新たなる禁呪
ややこしい状況になったな、と思いながら瀬織津比売に改めて事情を説明する風果を眺める。
えっと、瀬織津比売の覡として、俺。風果はその補佐にあたるをなり神。なのに、その風果が使役する式神が瀬織津比売。
変な上下関係が出来上がった。
まあ良いや。
深く考えるのはよそう。
それより、風果は瀬織津比売を呼び出し何をするつもりなのか。
「なるほど。事情はわかりました。
確かに血脈の中に刻まれた呪いが在るようですね」
「比売のお力で祓えますか?」
風果の問いかけに、瀬織津比売は俺を横目で見て小さく溜息を吐く。
「良いでしょう。煤払いは必要ですし」
煤払いって……。
大掃除?
快適な住環境を作ろうとしてるだけ?
「なら、ちゃちゃっとお願いしたい」
そう言った俺の言葉に一瞥もくれない瀬織津比売。
無視すんなよ。神だろ?
何なの?
俺、嫌われてんの?
店子の分際で。
「その代り、貴女が術を組みなさい。私の力を顕す術を」
「私が、ですか?」
「貴女なら出来るでしょう。
穢れを洗い流す。
それを形として表せば良いのです」
「……やってみます」
神の力を顕す術……それは即ち天ノ禱、禁呪になるのだけれど。
風果の顔が緊張で少し強ばる。
そして、顎に手を当てながら暫く目を閉じる。
やがて、顔を上げ瀬織津比売と小さく頷き合った後、俺の方を見る。
「では、やりましょう」
「え? ぶっつけ本番?」
全く迷いのない妹の顔。
「それが何か?」
「やだ。怖い。
一回くらい試験とかしないの?」
「しようにも、それをする対象が無いではないですか」
だからって……。
「お兄様、信じてください。
世界でたった一人の妹を」
「……わかった」
その根拠は全くわからないけれど、妹という立場を持ち出された以上、覚悟を決め引き下がるしか無い。兄として。
「では、濡れるといけませんので服は脱いでくださいな」
「え?」
「まあ、お清めですから当然ですわよね」
「そ、そうだな」
昨日に続き、二日連続で脱衣。男の。一体どこに需要が?
渋々鎧を外し、下着姿へ。
そして、地底湖の畔へと立つ。
二メートルほど離れ向かい合う風果。その背後に背後霊の様に瀬織津比売。
「参ります」
風果の真剣な顔に頷きを返す。
「清らかなる水
その始原の一滴 無垢なる乙女の涙
神より産まれし神
瀬織津比売
ここに現し給え
唱、佰玖 天ノ禱 思々三千降」
凛とした風果の声。
それに合わせ手を俺に向けかざす。
俺の足元に現れる水。
それが、まるで丸い金魚鉢の様に水かさを増して行き、不味いと思ったときには頭の上まで水に飲み込まれていた。
そう来るかよと思いながら、おそらく巨大な水玉に閉じ込められた俺は鼻と口を押さえ息を止める。ここまでは、昨日の経験が生きた。
だが、ここまでだった。
次いで襲い来る力の奔流。
水の中で、下から、右から、上から、左から。
まるで洗濯機の中に放り込まれた様に、絶え間無く加わる力に上下の感覚すら朧げに。
そして、体の穴と言う穴から体内へ水が流れ込んで来て中から何かを押し出そうと暴れる。
不思議と痛みはなく、だけれど、逃れようの無い苦しみ。手足を動かす事は出来ず次第に思考も出来なくなる。視界は徐々に赤く染まり行く。或いは俺の体から流れ出た血の色かもしれない。
◆
「ボロ雑巾とは、今のお兄様の為にある言葉ですわね」
俺を見下ろしながら掛けた風果の辛辣な言葉。
「……ぇ……ぁ……」
俺はそれに呻き声で答える。
水の中で揉みくちゃにされ、穴と言う穴が水責めにあった。
その結果が、三半規管を完全に破壊され地べたに横たわり、涎と鼻水と涙を垂れ流すボロ雑巾である。
「ご安心下さい。
術は、ちゃんと成功しました。
お兄様は、もう、綺麗なお身体です」
俺の顔の上にハラリと白い布が落ちて来る。
「今はゆっくりと、体をお休め下さい」
「……ぅ……ぁぁ……」
風果の気配が遠ざかり、代わりに、嬌声が聞こえて来る。
地底湖で水遊びを楽しむ三人。
その声を背中に聞きながら、俺は涎を垂れ流す……。
◆
別に怒ってはいない。
風果は、悪気があった訳では無いのだから。まあ、そこに多少のエスっ気が入ったであろう事は疑いの余地は無いが。
それでも、俺の為にやってくれた事。
だから怒る必要は無い。
「でも、腹が立つ訳だよ」
「大丈夫です。
お兄様の器の小ささは存じてますので。
どれだけ罵ろうが構いません。
私は」
そう笑顔で返され溜飲を下げる。
代わりに溜息一つ盛大に。
水から上がった女子二人に何とか動く様になった体でお茶を振る舞う。
瀬織津比売は帰った。
俺の中へ。
「良かったのう。
呪いが無くなって」
ガキンチョの姿に戻った実姫が自分の事の様に嬉しそうに言う。
「無くなったのか?」
そう、風果に確認。
「なぜ疑問形なのですか?」
「いや、自分でわからないから」
自分の変化に全く自覚が無い。
ひょっとしたら外見上変化があってイケメンになってたりするかもしれない。
「そうですか。
なら、試すしかありませんよね」
「……え」
まあ、それはそうなんだけど。
言うほど簡単で無いぞ?
それぞれに代償があったのだから。
「お兄様、すぐ使えるのは何です?」
「飛渡足」
「……丁度良いではないですか」
「は?」
「それを使いあちらからこちらへ。
その後、少し眠る」
「いやいやいや。
お前さ、簡単に言うけど呪いがそのままなら記憶を削られる訳だぞ?」
「誰のですか?」
「夏実だろうな」
「お兄様!
そこは、嘘でも風果と言うところでは無いですか?」
「あー……すまん」
「謝られると余計に惨めなのですが!」
どうしろと。
しかし、試さぬ事には代償が本当に無くなったかどうかわからない。
「うーん……」
他の禁呪は直ぐには使えない。
使えたとしても、失う物は視力、聴力、触覚、言葉、身体、霊感……どれも戦う力と直結する。
その点……飛渡足ならば……記憶を失う。
だけれど、その場合戦う理由を失う事にもなりかねない。
そう。
瀬織津比売に言われた大いなる禍を祓う為の力。
それを手にする為の理由。それを忘れる。
「お兄様」
いまいち覚悟を決めかねる俺に風果が声をかける。
「例え、夏実さんをお兄様がお忘れになっても私がちゃんと二人を引き合わせます。
まあ、その後どうなるかまでは責任持てませんが」
「そうか」
どうなるだろう。
どうにもならない気がする。
ただ、相手をよく知らぬ二人。……そう言ってしまうと現状とあんまり変わらぬ気もする。
「……やるか」
「大丈夫です。
私と瀬織津比売を信じて下さい」
「ああ。もちろん」
神は信じて無い、と言うと語弊があるが全面的に信頼はしていない。
だが、風果は違う。信じるのではなく、受け入れるべき存在。そう決めた存在。
立ち上がり、地底湖のほとりを少し歩き二人から距離を取る。
およそ、三十メートル程。
そのまま瞑想。力を内に。
目を開け、行く先を見据える。
風果と実姫が待つ場所。
そこへ。
「虚ろを巡る鳥
天を翔ける石の船にして
神より産まれし神
鳥之石楠船神
ここに現し給え
唱、佰弐 天ノ禱 飛渡足」
声と共に、景色が変わる。
目の前に風果の顔。
それを視認すると同時に全身を襲う脱力感。
膝が笑い身を支える事すら出来ず。
俺の体が崩れ落ちる前に後頭部へ衝撃。
直後視界が暗転。
◆
「大丈夫ですか?」
声に呼ばれ、目を覚ます。
直ぐ目の前に妹の顔。
「……俺、どうしたんだ?」
飛んで、魔力を使い果たしたか?
「私が誰だか分かりますか?」
「御楯風果。俺の妹」
「ええ」
風果が少し憂いを含んだ笑みを浮かべ、距離を取る。
「お兄様の大事な人は、まだ思い出せますか?」
「ああ」
その名を口にはしない。
でも、俺は夏実を忘れてはいない。
「ならば、成功ですね」
「しかし……使って直ぐに倒れる様だと……」
俺が未熟な所為もあるだろうが、ごっそりと魔力を持って行かれた。
よもや、それが原因で気を失うとは。
とても戦いの中では使えない。
「実姫は?」
「私が無理矢理戻しました。
……怒らないであげて下さいね」
怒る理由なんて無いと思うが。
「お前、飛渡足、日に何度使える?」
「二回が限度です」
「そんなもんか」
「そんなもんです」
呪縛が無くてもホイホイ使えるもんでも無さそうだな。
「そろそろ帰りましょう」
「ああ」
「明日も参りますね」
「ああ」
風果が先導し門まで戻る。
そして、現実へと帰還。
◆
翌日、宣言通り転移した先へ風果が現れる。
「おはようございます。お兄様」
「おはよう」
「お変わりはありませんか?」
「ああ。禁呪の呪いからはすっかり開放されたみたいだ」
「そうですか。
それは良かったです。では、参りましょう」
少し物憂げな笑みを浮かべた後に、彼女は歩き出す。
鉱山の跡。
所々に朽ちかけた立て坑が残る洞窟。
風果が前に立ち進む。
坑内に溜まった地下水の水面上を波紋も立てず静かに進んでいく風果。
そして、現れる敵は言霊も無く亟禱で静かに消し飛ばしていく。
彼女の後ろにいて、流れ込む魔力の残滓を感じながら、その鮮やかな術さばきに改めて感嘆する。
そして、程なくして門を見つける。
「今日はこれでおしまいですね」
「強くなったな」
「……随分と上から目線ですね」
褒めたつもりなのだけれど、何故かジト目の風果。
「今度はお兄様の方から会いに来てください」
「気が向いたらな」
「あ、でも暫くはこちらに来ませんので」
「そうなのか」
「ええ。これでも、それなりに忙しく生きてるんですよ?
お兄様と違って」
いや、俺だって忙しいんだぞ。
ノルマが。
「では、お元気で」
「ああ。また」
◆
現実に戻り、簡単にレポートを作成。
そして、残りのノルマを計算してうんざりする。
あと、130時間弱……。冬休みは残り六日間。
その間に終わるだろうか……。




