異世界。その始まり②
店の入り口は無人で、店員の姿は何処にも見当たらなかった。
QRコードの読取機が付いたゲートが置かれており、モニターが繰り返しその通り方を流すのみ。
俺は、事前にダウンロードしたアプリを立ち上げ、スマホの画面にQRコードを表示し順番を待つ。
キャンペーン期間につき、登録料無料。
アプリを持っていない人に向けてモニターにそんな案内が流れる。
鈴木さんの後に続き受付を通る。
QRコードの読み取りが完了したアプリに四桁の部屋番号が記された。
案内板に従いその部屋へ。
ネットカフェの様な小部屋が並ぶ中、自分の番号の部屋へ。
鈴木さんと隣同士、と言う訳では無かった。
明らかに安普請なその小部屋には床に固定された椅子とそして、壁にタブレット端末が掛けられている。
『ようこそ』
その一言だけがタブレットの画面に記されているそのタブレットを手に取り、椅子に腰掛ける。
VRでは無いのか。
少し、落胆する。
「ステータスオープン!」
どこかの部屋から声が聞こえた。
鈴木さんかもしれない。
異世界か。
そんな物、ある訳ないのに。
あるならば、俺はとっくに裏の世界の住人だ。
タブレットの画面に触れる。
『登録名を入力して下さい』
その案内に従い、画面上のキーボードを操作して名前を入れる。
【ライチ】と、そう入力。
名前の読み方を変えただけ。何の捻りもない。
『利用規約をご確認ください』
と記された文字の下のチェックボックスに確認したとチェックを入れる。
『免責同意書にご同意ください』
こちらも同じく。
後で知ったことであるが、俺の確認しなかった同意書にはこの先で起きる一切の損害に対して個人的に責任を負うことが記されていた。例えそれが、生命であっても。
そんな事を知らないその時の俺は、何も考えずにその後にある「開始する」ボタンにタッチした。
画面が切り替わりデジタル数字が大きく表示される。
【10】
それが9……8……とカウントダウンして行く。
その背景に石碑の様なイラスト。
タッチも角度も違うが同じものを描いたであろうものが三点表示される。
『これを探し出して帰還してください』
そう、メッセージが添えられている。
左手で顔を抑え、「邪鬼眼よ、静まれ」などとふざけながら、カウントが減るのを眺める。
ゼロと同時に視界がブラックアウトした。
それを理解する間もなく全身に押しつぶすような圧力。
直後、抜けた、そうとしか言いようの無い、そんな感覚に襲われる。
目の前の景色が一変していた。
暗くひんやりとした空間。
石畳……?
床も壁も、不揃いな、でも凹凸の少ない石が敷き詰められている。
上下左右三メートル程の正方形の……トンネル。
振り返る。
前にも後ろにもトンネルが続いていた。
何だ?
これ。
やけに足の裏が冷たい。
見下ろすと、足の爪が見えた。
裸足……。
いや、裸だ。
下着だけ身につけて居た。
何の模様も無い、俺の物では無い下着。
ゴワゴワとした手触りの。
どうなってるんだ?
改めて周りを見渡す。
天井が所々淡く光って居て、それがトンネル内部を照らしているのがわかる。
……異世界?
それとも、脳内だけの幻?
そうだ。
石碑。
石碑を探すんだ。
俺は混乱した頭のまま、取り敢えず歩き出す。
歩けど歩けど、景色は変わらず。
ただ、自分のペタペタと言う足音がやけに大きく響く。
それでも、歩くしかやる事は無い。
そうしないと、石碑を見つけないと帰れないのだから。
……帰れない?
帰れないのか?
いや、まさか。
一瞬パニックになりかけたが、そんな訳は無い。
そんな危険な事、許される訳ない。
ここは日本だ。
俺が帰れないと警察が動く。
そうすれば戻れるだろう。
それまで、楽しめば良いのだ。
そうだ。
忘れていた。
「ステータスオープン!」
しかし、俺の声に何ら反応は起きず。
諦めて再び歩く事にした。
何キロ歩いた?
景色が変わらないから全然わからない。
いや。
歩き始めて、初めての変化を俺は見つけた。
壁に傷。
そう。
傷がある。
鋭利な刃物で引っ掻いた。そんな三本の傷が。
何だ?
足を止め壁に手を当て、その傷をなぞる。
掌大の大きさの傷が、先へと続いて居る。
それを追いかける様に再び歩き始める。
そして、更なる変化を見つける。
文字……?
三本の傷に混じり、直線を組み合わせて掘られた……アルファベット。
My dreams will come true!
Im Gulogulo-Man!!!!!
乱暴に掘られたそれは、恐らくはこう書かれて居た。
夢が叶った。俺はグログロマンだ!
……かな?
グログロマンは、アメコミのヒーローだ。
両手から三本の爪を出して、敵を切り裂く。
……三本の爪?
まさか、この壁の傷はその爪で?
謎のメッセージ。
三本傷は尚も奥へと続いて居る。
何だろう。
歩きながら考える。
夢が叶った、か。
夢。
……なんて、考えてると本当にどうしようも無くなるからな。
唐突に……担任の言葉が蘇る。
「うるせぇよ!」
俺の叫び声が、トンネルに反響する。
それが失敗だった。
暗澹たる気持ちで再び歩き出した俺の耳がチッチッチッと言う音を捉える。
後ろから。
何だ?
暗闇に目を凝らす。
何かが飛んで居る様な音。
そう。
夕方に町を飛ぶムクドリの群れの様な……。
小型の何かが大量にこちらへと向かって来る。
ヤバい。
逃げねば!
全力で走る。
しかし、音は大きくなる。
咄嗟に頭を抱えしゃがみ込む。
音が、何かの大群が頭上を通り過ぎて行く。
いや、そうでは無かった。
背中に痛みが走る。
何かは、俺に群がり始めた。
それも、大量に。
足、肩、腕。
あらゆる所に群がり、あちこちに痛み。
小さな針の様なものを突き立てられて居る様な。
鳴き声と羽音が不快で気持ち悪い。
何とかしないと。
しかし、どうやって。
抱えた頭を動かし、視線を巡らせる。
地面に、何かある。
棒の様な物が!
急いで右手を伸ばし掴む。
手にしたその棒切れを必死で振り回し、群がる何かを振り払う。
叫び声を上げながら。
棒切れを振り回し続けた。
半狂乱で。
群がっていたのはコウモリだった。
そして、振り回す棒がコウモリを蹴散らす。
その度に、血と淡く光る緑の粒子の様な物が飛び散る。
やがて、それは快楽へと変わる。
足元にコウモリの死骸が散乱して居る。
振り回して居た棒はいつの間にかバラバラになり、三分の一程の長さになって居た。
残ったコウモリの群れは飛んで逃げて行った。
ひとまず、危機を脱した。
気を落ち着ける為、足元の死骸を避けながら壁際まで行く。
そして、そこへ座り込む。
心臓が、バクバクしている。
だが、暴れた割に疲労は感じられず、ただ気分だけが高揚して居た。
コウモリに襲われた体の痛みは治まっている。
見ると、傷口は治りかけていた。
「……っ!」
思わず上げそうになった叫び声を、左手で口を押さえ留める。
手にしていた棒。
それは骨だった。
咄嗟に投げ捨て、そして、右手を下着で拭う。
何の骨?
その答えはすぐに見つかった。
「……ぅぁぁ……」
我ながら情けない程の声が漏れる。
俺の座り込んだ壁の反対。
コウモリの死骸の向こう側。
白骨化した人が転がっていた。
俺が振り回していたのは、左腕の肘から先らしかった。
暫く、そこに座り込んで居た。
戦いの興奮はすっかり冷め、再び気力が戻るまで。
そして、その骨を調べる決意を固め立ち上がる。
壁沿いに転がる、おそらくは人の骨。白骨死体。
ここで力尽きたのだろうか。
頭は、俺が来た方を向いている。
身長は俺よりも大きい。二メートル近い。
骨も太い。
こいつが、あの文字を書いたアメコミヒーローなのだろう。
右手の甲。
小さく赤い丸いビー玉の様な物を握りしめていたが、それよりもだ。
その人差し指と中指、中指と薬指、薬指と小指。
それぞれの間から、鋭利な刃物の様な爪が伸びている。
長さはおよそ三十センチほど。
しかし、これは、やはり作り物なのだろうか。
その爪は、いや、右手は白い骨ではなく金属のような光沢を持っていた。
左手は俺が振り回したせいで、バラバラになって地面に点在している。
飛び散った部品の一つ。
爪を拾い上げ観察。
高さは三センチほど、厚さは一センチに満たないそれは、爪というよりは、小刀といった印象。
先端が僅かに湾曲しているせいもあるだろう。
そして、両刃の刃物の様に鋭利になっている。
「痛っ」
そっと指先を這わせる。
それだけで皮膚が切れ、赤い血が流れ出た。
迂闊さを反省しながら指を咥える。
手の甲に埋まっていた部分、十センチほどは円柱状で丁度持ち手にピッタリだった。
そこを握って、二度三度振って見る。
短剣の出来上がり。
武器を、手に入れた!
強度はどれくらいだろうか。
そもそも、一体何の金属なのだろう。
鏡のような光沢がある。
顔を近づけると自分の顔が鮮明に映る程に。
刃に映る見慣れた自分の顔。
こんなよくわからない所に飛ばされても何も変わらない……。
……違和感が、あった。
見慣れた自分の顔に。
何だ?
刃に目を近づけ観察する。
気のせいか?
いや……違う!
刃に映った俺の右目。
瞳孔の中に、更に虹彩と瞳孔がある。
凶事を直し、穢を払う直毘の一族たる証。
稜威乃眼。
……では、左目は?
刃に映る瞳孔、その奥に揺らぐ赤い光。
禍津日。
左眼に封印されし凶神。
どうやら俺は……本当の力に目覚めたようだ。
Gulo guloはクズリの事です。
なので、ウ◯ヴァリン的なヒーローだと思っていただければ。