妹の悔恨②
「在る色を流し無に
想いは罪
変わりても再び寄り添う
唱、漆拾参 現ノ呪 神寄
喚、瀬織津比売」
呼び出しに応じ光と共に現れる立烏帽子の店子。
出現するや口元を隠し、欠伸を噛み殺す様を俺は見逃さなかった。
「お久しぶりでございます」
風果が瀬織津比売に恭しく頭を垂れる。
それを見て笑みを浮かべる駄女神。
あれか?
俺が嫌われてるのは、ああ言う謙虚さが足らないからだろうか?
当の瀬織津比売はまるでそれを感じ取ったかのように俺を一瞥。
「お話を伺ってもよろしいでしょうか?」
風果に対しては笑顔を見せる瀬織津比売が穏やかに頷く。
「神託について、兄から聞きました」
「ええ」
「つきましては、瀬織津比売様にそれを祓っていただきたく。
私が柱と成りますので」
「オイ!」
勝手な風果の言い分に怒鳴り声を上げるが彼女は瀬織津比売の方を向き俺に背を向けたまま。
だが、瀬織津比売はその申し出に対し静かに首を横に振る。
「本当にそれで良いのですか? お前はそこに居る兄を信じすぎです」
「……どう言う事でしょう」
一度俺の方を振り返ってから瀬織津比売に問う風果。
「その者に、妹を柱とした重荷を背負うなど無理と言う事です。
やがては圧し潰され、私は荒御魂へと成るでしょう」
風果が再び振り返り俺を見つめる。
俺は静かに首を横に振る。
「俺ならどうなる?」
「それも出来ません」
「何故?」
「お前に柱の資格は無いのです」
「資格?」
資格とはどう言う事だろうか。
だが、瀬織津比売は俺の疑問に答えず。
……ちょいちょい流されると言うか、無視されると言うか。
俺は大きく溜息を吐く。
「どう言う事なのですか?」
「そう言う事です」
風果の問いに瀬織津比売が答える。
それすら、答えになって無いけれど。
僅かに風果が眉間に皺を寄せる。
「では、その大いなる禍とは一体何なのですか?
まつろはざる神でしょうか?」
「神であり、神で無く。
その様な物です」
「何だそれは。半神か?」
「言うなればお前の様な者です」
俺の様な……つまり、神憑か。
その身に神を宿す。
「最早、人であった時の身など欠片も残って居ないでしょうが」
完全に神に取り込まれた訳か。
「では、それは何処に居るのですか?」
「この近く。だけれど、遠いところです」
「近く……なら今すぐそれを祓いに」
「死にますよ?」
俺の言葉を遮るように断言する瀬織津比売。
「何故? 神憑ならば、俺と貴方の力と同等の筈」
「そんな事はありません。
お前は私の力をまるで使えてないのを自覚なさい」
「ならば、それが出来れば勝てるのか?」
「それが無理だと言うのです。
私は女神です。覡とは言え男である貴方がその体に降ろし、十全に使える訳は無いでしょう」
そう言う問題なのか?
「私の力より、八十禍津日の力の方がお前に馴染むのが何よりの証拠」
「あの凶神の方が俺に近い、か」
「それは、それだけの時間、このお兄様の中に八十禍津日神が封ぜられていたからでは無くてですか?」
「そういう事由も無いことはないでしょう。
ですが、それ以上に御楯の血筋と言うのがある様に思えます」
「血筋?」
「かつて、私を降ろした者がおりました。
だが、その者も最後は荒御魂へと転じてしまいました。
それが御楯の者でした」
「俺の先祖にそんな人が?」
「お前と直接の繋がりはありません。
その者は御楯の出ですがその娘は幼くして死しています」
「それは、まさか……」
何かに気づいた風果が眉根を寄せ、それに瀬織津比売が小さくうなずく。
「ええ、実です。
彼女は荒御魂となった自分の母を鎮める為に柱とされた。
尤も当人は知らぬでしょうが」
そんな事は知らぬ方が良い。
暫し押し黙る俺と風果。
「御楯の血とは荒魂の性が強い。
だから、お前も考え無しに私を降ろそうなどとすればいずれは同じ道を辿りかねない。
心しなさい」
俺の方を睨むように言う瀬織津比売。
「考えた上で使えば良いのか?」
「お兄様。
それが考え無しだと言うのですよ」
まさに考え無しの俺の返答に風果がすかさず釘を刺す。
「ですが比売様はそんなお兄様に神託を下した」
そんなとは随分な言われようである。
「それこそ、考え無しなのでは無いですか?
大体、ご自分でおっしゃったのですよ?
私が柱になる重荷にお兄様は耐えられないだろうと。
それは、世界であれ、夏実さん一人であれ同じ事では無いですか?」
一気にまくし立てる風果。
「道を選べと言うのは方便で、お兄様が禍を祓うと見越しての事では無いですか?
そうしないと比売様も困るのでしょう?」
詰め寄らんばかりの勢いの風果から瀬織津比売は顔を背け……。
「あ!」
一瞬で、微かな霧を残しその姿が消え去る。
微かなアイスクリーム頭痛に顔を顰める俺の前で、ヒラヒラと落ちる式札を風果が宙で掴み再度詠唱。
「在る色を流し無に
想いは罪
変わりても再び寄り添う
唱、漆拾参 現ノ呪 神寄
喚、瀬織津比売」
しかし、瀬織津比売は現れず。
「逃げられた……」
風果が悔しそうな顔で俺を睨む。
俺の左眼を。
そして、小さく溜息を一つ。
「まあ、お兄様の授かった神託通りになる事は比売様も望んでないと言うのはわかりました」
「そうかね?」
「そうですよ。
それから、何と無く倒す敵も見えてまいりました」
「え?」
「お兄様。わかりませんか?
其れ程の禍。それが一体何なのか」
「……魔王?」
「バカ」
心底呆れ果てた様な口調とジト目が突き刺さる。
「お兄様は勇者なのですか?
だったら魔王は私です。
そう言う事にしましょう。
さあ、勇者よ世界の半分を献上なさい。
違うでしょう?
お兄様は直毘なのです。そして私も」
間に入ったノリ突っ込みは何だろう。
「そんな私達が祓うべき存在。
それに私とお兄様は一度、見えています」
二人で?
これ以上馬鹿にされるのも癪なので真剣に考える。
「あ。
そうか。八岐大蛇」
「そうです。
あの強大な瘴気。あれこそが私達の祓う禍だと思うのです」
小さく頷く風果。
それに合わせ、目の奥で微かに頭痛。
瀬織津比売の返答……か?
「……どうやらそうらしい」
「しくじりました。
御識札を回収しなければよかった……」
「いや、それよりも……アレを倒すのか……」
場所は探し回れば良い。
だがその先で待つ物の方が問題だ。
「お化粧が必要になりましたね」
「酒が無い。それに先人と同じ道を辿って勝てるとも思えない」
前は咄嗟に逃げた。
勝てないと瞬時に理解したからこそだが、今ならどうか。
あの時薄っすらと感じた八岐大蛇の瘴気からその強さを推し量る。
蛇竜、ニーズヘッグには肉薄した。
頭の数はその八倍。
力はそこまでの差は無いだろうが同時に八つの頭を相手にするわけだから、そちらの方が格段に厄介そうだ。
今勝てるかと問われれば十挑んで十負けるだろう。
「三つ」
暫くの無言の後に風果が呟く。
「それだけ引き受けます」
「残りは五つ、か」
実姫に一つ任せたとして、残り四つ。
それならば……何とか手が届く気がした。
「……勝ち筋が、見えて来たかな」
今のままでは到底だけれど。
「まずは、あの場所へ札を埋めなければなりませんね」
「……手伝ってくれるか?」
「当然です。
私も、直毘なのですから」
「助かる」
「その代わり、一人で勝手に行かないと約束してください」
「わかった。お前もな」
「はい」
まずは、もう一度あの場所へ。
そして、力を。
相手は神代の荒ぶる神。
だが、瀬織津比売が言うには元は人。
ならば勝てぬ道理は無い。
俺は直毘なのだから。




