蟻地獄⑦
国の守りとして影に隠れてきた御天の一族。
その存在は明るみに出ることは無いが、功業は歴史の中に刻まれている。
例えば、元寇に於ける神風。
それを成したのが、直毘・御楯の者で有ることは一族の者であれば誰しもが知っている。
すり鉢状の蟻地獄の淵に立ち、その中心を見据える。
砂の中でじっと獲物を待つ蟲。
一度砂に捕らわれた獲物はその底まで滑り落ち、毒牙の餌食となる。
護国の神風とまではいかないだろうが、直毘の端くれとしての力を見せてやろう。
「竜つ巻く柱
朝霧を払う風
神より産まれし神
志那都比古神
ここに現し給え
我が水の女神と共に
唱、佰壱 天ノ禱 避来石・零式」
御楯に伝わる禁呪、避来石。
彼方より迫り来る災い全てを退ける風を巻き起こす術。
それに、瀬織津比売の力を合わせた俺のオリジナル。
静かに舞い上がったつむじ風が、周囲を巻き込む竜巻となりそびえ立つ。
そして空を黒く染め、すぐさま篠突く雨へと変わる。
息をするのも辛い程に水が全身を濡らし、そして大地へと染み込んで行く。
それは、すり鉢状となった砂の穴も同じく。
雨の力で無効化された砂の罠。
その中心で蠢く気配。
それに向け一気に斜面を下る。
難から逃れようと、地中に潜り必至に遠ざかる気配の真上。
穴の最深部へと至る。
「穿ち 堕ちる
その果で待つ幾年
やがて芽吹く終焉
唱、肆拾肆 鎮ノ祓 奥月ノ穴」
蟻地獄の巣、大地に空いた大穴の中心を更に深く大きく抉る。
「注し縛る者
連なるは人為らざる者の声
縄と成りて足手を縛る
唱、弐拾玖 鎮ノ祓 縛鎖連綿」
術が、深く抉った穴の中ほど。
そこに姿を現した巨大な蟲を鎖で縛りつけ、拘束。
「静寂の精、銀の戯れ
閉ざされた結界
時すらも凍る
唱、参拾壱 壊ノ祓 逆氷柱」
鎖で宙吊りにされ身動きの取れぬ蟻地獄。
その腹を目掛け下から氷の槍を突き立てる。
だが、それが蟻地獄を貫く前にその背が割れ、中から翅を広げる羽虫へと変態を遂げる。
……常識なんて通用しない、か。
蛹をすっ飛ばし成虫になったそれは、打ち付ける豪雨を物ともせずに空へ。
その六本の脚で俺の体を鷲掴みにして。
雨の中を上昇しながら、俺の眼前でその大顎を大きく開く。
亟禱 鳳仙華
爆破と共に撒き散らされた体液はすぐに雨に洗い流される。
頭を失った羽虫は、重力に捕らわれ地へと落下する。俺を道連れにして。
羽交い締めにされたまま蟲の胴体もろとも落下。受け身も満足に取れず雨で水浸しになった大地に叩きつけられる。
亟禱 鳳仙華
再度、爆発で俺にしがみついたままの蟲の体を引き剥がす。
「幻の王
響く声、笑う声
未だ夢から醒めず
全て暗闇の中に
唱、伍 命ノ祝 卑弥垂」
激しく打ち付けた全身の痛みが和らぐ。
泥水で汚れた体をすぐに洗い流す豪雨。
手で顔を拭い、息を整える。
倒した。
だが、終わりではない。
作戦の続きを。
雨の中でも動きを止めず、羽虫の死骸へと寄ってきた蟻から遠ざかりながら、荷物袋に手を入れ発煙筒を取り出す。
体で雨を避けながらそれに着火。
だが、青い炎と煙を上げると言われていたその発煙筒は、小さく音を立てその場で爆破。煙は上がらず。
雨で湿気ったか?
酷い火傷を負った右手の痛みに顔をしかめながら、仕方なく帰る方向へと顔を上げる。
黒い蟻の群れが前から押し寄せて来るのが見えた。
いや、前だけでは無い。
横も、後ろも。
周り中から蟻が寄って来る。
羽虫の死骸が目当てか?
「幻の王
響く声、笑う声
未だ夢から醒めず
全て暗闇の中に
唱、伍 命ノ祝 卑弥垂」
手を治し、その手に刀を。
「風止まる静寂
溢れる鬼灯
涙は涸れ、怨嗟は廻る
唱、捌 現ノ呪 首凪姫」
羽虫の死骸が目当てならば、すれ違いながら群れの隙を駆け抜けられるだろう。
だが、その目論見はいともあっさりと崩れ去る。
蟻たちは俺が駆け抜け、逃げる事を許さず。
むしろ、俺に群がるよう集まり来る。
ぐるりと取り囲まれ、手当たり次第に斬り落として行くが多勢に無勢。
「穿ち 堕ちる
その果で待つ幾年
やがて芽吹く終焉
唱、肆拾肆 鎮ノ祓 奥月ノ穴」
完全に蟻の波の中へと飲み込まれる前に退路を。
大地に穴を穿ち、その中へと自分の身を落とす。
「封隠」
息だけは出来るような空間を確保しながら穴の蓋を閉じる。
「穿ち 堕ちる
その果で待つ幾年
やがて芽吹く終焉
唱、肆拾肆 鎮ノ祓 奥月ノ穴」
地中で更に下へと穴を押し広げ、体をひねる事が出来る程度の空間を確保。
そして、暗闇の中で次の手を考える。
蟻地獄を倒す事は出来たが、ここから這い出て前線基地へと戻るのは難しいだろう。
地上には急に湧き出たあの蟻の山が待ち構えて居る。
……そう。急に湧き出た。……何故だ?
……まさか、発煙筒?
暗闇の中で思考を巡らす。
蟻地獄退治はまだ終わっていない。
俺は、そう結論付けた。
◆
飛渡足で地の底から抜け出し、再び大地へと。
着地の瞬間、僅かに目眩。
……流石に代償は無くなったとは言え日に二度目の禁呪。消耗が激しい。
ここ暫く瞑想で溜め込んでいた魔力と蟻地獄を倒して得た魔力も底を尽きそうだ。
深呼吸一つして、顔を上げる。
未だ小雨の降る中、雨に濡れた看板には『助けてください』と言う文字と、矢印。
その矢印の先、建物の上からは相変わらずフェザントがこちらを注視して居る。
中からピンク頭の男が出てきた。
後ろにはシバ。
看板の前で彼らが来るのを待つ。
「はじめまして。僕はモモ。
そして、彼はシバ」
無言で彼らの自己紹介を観察。
成る程、敵意の無さそうな笑みを浮かべている。
「名前を聞いても良いかな?」
「……ライム」
「ようこそ、ライム。
いきなりで悪いが、どうか僕らを助けてほしい」
「何人居る?」
「え?」
「僕ら、とは何人?
帰れなくて困ってるってところでしょう?」
会話の先手を取り、主導権を握る。
「十六人」
「帰るなら今すぐここに集めて」
「今すぐは無茶だ。
中には満足に走れない仲間も居る。
第一、君は来たばかりじゃないか」
「時間は関係ない。
門の場所はわかる。
そこに行くだけの力もある。
他に何が要る?」
「……仲間としての信頼」
モモの答えに首を横に振る。
「話にならない。
帰る気がないなら私は行く」
「そうか。残念だ」
こうして交渉は決裂した。




