ミクとユキ⑤
「ねえ、等々力と君、どっちか強いの?」
「やってみないとわからない」
「じゃ君だ」
階段を下りながらチグハグな会話に思わず振り返る。
「能ある鷹は爪を隠す、でしょ?」
そう言う訳では無いのだけれど。
「違うよ。単純な喧嘩なら等々力の方が強い」
「そうやって、相手をちゃんと観察してる人が最後に勝つのよね」
「あのさ、別に等々力に勝つ必要って、なく無い?」
現実へ戻る。
その為に協力こそすれ、敵対する理由は無いのだ。
「相手が喧嘩を売って来ても?」
「何で?」
「嫉妬」
ミクは何が言いたいのか。
俺は肩をすくめ、先へと進む。
そして、最下層へとたどり着いた。
そこは壁の無い、円形の空間。
直径……二百、いや三百メートル程か。
壁一面に象形文字が描かれて居る。
「凄いな……」
俺は壁に沿って、その読めぬ文字を見上げながら歩き出す。
無言でついて来るミク。
時折、立ち止まり文字を見て何かをつぶやいている。
そして……たっぷりと時間をかけ一周。
文字の意味はわからないけれど、ここにお目当の門がないことはわかった。
「難しい……」
ミクがそう呟いた。
「何が?」
「この文字。
でも、どこかで見たことのある」
「文字を?」
「ううん。文字そのものでなくて文字の並び……文法的なもの。
現実で検証すればすぐわかると思うけれど」
「でも、メモも出来ないし」
「全部、頭の中に刻み込んだわ」
「え?」
ミクが自分のコメカミを指差しながら言う。
「覚えたの? これ全部?」
「うん。途中にあったのも全部覚えてる」
「凄い」
「そう言う能力なのかも。
さすがに現実だとそんな化け物みたいな記憶力は無いもの」
「それ、向こうで何かわかったら……」
教えてとそう言いかけやめる。
名前も連絡先も知らない。
「……ナンパ?」
上目遣いで問われ、首を横に振る。
「じゃ、無事に向こうに戻れたら教えてあげる」
また、童貞を殺す笑み。
だが。
「戻れるかな……」
門を求めたどり着いた最下層。
しかし、目の前に目当ての物は無い。
途中で何か見落としたか?
あるいは……。
「一度、戻ろうか」
「ええ」
来た道を引き返す。
だが、僅かに足取りは重い。
「うるせえんだよ!」
そんな俺たちの元に、等々力の絶叫が響く。
思わず顔を見合わせる俺とミク。
「いや! 近寄らないで!」
次いでユキの声。
「触らないでって言ってるでしょ!」
思わず走り出す。
「あのビッチに相手して貰えばいいでしょ!?
あの女もアンタなんかもう眼中に無いかもしれないけど!」
俺が部屋にたどり着くと同時に、ユキの吐き捨てる様な台詞。
……変なタイミングで戻ってしまった……。
ユキの両肩を押さえつける等々力。
俺に気付き、その手を振り払いこちらに駆け寄るユキ。
そして俺の背後に隠れる様に回る。
俺を睨みつける等々力。
チッと舌打ちをして、そして壁際へと戻って行く。
俺は振り返り、口をへの字にしたユキ、そして聞こえて居た筈だけれど僅かに笑みを浮かべたミクに部屋の中へ入る様に促す。
そして……壁に寄りかかる等々力と俺達三人が向き合う形になる。
……やりづらいな。
なんでこんな事に?
まあいいや。
「この下の階で行き止まり。
出口はなかった」
「やっぱり……」
後ろからユキが意外な事を口にする。
「やっぱり?」
どう言う事だ?
ユキを振り返る。
ユキは壁際の等々力を睨みつけて居る。
「上の階はアイツしか確認して無いのよ」
「は?」
「だから! 何にも無かったつってんだろ!」
近くに居たらツバが飛んで来そうな、そんな勢いで怒鳴る等々力。
「大体、なんでそんな嘘をつく必要があるんだよ!
言ってみろよ!」
それもそうだ。
門を隠す事に意味は無い筈。
「帰りたく無いんでしょ?」
ユキが冷たく言い放つ。
等々力が顔を痙攣らせる。
図星だと、その表情が物語っていた。
「上……か」
また、迷路の様な道を戻らなければならない。
見上げた所で石の天井しか無い。
「行くか……」
止まって居ても得るものは無い。
進まないと。
「は? 休憩だろ!?」
「それだけ元気なら大丈夫だろ」
異論を唱える等々力の顔も見ずに歩き出す。
ここから上に。
逆算して、夏休みの終わりまでに間に合うかギリギリ。
休憩して居る暇など無い。
「二人はどうする?」
「行く」
「私も」
「悪いけど、急ぎになる。
余程の事が無ければ休まないから。
俺は、帰らなきゃならない」
オカンに殺される。
物理的に。
或いは金銭的に。
どちらにしろ……不味い。
だから、俺は溜まったマナを使う事にした。
俺の中の可能性の扉。
静かに目を閉じ、目的の力を探る。
「焦がれ飛び立つその羽音
弦の上に降り立つその音色
耳に届くは幻に非ず
唱、参拾漆 鼓ノ禊 琵蝶」
万物の変化を察知して予兆する術。
空間に張り巡らせた神経は琵琶の弦の如く、静かに舞う蝶の物音すら察知する。
つまり、敵の気配を読み取れるのだ。
「行こう」
目を開け、歩き出す。
新たな力を手に。
……。
そして、すぐに足が止まる。
分かれ道。
……多分右から来たと思うけど。
「左」
ミクがはっきりとそう言う。
振り返り、その目を見る。
確信の篭った顔で頷くミク。
記憶の力。
頷き返し、そして左へと駆け出す。
敵の気配は無い。
◆
「零れ落ちる記憶の残滓
遠路の先の写し身
爪を赤く染めよ
唱、弐 壊ノ呪 鳳仙華」
放たれた力に木製人形の体が弾け飛ぶ。
残りを碧三日月で刈り取るべく地を蹴る。
残り、三体か。
「うらぁ!」
くっそ!
三人居るんだから誰か手伝えよ!
一日半かけてたどり着いた最上階。
そこは、木製人形の巣窟。
なるほど。
等々力が引き返したくなる訳だ。
足元には既に三十を超える残骸。
伸ばした刀が人形の首を落とす。
残り二体。
「零れ落ちる記憶の残滓
遠路の先の写し身
爪を赤く染めよ
唱、弐 壊ノ呪 鳳仙華」
放つ術と引き換えに矢が飛び来る。
痛ってぇ……。
避けきれず身に突き刺さった。
歯を食いしばりながら、最後の一体を袈裟斬りに。
「ふう……」
終わった。
部屋の奥、今までとは異質な模様の刻まれた扉に目を向ける。
この奥に、更に階段があったらどうしよう。
そんな事が脳裏を過る。
床に散らばる人形の残骸を蹴散らしながら進む。
そしてその扉に手をかけ開ける。
呆気なく開いたその先には、見たことのある石碑、門が鎮座して居た。
良かった。
安堵と共に振り返る。
ミクと、そして等々力。
その後ろにユキ。
ミクが満面の笑みを浮かべる。
直後、驚愕に大きく目が見開かれる。
胸部の中心から赤黒い突起物が突き出して居た。
そのまま崩れ落ちるミク。
横で起きた異変に呆けた顔をする等々力。
直ぐにその等々力の顔が苦悶に歪む。
腹部から、ミクと同じ様に赤黒い突起物。
ミクの血で水たまりの様になった床へ、膝をつく等々力。
その口から漏れる声は言葉にならず。
不快な涙声を上げながらうずくまり、動かなくなる。
そんな二人を冷たい目で見下ろすユキ。
彼女が血溜まりを避け、ゆっくりとこちらに歩いて来る。
俺に……歪んだ笑顔を向けて。
一歩下がり、石碑への道を譲る。
二人を手にかけたのは、コイツだ。
なぜ?
どうやって?
俺も?
疑問が頭を駆け巡る。
戦う……のか?
微かに……手が震えて居る。
「君には恨みは無いけど。
許せない?」
そう問われ……俺は首を横に振る。
「優しいね。
それとも、臆病?
自分が大事だもんね」
彼女は、そっと俺に左手を伸ばす。
それから逃れようと、体をそらす。
だが、彼女の手から放たれた光が俺を包み込む。
温かな光。
全身から痛みが消えた。
「お茶のお礼。
……あ、君なら抱かれても良いよ?」
そう言われ、俺は再度首を横に振る。
ユキの顔に張り付いた笑顔が怖くてたまらなかった。
「そうだよね」
更に一歩下り、出方を警戒する。
「じゃ、もう会うこと無いと思うけど」
そう言って、手を振りながら彼女は石碑へ触れ消えて行った。
助かった……。
俺はその場へとヘタリ込む。
それと同時に全身から汗が吹き出た。
何よりも、どんなモンスターよりも恐ろしい。
そう、思った。
ミクと等々力の方を見る。
血溜まりの中、微動だにしない二人は既に事切れて居るのだろう。
その目を焦点を結ばず、ユキが何かを突き刺したであろう傷口は緑色へと変色して居る。
「これが、この世界……」
二人を殺したユキは、だが、法で裁かれる事はないだろう。
その事実に、目の前で実践され初めて気がついた。
二人の亡骸に手を合わせ、俺は現実へと帰還する。
こうして、俺の夏休みは幕を閉じた。
『ミクとユキ』篇 完