身を清める
「その八十禍津日神を……鎮める。
今再び鎮め給うのが儂の役目じゃろう」
その実姫の言葉に驚きを浮かべる風果を見る。
もし、そうであれば風果を俺と言う呪縛から解き放つ事が出来る。
「これ……を?
そんな事が出来るのか?
だが、どうやって?」
「この魂を使ってじゃ」
「……それでお前はどうなる?」
「上手く行けば、そのまま幽冥主宰大神の元へと行けるやもしれん。
案ずるな。しくじろう時は儂が重石となってこの場へと封ぜよう」
実姫が、少し鼻を膨らませながら言う。
「結構だ」
「何故じゃ!?」
そのドヤ顔が気に入らない。
と言うのは半分冗談だが、結局それは俺の中の凶神を実姫に押し付ける事でしか無い。
「どうせ失敗するに決まってる」
「せぬわ!」
歯を剥き出しにして怒鳴る実姫。
こんなクソガキに神が鎮められる訳が無い。
「どうして今なのです?」
風果が実姫を宥める様に頭を撫でながら問いかける。
「八十禍津日神の霊性が変化しつつある。
転じて和御魂になろうかと思うほどに穏やかに成られた。
或いはそうなるのかと思ったのだが、そうでは無くまた、再び荒ぶり始めた。
だが、この機を逃す手は無いと儂は思うのだ」
荒ぶる神が柔和な神へと変化……。
俺の中でそんな事が起きて居るのか……。
しかし、何故?
「暫く前に好転して、今再び暗転し始めて居る……成る程、どことなく事情は察しました」
何故か風果が俺にジト目。
え?
何?
俺に何か原因があるの?
暫く前に好転、で、今また落ちている…………え、俺のメンタル由来!?
じゃ、もう好転しないんじゃね?
「やりましょう。お兄様。
万が一には、私が禍津日を再びお兄様の中へ押し返します。
実を身代わりにはさせませんから」
そう笑顔で言い切る風果。
意見が二対一になったな。
「考えても見てください。
お兄様の中に禍津日が居ることなど百害あって一利無し」
……そんな風に思っていたのか。
「いずれはその感情に任せて更なる厄災を呼び起こす疫病神と成り果てるに決まってます」
「そんな風に思ってたのかよ!」
小馬鹿にされてるのは薄々感づいていたけれど!
「だから、やりましょう」
二人が俺の答えを待つ。
だが、その顔は俺が首を縦に振ると確信して居るかの様。
「……わかった」
それでもなお反抗するほど捻くれては居ない。
したり顔の二人が少し気に入らないけれど。
「で、どうすれば良い?」
「まずは、身を清めてくるのじゃ」
そう言った実姫の視線の先に有るのは大海原。
吹き付ける海風は、服の上からでも寒さを感じ取れる。
「……は?」
聞き間違いかな?
「ほら、さっさと行って来い。
しっかりと肩まで浸かって来るのじゃ」
「それは風呂だろ!
馬鹿か!
死ぬぞ!」
「死なぬわ!」
「いいや、死ぬね」
再びの言い争い。
何でそんな拷問みたいな事をせねばならぬのか。
歯を剥き出しで啀み合う俺達の横で風果が静かに立ち上がる。
――ペシン
乾いた音が一つ。
「ウダウダ言ってないで、さっさと行きなさい」
ジト目で俺を見下ろしながら言う風果。
その手に鞭。
背筋がゾクリとする。
「……はい」
アレで打たれる前にやろう。
アイツは絶対やる。
フーカ・ドエスだもの。
あんな武器渡すんじゃ無かった……。
何が悲しくてこんな精神修行の様な真似をしないとならないのか。
そう思いながらドエスには逆らえず渋々鎧を外し服を脱ぐ。
水着なんて無い。
下着一枚になり海へ。
大丈夫。
心頭滅却すれば火もまた涼し!
この前の冥府に比べればこんなもの!
大丈夫な訳が無いのだよ。
水の中は寒い。
水から出たら今度は寒風が吹きすさぶ。
死ぬ。
ガタガタと震えながら海から上がる。
「あ、あ、あれ?」
砂浜で俺を出迎える白装束の二人。
「そ、そん、な服を、も、持ってたの、か?」
「今作ったのです」
「つ、作った?」
「ええ、白縛布で」
器用だな……。
「震えておらんでしっかりせい」
髪も整えて貰い鼻の穴を膨らませドヤ顔の実姫。
お前らはその後ろの焚き火から暖を取れるから良いだろうけどさ!
こっちは半裸で水から上がったばかりな訳だよ!
「で、ど、どうすれば良い?」
「そのままそこで瞑想をして、気を鎮めよ」
ここで!?
足首まで波が打ち寄せてるんだけど!
しかし、ここで不満を言うとまた風果がドエスの顔を覗かせるだろう……。
「その後は?」
「私が封を開けます」
「そしたら中から八十禍津日神をお主の外へとお罷りいただくのじゃ」
「おまかり?」
「お兄様の中から追い出すのです」
「……お、おう?」
どうやって?
「出来ねば八十禍津日神にその体を乗っ取られるぞ」
「その前に、再び私が封をします」
「お、おう」
「首尾良くお出でになられたら儂が御座所へとお送りしよう」
「わ、わかった。は、早くやろう」
寒い。
「では、瞑想をして準備をなさって下さい」
「ああ」
波の中で震えながら両手を合わせ目を閉じる。
静かに心を落ち着ける。
寒さを感じなくなるまで。
ゆっくりと、浅く呼吸をする。
波の音、風の音、そして、世界の魔力。
震えが、止まる。
「行きますよ」
後ろから風果の呼びかけ。
目を閉じたまま、小さく頷く。
背中がほんのりと暖かく。
風果が両手を俺の背に当てたのだろう。
「清め給え 開き給え 此れの内にある 八十禍津日神を鎮め給う戸 今日の生日足る日に 開け合はす
清め給え 開き給え 此れの内にある……」
風果が静かに唱える。何度も何度も繰り返し。
その声は少しずつ、少しずつ遠ざかって行く。
暗闇の中、俺は禍津日の封ぜられた扉の前に立っていた。




