古き禁呪
「……どうしたんですか? ボロ雑巾の様に成られて」
地面の上で横になり、脇腹を抑える俺を見下ろしながら声をかけるフーカ・ドエス。
そこは、大丈夫ですか?お兄様、じゃ無いのか?
「肋骨が……折れた」
今、術で修復中。
あんの、糞式神……ガチで手加減無しでぶん殴りやがった。
いや、峰打ちの分、手加減はされてたか。
やっぱ、俺が弱くなって実姫が強くなっている。
はあ、とわざとらしく溜息一つ吐いて風果が俺の体を癒す。
まあ、今は勝手にリザードマンを狩りに行った実姫が味方だと考えれば心強い。
……味方、だよな?
「助かる」
痛みが引き軽くなった体を起こし風果に礼を言う。
「一体、何者が居たのですか?」
「化け物」
そう答えた丁度その時、実姫が戻って来る。
二人の視線に気付き、洞窟の先で実姫が笑顔で手を上げブンブンと振り回す。釣られ乳も揺れる。
「……何ですか? あの、ステータスを胸に全振りした様な御仁は。
お兄様のお知り合い?」
ジト目の風果に真実を。
「実姫」
風果が目を丸くして、俺を見て、実姫を見て、再び俺を見る。
「……最低」
「待て!」
「よもや、式神を欲求解消の道具にしようなどと……」
「待てい!」
「所詮、お兄様も薄汚い豚と言う事ですね」
「否定はするが、そもそも俺をそんなに高潔だと思ってないよな?」
「冗談ですわ」
「笑えないんだよ」
「そうですか?」
こいつ、ちゃんと現実世界で生活出来てるんだろうか。
「今日も来よったのか!」
「え、ええ。昨日の今日ですので……本当に実の様ですね……」
「お前の方は何か変化あったか?」
「いいえ。特には」
と言うことはあの傍迷惑な御神託は俺と実姫だけか。
「ところでお前さ、何でホイホイ現れる訳?」
「ボロ雑巾が随分な言い方ですわね?」
「スマン。言い方間違えた……」
だから、取り敢えず鞭をしまってくれ。下さい。
「飛渡足、使い過ぎじゃ無いのか?」
「使える物を使って何が悪いのですか?
私は、御天の者ですよ?」
「いや、代償とか反動とか無いのか?」
「日に一回程度なら何ともございません!
逆にお兄様達がどうして代償を払っているのか、その方がわかりません」
そりゃ、それだけ大きな力だからだろう。
瀬織津比売が柱を立てろと言った様に神の力を使うには対価が必要なんだろう。
「何の話しじゃ?」
「禁呪の事だよ。天ノ禱。
俺も風果みたいに使える様に成りたいって話」
「主は使えんのか。まあ、弱いものな」
俺の方を見てケタケタと笑う実姫。
「御天じゃ無いから使わないだけだ」
「宗家で無いから?
どう言う事じゃ?」
見た目と強さは変化したが、中身は子供のまま。
これなら牛で居た方が良い気がしないでもない。
「言った通りそのまま。
御楯の俺は避来石の術を除く、他の七つは使えない」
「それは、主の修練が足らんからであろう?」
腰に手を当て、不思議そうに俺を見下ろす実姫。
「いや、だから……」
「ちょっと待ってください。
実、その口ぶりだと天ノ禱、全てを扱える様に聞こえますが?」
俺を遮り、風果が疑問を実姫にぶつける。
それに実姫は口を尖らせる。
「儂は……使えん。
御ヵ迎は術などと言う戦臭い物とは縁の無い家柄であるのじゃ」
剣鉈担いだ奴の台詞とは思えんのだが。
「他の方、例えば……御楯の方はどうでしたか?」
「使っておったぞ! 儂の母上は御楯の出じゃが、その変幻自在に術を操る様から『笑う牝鵺』と言う渾名を持っておったのだぞ!」
鼻の穴を膨らませながらドヤ顔を決める実姫。
「御楯の人間はそんな方ばっかりですわね……」
おい。
俺とその牝鵺とやらとキョウコを一括りにするな。
そして、お前もその一員だからな?
「しかし、実の時代には代償無く禁呪が使えたと言う事でしょうか」
「その鵺殿が御天の血を引いていたと言う事は?」
「それは無いと思うがの」
風果が顎に手を当てながら考える。
「お兄様。
禁呪の口伝、覚えていますか?」
試すような口ぶりの風果に対し、俺は師匠から教えられた口伝を諳んじる。
「天ノ禱。
一つ。御剣の者に草薙切を授ける。
一つ。御珠の者に弥栄を授ける。
一つ。御鏡の者に真経津を授ける。
一つ。御紘の者に命鳴を授ける。
一つ。御槌の者に風浪を授ける。
一つ。御舟の者に飛渡足を授ける。
一つ。御楯の者に避来石を授ける。
それをもって御国と御天を守り給え。
禁破り術使う直毘あらば
素戔嗚尊がその体を切る。
玉祖命がその喉を潰す。
伊斯許理度売命がその目を抉る。
倉稲魂命がその耳を削ぐ。
建葉槌命が触を断つ。
鳥之石楠船神が心を消す。
志那都比古神が感を虚ろにす。
努々忘るるなかれ」
御天庶家七門に対し、禁呪を与える事とその代償を伝える言葉。
俺が口にしたその言葉に、実姫が眉根を寄せながら首を傾げる。
「何じゃ? それは」
「知りませんか?」
「知らぬ。そもそも宗家が術を授けるとはどういう事じゃ?」
「そうなのです。その口伝、やはりおかしいのです。
ただ、それに対して師匠は覗かない方が良いとおっしゃいました。
ですが、実が知らぬとあらば自ずと答えは出てまいります」
顎に手を当て、一人納得する風果。
「どういう事だ?」
ここは大人しく聞き役に徹しよう。
「全ては、御天を守るためなのでしょう。
庶家の力を制限する為に御天宗家が術に制約を設けたのです」
「つまり、本来禁呪に対しての代償は無い?」
「相応の力を持つ直毘の者であれば誰でも扱えたのだろうと思います。
ですが、それを宗家は危険視した。
その力が、敵となるのを恐れた。
或いは、そういった事が過去あったのかもしれません」
「……まあ、過去はどうでもいい。
それに、それがわかった所で禁呪を使えば代償が必要になる。
俺はそれを知っているし、事実そうなった」
「それこそが、御天の狙いなのでしょうね。
力を授けるなどと曰い、その実、力を制限する。
そうやって他を下げ、自分を上げ。卑しい家」
風果が苦虫を噛み潰した様な顔をする。
「風果、他所の家の悪口は止せ」
「はい。お兄様」
偉そうな兄の苦言に、少し嬉しそうに答える妹。
「しかし、そうか……まるで呪いだな……」
子から子へと受け継がれて行く呪い。
宗家である御天を盛り立てる為の。
それはきっと何百年と変わらず受け継がれて来た筈だ。
御天当代ならば解く方法を知っているかもしれないが、教えるとは到底思えない。
つまり、どうしようもない訳だ。
「そう! 呪いなのです」
風果の上げた嬉しそうな声に、俺は吐きかけた溜息を飲み込む。
珍しく、頬を紅潮させ子供の様な笑みを表に出す風果。
「だからこそ、祓えるのです!」
そう言い切った風果の言葉の根拠がわからなかった。
御天の血を引いているとはいえ、腫れ物扱いの風果が家の存続に関わる様な秘術を教えてもらっている訳は無い。
「どう言う事だ?」
「お兄様!
瀬織津比売は、祓戸大神なのですよ!
ならば、お兄様の呪いなどたちどころに流して仕舞われるでしょう」
成る程。
それは尤もだ。
「だが、力を貸すかな」
「やって見なければわからないでは無いですか」
「……それもそうか」
ここまで前のめりな風果も珍しい。
なら、心行くまで試させてみよう。
「お兄様。式札を下さいな」
「ん、良いけど。
お前、式神居るの?」
荷物袋の中から、菱形に切った紙を取り出し一枚風果に渡す。
「これから使役の約を結ぶのですよ」
風果は、そう言って地べたに正座し背を伸ばし目を瞑る。
座れば牡丹、か。
黙ってさえいれば。そんな風に思いながら残念な美人の横顔を暫し眺める。
少し緊張した面持ちで立ち上がり、右手で式札をつまみかざす。
そして、俺と実姫に小さく頷き詠唱へと入る。
「在る色を流し無に
想いは罪
変わりても再び寄り添う
唱、漆拾参 現ノ呪 神寄」
式札が、風果の手を離れふわりと浮かび上がる。
まるで、クリオネの様に。
そして、風果が式の名を告げる。
「喚、瀬織津比売」
…………え?
呼び声に応え、式札の周りに水の渦が現れ、そして霧と共に人の姿へと。
現れたのは立烏帽子姿で澄ました顔の瀬織津比売。
……昨日は寝惚けた浴衣姿だった癖に。
いやいや、違う。
突っ込むところはそこじゃ無い。
神を、僕にしやがったぞ?
どうなってんだ? 我が妹。
そして、呼ばれて飛び出すこの駄女神もどうなってんだよ。
開いた口が塞がらない。
宙に浮き、キラキラと光を放つ妹の式神とそれを子供の様に目を輝かせ眺める俺の式神。
大丈夫。
全振りした胸のステータスでは余裕で俺の式神が勝ってる。




