聖ガブリエル学園
えんじ色の制服に、黒の蝶ネクタイ、白のブラウス姿の夏実。
学園の門の前で待っていた彼女が、俺に向かい静かに手紙を差し出す。
俺はそれを受け取り、そして封も開けずに二つに破り捨てる。
中にどんな言葉が書かれていたのだろうか。
だが、俺はそれを知るべきで無い。
内に秘めた決意を揺るがぬものとする為に。
「ひ、ひどい」
彼女が俺の非情な行為に目を見開く。
そして、目の端から一筋の涙。
一歩歩み寄り、右手でその涙を拭い、そして、決意を伝える。
「お前を殺す」
デデン。
そのまま立ち去ろうとする俺の肩を夏実が後ろから掴む。
振り返ると同時に飛んで来る右拳。
それはそのまま俺の顔面を捉える。
「寝言は寝て言え」
天高く吹き飛ばされながら夏実の捨て台詞を聞く。
何なの……この人……。
◆
……変な夢を見た。
初夢なんだけど、富士も鷹も茄子も出て来なかったな。
まあ良いや。出かけよう。
都心へ。
ノルマは有るし、それ以上にやる事がある。
餅を食って、コートを着て、マフラーを巻く。
◆
「おあつらえ向きかよ……」
初心に返ろう。
少しそんな風に殊勝な事を考えつつ飛んだ先。
見覚えのある洞窟。
まさかと思いながら歩いた先に地底湖。
その畔に申し訳程度に残った木材やらの生活の跡。壁に「Feel Mana. Thanks Master」と言う彫り込み。
俺が初めて術を得た場所。マスターに教わり。
マスター、元気かな。
今なら彼にキスされても何ともない体なのだよな。
そんな事させないけれど。
その壁の前で胡座を組み瞑想。
自らの内にある力。
それを感じ取る。
禍津日の封印があった場所。
そこには相変わらず扉が在る。
あの扉を開け、中に居る瀬織津比売を引きずりだし問い質したい。
だが、扉へ近づこうと意識を向けてもそれは果たせず。強大な力にただ押し戻される。
静かな力。
まるでこんこんと絶え間なく湧き出る清らかな水。
瀬織津比売は川の神。
水……か。
丁度、目の前には綺麗な水をたたえる地底湖がある。
そして意識の、思い出の奥底から蘇ってくる情景……。
広大な湖……霞ヶ浦。
そして、田植えを終えたばかりの水を張った田んぼ。
風が小さな稲を揺らし、そして田に細波を立てる。
その情景は、俺があの家に押しこめられていた頃の物。
全てが嫌だった、あの家と土地で束の間心が安らぐ様な気にさせられた風景。
体の中、穏やかに水の滴り行くのを感じる。
――Use the Mana. Feel it.
この場所で、マスターヨークに教えられた。
魔力を感じろと。
そして、師匠は言った。
言霊は、それのみでは強い力とは成らない、と。
心の内で力がどうなるのかをきちんとイメージする事が大事だと。
だけれど、術のイメージと言うのはとてもあやふやで口伝だけで伝えきる事は難しい。
だから師匠は俺達兄妹にとっておきの教本を用意した。
師匠直筆の、美少年コンビがマガに立ち向かうマンガ。
……今思い返してみると、そう言えばあの内容はとてもじゃ無いけれど子供に見せて良いものじゃ無いな……。所謂、BL本だ……。
……所々ページやシーンが飛んでいたのは、とんでもない描写があったのかもしれない。
思考が逸れた……。
術のイメージだ。
内にある、瀬織津比売の力。
水の様に流れるそれを掬い上げ、形と成し外で作り上げる。
ゆっくりと目を開け、右手を翳す。
「零れ落ちる記憶の残滓
遠路の先の写し身
爪を赤く染めよ
唱、壱 壊ノ祓 鳳仙華」
魔力が渦巻き、宙でビー玉程の水玉を形作る。
直後、真っ赤な花弁を広げながら爆発。
地底湖から水柱が上がる。
今の感覚だ。
それを忘れぬ様に、何度も繰り返す。
◆
俺の記憶がおかしい事なんてこの際どうでも良い。
重要なのは、それが教えとして俺の力になる事。
その結果が、夏実を救うことに繋がるのだと信じるしか今俺が出来る事は無いのだから。
瀬織津比売が見せたあの映像。
富士の山は黒くそびえていた。
だから、もう暫く……半年程は猶予がある筈だ。
その為に使える物は何でも使う。
「雨乞いは涙となり果たされた
灯火
消えてなお、消えぬ
唱、漆拾参 現ノ呪 神寄
喚、実姫」
呼び声に応え現れた童。
珍しくしおらしい顔をして居るが。
「よう」
「……よう」
「どうした? 元気が無いな」
「……わからんのだ。
柱となる事は誉れじゃ。
じゃが、夏実がそうなるのは……嫌なのじゃ」
「そんな事はさせない」
「瀬織津比売様は、そうせよと仰った」
「その前にその大いなる禍とやらを祓えば良い」
まず示されたのはその道だった。
そして、それが果たせぬ時は柱を立て、瀬織津比売御自らの力で祓って貰えば良い。俺という柱を立て。
「その為の直毘だろ。御ヵ迎の姫」
「……じゃが……」
「大人しく主人の言う事を聞け。
ほら」
箱根で貰ったチョコを実姫に渡す。
「そう言う訳だから、お前にも手伝ってもらう」
「うむ……」
「食わないなら返せ」
「返さぬ! これは儂のじゃ!」
「食ったらちょっと相手しろ」
「相わかった」
包みを開け、口の周りを茶色くしながらチョコを食べ終わるのを待つ。
術の感覚はわかった。
次は体の使い方。
まあ、実姫なら手加減して丁度良いだろう。
「待たせたな」
チョコを食べ終わった実姫がニヤリと笑いながら立ち上がる。
「そういや、巫女になったみたいだが、何か変わったか?」
「さあて。どうかの?」
「まあ良い。俺もどれくらい動けるかわからないから手加減してやる」
「その減らず口を塞いでくれるわ」
すっかり調子を取り戻した実姫が敵意を向けながら距離を取る。
そして、左手を胸の前に立て、気合いを入れる。
「唵」
実姫がその姿を童から巨牛へと…………
「……ほう?」
違った。
実姫自身もその変化に気付いたのだろう。
巨牛ではなく背丈は俺と変わらぬ位の女性の姿へと変わる。
引き締まった肉体と、少しつり上がった切れ長の眼。
赤袴で剣鉈を担ぐ姿が、恐ろしいまでに美しい。
「これが、瀬織津比売の御力か」
自らの左手のひらを見つめながら呟く。
そして、こちらを挑発する様な視線を向ける。
「どうじゃ?」
「……凄いな」
そう。凄いのだ。
ある、一点が。
サラシを巻いた胸。
白い布では抑えきれず、溢れそうな超巨乳が降臨あらせられた。
バインバイン。
流石、牛。
超巨乳。
何だ、あれ。
触って良いかな。
別に巨乳が好きでは無いのだけれど、そんな事関係なく、なんと言うか、揉んでみたいと思うのは若者ならば仕方ない……よ?
そんな俺を見透かす様にニヤリと笑う実姫。
そしてその姿が消える。
しまっ……。
咄嗟に両手の籠手を盾がわりにして俺の脇腹が振り抜かれた剣鉈の餌食となるのを防ぐ。
そのまま持ち上げられ吹き飛ばされる体。
以前とくらぶべくも無い膂力。
満足な受け身も取れぬまま湖面の上を滑る様に転がる。
……さて、どう躾けてやろうか。
力には速さ。
「疾る。偽りの骸で
それは人形。囚われの定め
死する事ない戦いの御子
唱、肆拾捌 現ノ呪 終姫
祓濤 金色猫」
湖の上で身を起こし、僅かに痺れの残る手で刀を握り締める。
湖面を滑る様に走りながら一層強くなった式神へ刀を向ける。
手加減とか、そう言う次元では無いだろうな。




