静寂の芦ノ湖⑩
一旦ブリーフィングルームから退室。
作戦開始の夜明け、六時過ぎまで後四時間程。
俺はアンコさんに連れられ食堂へ。
大きなテーブルと椅子がいくつも並ぶ広い食堂。
厨房もあるが、そこに人の姿は無い。
「……何か食べる?」
「えっと……オムライスとかあります?」
鼻で笑うアンコさん。
自分で聞いておいて失礼でないか?
「用意させるわ」
「ありがとうございます」
食堂のテーブルで待つ事しばし。
ブンと言う音がして、オムライスが乗った皿とジュウジュウと音を立てる鉄板が出現する。
鉄板の上には香ばしい匂いを放つ厚切りのステーキ。
「……何ポンドですか?」
「0.5」
良かった。
いや、何が良いのかわからない。
ただ、何となく胸をなで下ろす。
「私の勝ち飯」
「そうなんですか」
俺は目の前に置かれた黄色いオムライスにケチャップで星マークを描く。
卵がトロトロふわふわ。
実はあまり好きで無いタイプのオムライス。
それを見てアンコさんは再び鼻で笑う。
「なんすか?」
「ふふ、私の知り合いも同じ事するのよね」
「そっすか」
少し柔らかな笑みを浮かべるアンコさん。
スプーンで描いたばかりの星マークをつぶしながらオムライスを食す。
その向かいでアンコさんは肉厚のステーキをペロリと平らげる。
勝ち飯、か。
さてどうなることやら。
ここから出る前に、朧兎だけは召喚しておかねば。
音があるうちに。
◆
オートパイロットのヘリが空を飛ぶ。
無音で。
そして、芦ノ湖へ霧氷を巻き上げながら着氷。
何これ。夢?
そして、スッゲェ寒い。
震える俺にヘリから降りる前にマフラーを巻いてくれるアンコさん。天使。
そんな天使を乗せ、ヘリは駒ケ岳の山頂へ。
俺は凍った湖面が割れないかビクビクしながら水門へ。
時折仰ぎ見た空ではドローンが小さく光を放つ。
外套の中から朧兎が這い出て来て俺の頭上へ。
この寒さで凍りやしないだろうか……。
湖面を十分程歩き、水門下の桟橋へ。
あー寒い。
装着したグラスが視界の端で作戦開始まで残り三十分を切った事を伝える。
手に息を吹きかけ、何度も握る。
そして、SD-MMWC-002を手に持ち瞑想。
凍った湖からマナを感じ取る。
そして、首輪からも。
と言うかExチョーカー、すごい。
封印を開けた禍津日に勝るとも劣らない程の力が体に流れ込むのを感じる。
ゆっくりと目を開き上を見上げる。
空が白み始めた。
夜明けだ。
朝日が空の色を塗り替えて行く。
その中で光が紋様を形作って行く。
描かれた十の円。
そして、それらを繋ぐ線。
それは生命の樹、あるいはセフィロトの樹と呼ばれる物。
それが、オーロラと共に上空に姿を現わす。
思わず見とれてしまう様な、美しい光景。
その下で幾重にも光が重なり楕円形の物体が徐々にその姿を顕在化させて行く。
繭、或いは蛹。
根拠無く、そう思った。
上空に浮かぶそれの周りを、等間隔にいくつものドローンが飛んでいる。
狙撃の為の情報を集めているのだ。
そして、前方から眩い光が一筋。
それは、蛹にぶつかり、遮られ、四方へと散って消えて行く。
構わずに照射される光線。
およそ五秒後、光は蛹を貫き空には一直線の光を描く。
直後、空気を震わす衝撃。
声にならない悲鳴。絶叫。
そんな風に感じた。
空中でいくつもの小爆発。
ドローンの全てが撃墜、沈黙した事をグラスの情報が伝える。
……終わり……かな?
なんか、すごい光線に撃ち抜かれた蛹は落下を始めた。
そして、そのまま湖面へと突き刺さる。
再び天を仰ぐ。
オーロラから、光る羽根の様なものが幾つも舞い落ちて来る幻想的な光景がそこにあった。
セフィロトの樹はまだ消えていない。
落ちる羽根は空中で突然弾け、人ならざる者へと姿を変える。
天使……いや、ハルピュイア。
顔と上半身だけが人のそれをした半人半鳥。
再び空を走る光線がそれを即座に消し飛ばして行く。
狙いが甘いのはドローンによる諸元情報が失われたからか。
時折その光線が箱根の山に突き刺さり地形を変える。
……アンコさん……パねぇっす。
だが、当然刈り残しはある。
そしてそれらは何故か一斉に俺の方へと向かって来る様だ。
……篁の野郎……ひょっとして俺を餌にしたか?
ふと浮かんだその邪念を直ぐに振り払い、敵へと意識を向ける。
――その死を知らぬ幼子
――舞い飛び散らせ
――落ちる涙は甘い白雪
――拾壱 壊ノ祓 浮き蛍
内なる声に応え、俺の周りに浮かぶ幾つもの光球。
ふわりと一拍置いて、向かう敵を定める上空へと飛び行く。
出来た。
亟禱。
朧げにその感触を掴んだ。
飛び行く蛍は上空でハルピュイアに傷を負わす。
そして落ちてきた者を剣で仕留めに行く。
試作品、切れ味、良し!
◆
敵が空を飛ぶならばこちらもそれに対抗すれば良い。
俺には天翔がある。それを息切れせずに使うだけの魔力はチョーカーから流れ込んでくる。
尤も飛んでいるのでは無く走っているのだけれど。
試作品の剣は、冷たい霧を生み返り血を洗い流す村雨と、松明の様に明るく照らす手火丸の両極端の特性を有している。
俺の手元で白熱に輝く剣。
斬る度に敵の力を、命を吸い尽くして行く様な感覚。
それは、ともすれば自分を見失いその快楽のみを追い求めていたくなるほどに甘美に感じる。
成る程、妖刀。
御し難い、だが、確かな力を持つその剣は確実に俺の力となっている。
そして、音の無い世界。
その中においても術を放てる様になった。
亟禱と言う術を得て。
◆
ハルピュイアが大きく口を開く。
だが、ここは無音世界。
文字通り耳を塞ぎたくなる様な絶叫が襲って居たであろうその動作は、しかし俺に対し微塵も脅威とならず。
灼熱の刃を白く輝かせる剣で頭を焼き切る。
背後より襲い来るハルピュイアの鋭い羽根。
すかさず朧兎がそれを全て絡みとる。
空を蹴り、背後の敵へ強襲。
剣の餌食に。
亟禱 赤千鳥
周囲に湧いた気配へ向かい術を放つ。
普段のそれよりは幾分弱々しいその術は内なる声に呼ばれた物。
朝焼けの終わる空を飛び、人に似た鳥を喰らい撃ち落として行く。
亟禱 浮き蛍
朧げに浮かぶ光が、残る敵へ飛び爆発の花を咲かせる。
終わりか?
宙を駆けながら周囲に視線を巡らせる。
辛うじて残った数体の生き残り。
それらが弾ける様に吹き飛んで行く。
上を見ると、ヘリから身を乗り出しマシンガンを構えるアンコさん。
気づかなかったな。
ステルスの様に、気配を遮断するシステムでもあるのかもしれない。
一旦そちらへ。
開け放たれたままのドア。
その入り口へ手と足を掛けしがみつく。
帰投を促さねば。
だが、それは達せず。
アンコさんが手にしたマシンガンの銃口を俺に向ける。
その顔に警戒の色。それはグラス越しにもはっきりとわかった。
……異物への拒絶反応。
幾度となく向けられた眼差し。
はしゃぎ過ぎた、か。
だが、今こんな事をしている場合では無い。
彼女から視線を外し、氷結した芦ノ湖へ目を向ける。
いつの間にか氷の上に十の円。
そしてそれらを繋ぐ線が光として浮かび上がり巨大な絵が完成しつつある。
クリフォト、或いは邪悪の樹……。
その中心は、戦いの初めに撃ち落とした蛹。
あれが、羽化する前に。
羽化させては駄目だと直感が言う。
はるか地上のその一点を見つめ、ヘリから手を離す。
重力に身を任せ、落下しながら力を内に錬る。
静かに目を閉じ、両手を合わせる。
亟禱 終姫
祓濤 金色猫
左手から一気に刀を引き抜く。
そのまま、蛹を目掛け落下する雷と自身を化す。
迫る先で、蝶のごとく羽が広がりゆくのが見えた。
直後、着氷。
金色猫は、異形を貫き氷結した湖面へと深々と突き刺さった。
俺の周りを小さな蝶が幾つも飛んで、そして光の中へと消え行く。
……終わったな。
声ならざる呼び声に応えてくれた金色猫に感謝を送りながら左手に戻す。
そして上を仰ぎ見る。
ヘリが下降を始めていた。
戦いは終わった。
だが、終わったのは戦いだけ。
ここに来た時と何一つ状況は変わっていない。
むしろ悪化しているのかもしれない。
ヘリから降り、尚も銃口を向けるアンコさんを見てそう思う。
今度は、両手は上げない。
再び柄に手を添えた試作品が、俺の魔力に呼応し静かに冷気を発する。
ゆっくりと警戒しながら距離を詰めて来るアンコさん。
一度立ち止まり、小さく首を横に振りゆっくりと銃を下ろす。
その向こう、ヘリの中で篁が見下す様に笑った。
直後、激痛。
首から流れる電撃。
耐えきれず両膝を突く。
アンコさんが銃を捨て弾かれた様にこちらへ走り出すのを一瞬視界の端に捉える。
そのまま視界は空へ。
痛みの中、空が崩れて行くのが見えた。
そして、風の音とアンコさんの叫び声……。
◆
目が覚めると室内だった。
身を起こす。
座り慣れたリクライニングチェア。
……戻ったのか。
立ち上がり、体に異変のない事を確かめる。
痛みは無い。
動かないところも。
両手の刺青も、嵌められていた首輪も無い。
充電コードに刺さったままのスマホを確認。
11月24日、13時。
こちらに戻る寸前の景色……世界が崩壊しその奥から世界が現れる……束の間目に入ったあれが隔離世界の結合だとしたら、それと共に俺の体も弾き出されたと言う事だろうか。
そして、戻った後数時間、気を失っていたのか?
俺は再びリクライニングチェアに腰を下ろす。
さて……今回のレポート、どう書くべきか。
暫し、それには頭を悩ませる。
箱根篇完
◆
第三次セフィラ殲滅作戦報告書
日本支部支部長 キョウコ・ミタテ
神奈川県足柄下郡箱根町元箱根、芦ノ湖上空に現れてたセフィラ※は、別任務にて隔離行動中であった戦闘職員及び装備部のテスト兵器により極めて速やかに無力化された。
セフィラの出現に際し、人的被害が生じなかった事は奇跡的な幸いである。
かねてより提案していた高エネルギー長距離砲による射撃の有用性はこれによって実証されたと言える。
よって今後の予算増強を求めるものである。
なお、隔離世界解除時に戦術ヘリコプター一機が芦ノ湖湖底へと沈没。生体にて搭乗していた装備部本部長がレスキュー隊に救助され一時入院する事態となった。
装備部本部長が現場指揮を取ることは職務を逸脱した行為につき、レスキュー費用は当人へ実費を請求するものとする。
※ザドキエルでありアスタロトであると推測される。
ヴェロス日本支部
人的損失 0
物的損失
・戦術ヘリコプター 1
・正式装備品 多数
・試作装備品 多数




