奈落の底で④
そうやって、何度か休憩を挟みながら氷の洞窟を進む。
現れるのは黒い霊、骸骨、そして狼。
そう言った物を退けながら。
簡単ではなかった。
凍える様な冷気に加え、黒い霊が発するラップ音。
戦いの中で一瞬の気を削がれるその地味な攻撃は、単純な分効果的だった。
そして、上から降り注ぐ氷柱。
鋭く尖った氷の錐。それは、急所に突き刺されば命を失いかね無い凶器。
だが、そんな物で歩みを止める俺達では無かった。
勇者と吸血鬼と人狼。
チグハグな急造パーティは、それなりに様になっている様に思えた。
そして、道が開ける。
俺達の前に広がる広大な空間。
まるで円形のホールの様な。
向かいの壁まで……五百メートル程か?
そしてはるか上から垂れ下がるのは氷柱と……木の根?
そこから滴る水滴が空間の中央に地底湖を作り、木の根の先端は湖に入り込んでいる。
その地底湖から溢れた水が滝となり、下へと流れ川となって居る。
「フヴェルゲルミル……?」
パムがそう呟いた。
「ニヴルヘイム?」
そう、彼女に尋ねる。
「ひょっとしたら」
パムは笑みを浮かべ小さく頷く。
北欧神話で語られる冥府、ニヴルヘイム。
そこには世界樹の根の下にフヴェルゲルミルと言う泉があると言う。
……浄霊の術が効かなかった原因はこれか?
彼らは既に冥府に居る存在なのだから。
「という事は、ニーズヘッグが居るね」
すかさず勇者が敵の戦力を予想する。
普通に会話が成り立つ。
ちょっとすごい事だよな。これ。
「ドラゴンスレイヤーになる?」
俺の問いかけにナゼルは首を横に振って小さく笑う。
「竜殺しは英雄の役割。
僕とは違う」
いいね。
その拘り。
「じゃ、やり過ごそうか」
そうは言ったものの竜の姿は見えず。
泉の淵に漂う黒い影と骸骨が少しあるだけ。
その泉からは白く立ち上る湯気と、それ以上に濃い瘴気。
そして、その遥か向こう。
靄がかかってぼんやりと見える反対側の岸壁。
壁に沿って上へと伸びて行く階段。
螺旋状に天井近くまで続いている様に見える。
手摺なんて上等な物は無く、足を踏み外せば下を流れる川へ一直線。
そのまま氷漬けになって、ここに舞い戻るのだろうか。今度は死者として。
「出来れば反対側まで一息で駆け抜けたいところだけれど……」
ナゼルがそこで言葉を切って、パムに視線を向ける。
俺達より頭二つ小さな少女。
どうしたって歩幅が違う。
それに加えドレスにヒールと言うとても走りにくそうな格好。
だが、パムは静かに微笑む。
「では、私達が先頭を行きましょう。
ルフ」
パムがルフの背に手を当て優しくその名を呼ぶ。
ルフは無表情のまま小さく頷き、手を地につけ四つん這いに。
「ヴゥ」
喉の奥で小さく唸る。
口と鼻がせり上がり、人の顔から獣の顔へ。
直後、彼の肩が盛り上がり全身の体毛が伸びる。
あっと言う間に完全な狼へ。
その背にまたがり、頭をひと撫でしてから抱きつく様にしがみつくパム。
「一人乗り?」
「もちろんです」
残念。
ならば。
「置いて行かれない様に必死に走らないと」
「肺が凍りつくな……」
「瘴気が濃い。
余り息を深く吸い込まない方が良い。
ちょうど良かったな」
俺のアドバイスに苦笑いを返す勇者。
そして、直ぐに真剣な眼差しを泉の方へ。
その視線は更に奥、対岸の階段へと向かう。
静かに左手を上げ、タイミングを見計らい一気に振り下ろす。
弾かれた様に、四本の足で冷たい大地を蹴り飛び出すルフ。
ナゼルが俺を見る。
一つ頷きを返しルフに続く。
殿を引き受けるのはナゼル。
輝く魔法陣が現れ、パムの魔法が道を切り拓いて行く。
泉からは次々と敵が湧き出てくる。
その頭上を軽々と超えて跳躍を見せるルフ。
「舞い上がる残り香
揺蕩う煙
向かい行く先に望みはなく
唱、陸 壊ノ祓 花舞太刀」
その下を俺が放った風の刃が疾走。
敵を切り裂き道を拓く。
その先へ着地し再び跳躍。
「来たれ。白銀に輝く爆発!」
上から降り注ぐパムの魔法。
消した端から敵が次々と湧き出てくる。
「一閃・光の風」
背後からナゼルの技。
光が敵を薙ぎ払う。
間髪置かず湧き出る敵。
剣を振りかざし迫る骸骨。
試作品を抜き、それを受け止める。
「足を止めるな」
その敵を横手からナゼルの剣が一閃。
そのまま俺を追い越し走り抜ける彼を追いかける。
その先でルフが跳躍するのが見えた。
◆
敵が多い。
しかも強い。
そして寒い。
瘴気も濃い。
一体何重苦なんだ!?
先行するルフの姿は見えなくなり、道半ばを過ぎたあたりで俺とナゼルはぐるりと敵に囲まれる。
当初の勢いは無い。
二人肩を並べ剣を振るい、道を切り拓いて行く。
少しずつ、前に。
突然、足元が光る。
視線を落とすとそこに魔法陣。
そのまま紫の光が円柱となり俺とナゼルを包み込む。
直後、前方で炎が弾けた。
連続して次々と火の手が上がって行く。
それとともに吹き飛ぶ敵の姿。
絨毯爆撃の様に繰り返されたその爆発は、俺達の目の前で一際大きな爆発を上げ収まる。
魔法陣は、その衝撃を一切通さなかった。
そして、俺達の前に一本の道。
その先にパムとルフ。
俺とナゼルは同時に地を蹴り前へ全力で走る。
仲間が切り拓いてくれた道を。
そして、階段の元で待つ二人の元へとたどり着く。
力を使い過ぎたのか、ルフの上で見せたパムの笑顔は少し弱々しい。
ここから更に階段を上って行かねばならない。
この空間の天井まで伸びる階段を。
人二人が辛うじてすれ違えるかどうかの細い階段。
手摺なんて上等な物はもちろんついていない。
……二歩、三歩と後ろに下がる。
「ナゼル」
「どうした?」
階段に足をかけた勇者が振り返る。
「伸びよ。満ちよ
それは森の王の寵愛の如く
穴を穿ち、餌と成せ
唱、弐拾壱 壊ノ祓 骨千本槍」
術で俺と三人を遮る様に壁を成す。
階段の入り口を守る様に。
「ライチ!?」
「ここは俺に任せて先に行け!!」
一度言って見たかったこの台詞。
今以上に適したシチュエーションがあるだろうか。
いや、無い!
「何を言ってるんだ!」
「絶対に追い付く! 露払いは任せたぞ」
「……わかった! この先で待つ! 必ず、生きて帰るぞ!」
敵に追われ、細い階段で戦いになるのは分が悪い。
ならばここで足止めする役が必要だ。
それを理解しているからこそナゼルは俺の覚悟を汲み、ルフと共に走り出した。
三人が階段を上り終えたら天翔で空を走り追いかければ良い。
それまで敵を通さない。
たったそれだけの事。




