スペース・トラベラー①
溜息一つ吐いて、再び椅子に腰を下ろす。
『Welcome back! Lychee!』
五月蝿ぇよ。クソが。
『Are you ready?』
五月蝿ぇよ。クソが。
『Have a good trip!』
五月蝿ぇよ。クソが……。
気付くと異世界に居た。
室内。
狭い、廊下。
天井には人工的な明かり。床も壁も、人工物。陶器の様な、プラスチックの様な。
そのまましゃがみ込み、壁に背を預ける。
立ち上がる気力は……無かった。
◆
夢を見た。
迫る黒い人影。
静かににじり寄って来る、赤い右目の影。
現実の俺は、なんの力も無く。
何ら成すすべは無く。
ただ、奪われ殺される。
或いは、暴徒と化した連中に。
銃火器を持った兵士達に。
何一つ守れずに、次々に奪われ失っていく。
そう言う夢。
◆
……寝てた、か。
今のは、夢か? それとも瀬織津比売が見せた神託か?
だとしたら、行くも地獄戻るも地獄、それを改めて見せつけて来た訳だ。
瀬織津比売。
アンタ、一体何がしたいんだよ。
マガを祓いたいならば、アンタがやれば良いだろう? この体を使って。
そうしようと思えば出来る筈だ。何故そうしない? 何で俺にやらせようとする?
内に問いかけども答えは無く。
妹に対し、身を犠牲にして柱となるなどと息巻いてみても、いざ自分の未来がわかるとこの体たらく。
立ち上がり、背後の壁を殴りつける。
それでも、今ならまだ守ることが出来るのだ。今度は。
それだけが救い。そう自分に言い聞かせる。
……思いっきり殴りつけた手の痛みで少し冷静になった。
「幻の王
響く声、笑う声
未だ夢から醒めず
全て暗闇の中に
唱、伍 命ノ祝 卑弥垂」
ここはどこだろうか。
見た所、人工的な建物の中だろう。
それも少し近未来的な。
周囲からはこれと言って何の気配も感じられず。
前後に伸びる廊下。左手に幾つかのドア。右手の前方に窓。
何時ぞやの怪しいホテルの様な所だろうか。
取り敢えず窓から外を確認しようとそちらへ足を運ぶ。
分厚そうなはめ殺しの小さなガラス窓の先は真っ暗闇だった。
……いや、違う。遠くに小さく見えるのは星だろうか。星空。
窓の向こう全面に星空が見える?
水平線が無く、一面の星空。
余程高い所……か?
いや、暗がりでわからないが水面に星空が反射している可能性もあるか。
小さな窓を覗き込み、星空の中に知った星座でも無いか探してみる。
……違和感。窓の星が動いて居る?
……ゆっくりと後方に流れている……いや、こっちが前進しているのか?
船か何かの中だろうか?
星空観測を切り上げ廊下を進んで行く。
左側の扉は、小さく窪んだ引き手があるが鍵などは見当たらず。
念の為、試作品の柄を握り、反対の手で慎重に引くが鍵がかかっておりピクリともせず。
力ずくで押し破るのは……もう少し見て回ってからだな。
扉は諦め廊下を進む。
突き当たりに両開きのドアがあり、それは自動で開く。その先は緩やかなカーブになっているが廊下である事は変わらず。
小さな窓の外は相変わらず流れる星。
反対側は開かぬ扉。
しばらく歩き、右側に大きな扉が現れる。
その扉の前に立つと音もなくその扉が開いた。
その先には、十メートル程の空間。
幾つかの椅子が置かれ、更にその奥、壁一面ガラス張り。
その向こうは満天の星空。
……まさか。
その窓へと走り寄る。
全面が星空。
上も、下も、右も、左も。
という事は……宇宙船……?
そして、この部屋はブリッジか!?
嘘だろ?
室内の中央、一段高い場所に置かれた偉そうな椅子に腰を下ろす。
……。
「発進!」
右手をかざしながら一言。
……違ぇな。
もう発進してんだ。
「射てぇー!!」
再度右手を振り上げる。
「左舷、弾幕薄いよ!
何やってんの!」
『何をしているのですか?』
左手を振り上げながら叫んだ俺の後ろから抑揚の乏しい声。
ゆっくりと左手を戻し、そしてゆっくりと振り返る。
「……ハロー」
宇宙船っぽいツナギを着た、少し頬のこけた白人男性。イケメンヒゲ。
首に何かのデバイスを付けている。
『地球人ですか?』
そのデバイスがチカチカと光りながら、声を発する。同時に口も動いているのだけれど、デバイスから声がする。
「日本人」
問いに、そう返す。
相手は小さく頷いて、瞼を閉じる。
「オーケー。インストール完了。
俺はガイだ。
ようこそ。銀河の海を彷徨う宇宙船へ」
そう彼はオーバーに両手を広げながら言った。
「ライチ……」
……宇宙船。
やはり宇宙戦艦か。
主砲は有るのかな。
有るだろう。
むしろ、無ければ嘘で有る。
……そうすると、俺は密航者か?
戦艦、軍の船だとすると軍法会議にかけられる。
それを免れるために、軍人としてパイロットになるしか無いと脅される展開か!?
そして嫌々ながらもエースパイロットへと……。
「さて、ライチ。
君はグレムリンか? それともサンタクロース?
俺としてはオペレーション・エルドリッジの関係者だと嬉しいのだけれど?」
グレムリンは航空機にいたずらする妖精。
サンタクロースはNASAの隠語で異星人だった気がする。
では、エルドリッジは?
『フィラデルフィア計画』に用いられた駆逐艦が『エルドリッジ』だったはず。
米軍艦が瞬間移動し多数の軍人が凄惨な目に会ったという都市伝説の。
前者二つは彼なりのジョークだろう。
「残念だけど、どれでもない。
20XX年の地球から、ここに一瞬で移動したアメリカ軍由来の怪しい民間サービスの利用者」
「20XX年……四年で民間人が利用してるのか?」
彼が盛大に眉を跳ね上げながら言う。
「ガイは四年間帰っていないのか?」
今の驚きから考えるとそう言う事になる。
「まあな。
帰ろうにも門が見つからない」
そういって大げさに肩をすくめる。
「見つからないって……まさか、四年、この船で航海してるのか?」
「その通り!」
ガイは嬉しそうに笑った後に僅かに視線を宙へとずらす。
その先を追うが特に何かがある訳でも無く。
「そろそろだな。ライチ、今回はお前に特等席を譲ろう。
そのまま、その艦長席に座っていろ」
「は?」
そう言ってガイは、部屋の前方、窓付近にある椅子の方へ。
「どう言うことだ?」
「大気圏、突入だ!」
ガイが心底楽しそうな声を上げる。
窓の外にはいつの間にか、赤く光る惑星が浮かんでいた。
大気圏突入。
その言葉に、武者震いがした。




