蟻地獄①
日の傾きかけた青空。
また、野外か。
どうにも野外は面倒な事が多い気がするのだけれど、偶然だろうか。
まあ良いや。
素早く周囲の様子を確認。
目の前に立て看板。
五十メートルほど離れて三階建の建物。
その屋上にこちらを見る人影。
それに気付かぬフリをして、足元に穴を。
亟禱 奥月ノ穴 封隠
御識札を落とし入れすぐに封を。
遠目には何をしたかわからないだろう。
さて、この後どうしたもんか。
目の前の木造の手作りの看板には『助けてください』の文字と矢印。
矢印の向く先は、残骸のような廃屋に近い三階建の建造物。
その上に人。
あいつが、この看板を立てたのか?
改めて、建造物の方へ体を向ける。
入り口と思われる所からこちらの様子を伺う人影が三つ。
先頭の男が敵意のないことを示すためだろうか。
両手を広げ、武器を手にしていないことを見せつけながら歩み寄ってくる。
武器に頼らない攻撃方法が幾らでもある世界においてそのポーズは罠なのか判別がつかないが。
少し離れて、二人。
こちらは武器を手にやや警戒の色を滲ませる男女。
封尖柱でまとめて三人……は無理だな。
一人閉じ込め、混乱の内に朧兎に守らせながら遁走しよう。
揉めた時、或いは襲われた時の方針を定め、俺も武器から手を離しこちらに歩いてくる集団の方へ足を向ける。
「はじめまして。僕はモモ」
赤い髪をした先頭の男がそう名乗る。
年は二十代前半ぐらいだろうか。
「後ろの二人は、シバとカグヤ」
二メートル近い巨躯のシバと長髪で薙刀を手にするカグヤ。
モモは人好きのする笑みを浮かべるが、後ろの二人はこちらを検分するような視線を向ける。
「……エル」
そこそこ名の売れた黒武士の方ではなく、コードネームで名乗る。
名を隠す理由は無いが、逆に言えば見知らぬ多数にいきなり正体を明かす理由もない。
「ようこそ、エル。
いきなりで悪いが、どうか僕らを助けてほしい」
彼はそう言うと深く頭を下げ、後ろの二人もそれに倣う。
「……話は、聞きます」
◆
所々窓ガラスが割れ、板が貼り付けてあり、壁にも破壊の痕跡が残る建物。
等間隔に並ぶ部屋とその室内に黒板があることから学校であったことを辛うじて窺い知ることが出来る。
その一室に招かれ、モモから状況の説明を受ける。
テーブルをいくつも並べた上に大きな模造紙が置かれ、そこに地図が描かれていた。
「ここが、今僕らのいる場所だ」
モモがその一点を指差す。
「そして、ここに帰るための石碑がある」
地図のほぼ反対の一点を指差すモモ。
「距離にしておよそ4キロ」
近いな。
「その間に川があるが橋はここと、東西に細い物がそれぞれ一つ」
俺たちの居る所が地図のほぼ南の端。
そこから北上すると門があり、その中央を横切るように川が通っている。
「道中、特に橋の向こうは、敵で溢れかえり、ここには怪我人だらけ」
「怪我人?」
「生き残ってるのは、二十人」
「いや、十九だ」
丁度部屋に入ってきた男が数を訂正。
「……死んだか」
「駄目だった」
入って来た男は憔悴した顔を横に振る。
「新顔か。
俺はマシラだ」
「マシラ。
彼はまだ仲間ではないわ」
「そうかい」
カグヤの言葉にマシラは俺の方へ向けかけた足を止め、部屋の隅に置かれた椅子に腰をかける。
「マシラ、動けないのは何人だ?」
「まともに走れないのは一人。
起き上がれなかった奴は居なくなった」
「そうか」
「他も満身創痍だがな」
その言葉にモモが大きく溜息を吐く。
「ここで僕らは、その十九人全員で、石碑へたどり着きたいと思っている」
「足手まといを置いていけば簡単なのに」
「カグヤ!」
彼女は一言そう吐き捨て、部屋から出て行った。
「……彼女の言う事はもっともだ。
だけれど、僕はそれでは意味がないと思う。
傷付いた仲間をここに置き去りにして、のうのうと生きて帰る事なんて出来ないんだよ」
僅かに諦観を浮かべる笑みを俺に向けるモモ。
「敵は強いんですか?」
「ああ。
だが、カグヤの言った通り決して勝てない連中では無い。
手練れが自分の身だけを守るのならば帰るのは難しく無いだろう」
だが、モモはその選択をしない訳か。
「ここの状況はこんな感じだ。
提供出来るものと言ったら、痛んだ毛布と粗末な飯。
それでも構わないと言うのならば、どうか僕らに力を貸して欲しい。
仲間として、一緒に戦ってくれないだろうか」
「わかりました。
一緒に帰りましょう」
「そうか!
ありがとう! エル!」
彼が差し出した右手を握り返す。
白い歯を見せ、彼が笑う。
「早速、力を見せて欲しい。
少し外に行こう」
腕組みしならがら黙って俺の様子をずっと眺めて居たシバが立ち上がりながら言った。
◆
建物の中でシバが声を掛けたクラインと言う俺と同年代くらいの少年と三人で外へ。
外は、瓦礫と荒野。
建物らしい建物は残っていない。
唯一、彼らの拠点としている所だけが破壊を免れているような有様だった。
「一応聞くが、ランクは?」
「……B」
シバに問われ、再び嘘を重ねる。
名を偽ってしまった事に、小さな罪悪感。
だが、そんな葛藤を知る由もないシバは続ける。
「戦いは得意か?」
問われ、頷きを返す。
それなりに場数は踏んで来たつもりだ。
「そうか。頼りにしてるぞ」
そう言いながらシバは鋭い視線を荒野へ向ける。
茶褐色の大地の中に蠢く物。
ぬらりと光る大きな複眼。
子供の大きさほどの蟻。
ケンタウロスの様に上半身を立ち上がらせ、四本脚で立ち、腕のように残りの二本の足を持ち上げる。
相手もこちらに気付き顎を大きく開き威嚇。
「うわぁ!!」
クラインが悲鳴を上げながら手にしたクロスボウを向ける。
そこから放たれた矢は、敵の表皮に弾かれる。
「バカヤロウ! 相手の数も把握しないうちから刺激するな!」
シバの叱責と同時に俺は試作品を抜いて地を蹴る。
蟻と戦うのは二度目か。
ただ、あの時の奴とは少し違いそうだけれど。
魔力を流した試作品の刃が微かに熱を帯びる。
振り下ろした刀は蟻の強靭な外皮に阻まれ止まる。
すぐさま風切り音と共に蟻の腕が振るわれる。その先には鋭利な爪。
身を引いて躱すが、その爪先が鼻先を掠め、その勢いに血の気が引く。
まともに食らったらただじゃ済まなそうだ。
更に一歩下がって整息。
一気にギアを上げ、再び間合いを詰める。
頭部の付け根へと刃を差し入れ一息に振り抜く。
一瞬押し戻されるが、一層の熱を帯びた試作品は蟻の頭部を刎ね飛ばした。
だが、驚く事に向かい合う蟻は動きを止めず。
振るわれた腕を篭手で受け止めるが、弾き飛ばされ体勢を崩す。
そこへ入れ替わりになるようにシバが躍り出て、胴体を叩き潰す様に手にした棍棒を振り下ろす。
地に押し付けられ、体液を撒き散らしそれでもまだ足をバタつかせる蟻。
「すぐに離れるぞ」
シバが俺を一瞥し、走り出す。
何故止めを刺さない? 疑問に思いながら彼の背中を追う。
「直ぐに仲間が群がって来る」
少し離れてからシバがそう説明した。
「なるほど」
見た目通り、蟻なのか。
「油断するとあっと言う間に囲まれて骨すら残らない」
「厄介ですね」
以前会った蟻より数倍強そうだ。
「そして、この川」
眼下を流れる川。
透き通った水が緩やかに流れる。
その川幅は十メートルくらいだろうか。
しかし、川底が見える。
その水深は50センチほどだろうか。
「落ちたら蛭の餌食になる。
絶対入るな」
「了解」
そう忠告し、彼は川に沿って歩き出す。
無言で歩くこと、暫し。
突然、俺達の行く手を鉄条網が遮る。
その向こうは果てし無く広がる荒野。草一本生えて居ない。
「何か、食えそうな物持ってるか?」
「大して美味くない干し肉なら」
「一欠片くれ」
シバに言われ、大分干からびた干し肉を荷物袋から取り出し渡す。
「本当に不味いな」
一口齧り、顔を顰めるシバ。
そして、残った干し肉を鉄条網の外へと放り投げる。
すると、あっという間に地面の下から子犬大のバッタが這い出て来てその小さな干し肉へと群がって行く。
「アイツラは何故か金網の中には入って来ない。
まあ、俺達も出れない訳だが」
「つまり、ここは虫の楽園なのか」
「そう言う事だ。日が暮れる前に基地に戻るぞ」
「蟻は明かりに寄って来るんだ」
眉根を寄せた俺にクラインが理由を説明した。
なるほど。
夜の行動は一層危険と言う訳か。




