見つめ、心を静め、瀬織津比売の力を請い紡いだ言霊。
それに風果の言霊が寸分違わずに重なる。
涼やかな風が吹く。
太鼓と笛の音に混じり優しい水音。
幾重にも鳥居が現れ道を成す。
光が炎をかき消し、中より現れた黒い人型からゆっくりと赤い影が離れ上へと登って行く。
神上がり。
その光景をゆっくりと下降しながら見つめる俺の元へ歩み寄ってくる風果。
「……酷い」
地に降り、そのまま膝をついた俺の横で風果が、そう呟く。
改めて見ると俺の両腕はあらぬ方向へとねじ曲がり、骨が飛び出てズタズタになっていた。
「艶やかな朱は汝の色
豊穣に金色は揺れる
神より産まれし神
倉稲魂命 ここに現し給え
唱、佰肆 天ノ禱 命鳴」
風果の声と共に腕から痛みが引く。
そんな二人を守る様に立つ夏実。
完全に元通りになった腕。
だが、それを為した風果は息を荒げながらその場にへたり込む。
「……これで、力は使い切りました」
そう、弱々しく俺に笑いかける。
「三度目の禁呪……か」
「はい」
「だけれど、もう終わりだ。
夏実も、ありがとう。助かった。
でも、どうやって?」
彼女の気配は全くなかった。
「飛渡足」
背を向け、マガツヒの方を見守る夏実が振り返らずに答える。
「……何!?」
それは……代償を!?
「お兄様のご心配はわかります。
ですがそれは杞憂です。
彼女の、御紘の血に刻まれた呪いは既にありません。
お忘れですか? 思々三千降」
「ああ、そうか」
九尾の毒と呪いから救うために掛けた風果の禁呪はそのまま御天の呪いも流した訳か。
辺りに立ち込めていた瘴気が徐々に薄くなっていく。
「うおーい。何で置いてくんだよー」
風巻さんが泣き顔で走ってくる。
「それに、なんかおかしいんだよ。
さっきから警告が止まらない!」
顔にはめたグラスを指さしながら言う。
「警告?」
「創造主が現れるって……」
「……創造主?」
禍津日は倒しただろう?
これ以上何が。
微動だにぜずそちらを見張る夏実。
風果を風巻さんに任せ夏実の横へ。
「何だろう。あれ」
先程まで禍津日が居たところにある、黒い固まり。
地から伸びる黒い糸が幾重にも巻きついた球体。
周りの瘴気が渦を巻いてその中へと吸い込まれて行く。
「……繭」
「じゃ中身は?」
レオナルドは言った。
ここは、宇宙の始まりでは無いかと。
風巻さんは告げる。
ヴェロスのゴーグルが創造主の出現、その警告を発していると。
そこから導き出す答え。
「神……世界を作る……始原の」
「どうする?」
「倒す……しか無いだろうな」
新たな世界が始まる時、古い世界は終わりを告げる。
それが、理。
「御楯、ボロボロだったじゃん。
戦えるの?」
「根性で乗り切る」
「そんなキャラなの?」
「根性大事」
試作品も、蒼三日月も、金色猫も無い。
残る武器は、まさに根性のみ。
いや……もう一つ、とっておきがあるか。
「それに、勝って一緒に帰る。
それが正しい物語だと思うんだ」
「……わかった。
じゃ、私も頑張ろう」
「リンコ。
風果をお願いね」
「りょ。
ヨッチ」
「ん?」
「アンコの事、ヨロシクね!」
「ああ」
軽く振り返り、風巻さんに向け親指を立てる。
そして、夏実に小さな頷きを一つ。
はにかむように笑い、そして、再び黒い繭へと目を向ける。
「マジカルベール・キャスト・オン
フル・アーム!」
叫び、敵に向かい走り出す、いや、飛び出して行く夏実。
両手にビームサーベル。その身に纏うのもはパワードスーツの様なSF機械的な何か。
それは、もう魔法少女でなく武装少女……。
俺の中の魔法少女は完全にその概念を打ち砕かれた。
……魔法少女って……何だろう?
まあ良い。
気を取り直し、瞑目。
「害を全て打ち払う力
其の奥底に有るは護り
神より産まれし神
素戔嗚尊 ここに現し給え
唱、佰漆 天ノ禱 草薙切」
本物の神器を呼び出す訳では無い。
だが、全てを断ち切る霊剣とそれを扱う為に一時的に大きく向上する身体能力。
三度目の禁呪。
これが解ければもう後は無い。
元より、後など考えて居ない。
淡く緑の光を発する直刀。
脱力し、静かに横薙ぎに一閃。
二百メートル以上先にある黒い繭。
それを断ち切る剣撃。
続け様に夏実が上から光線を放つ。
着弾と同時に爆破の炎が上がる。
直後、空気を震わす振動。絶叫。
繭が収縮し小さな黒い玉へと変わる。それが炎を、瘴気を、そして地面をも吸い込んで行く。
その重力に景色が歪み……抗う間もなく俺もその中へと吸い込まれて居た。
直前に伸ばした手が夏実の伸ばした手を掴み握り返し、二人、繭の中へと。




