静寂の芦ノ湖⑨
「ふー……」
熱めの温泉に浸かり一息。
ひんやりとした夜風が顔を冷やす。
満点の星の下、水の音しかしない露天風呂。
ここは、別世界だな。
いや、文字通り別世界な訳だけど。
しかし、なんだろうね。
この状況。
いきなり変なオカマが来たと思ったら拉致られ、訓練スペースに放り込まれる。
挙句の果てに汗を流してこいと。
まあ、この後説明してくれんだろ。多分。
どれだけ理解できるか定かでないが。
ガラガラと浴室の扉が開く音がした。
……え!?
浴室の扉が、開いた?
誰か、入って来た!?
いや、大浴場なので人が入ってきてもおかしくは無い。
ただ、他に入ってくる人なんて……。
音のした方を横目で見る。
濡れた床の上に、真っ赤なペディキュアが映える足。
……まさか……。
そのまま視線を上げていく。
ムダ毛一本無い、スラリと伸びたスネ。
引き締まった太腿。
そして、その間からこんにちわ。第三の足。
一気に視線を上に。
俺を見下ろす篁氏。
だよな。畜生。
変なもの見た……。
逃げよう。
だって、半勃ちだもんよ。あの人。
身の危険を感じ、湯船から出ようとした俺の横に密着するように腰を下ろす篁氏。
横にずれて距離を置く。
「……なんすか?」
「アンタ、どっから来たの?」
「は?」
「GAIAは民間人がやろうと思って潜り込めるような、甘いものじゃないのよ」
「……そのGAIAてのが、よくわからない世界ですね」
「そう」
俺の答えに篁氏は天を見上げ、黙る。
……意外とすんなり聞き入れたところを見ると俺が、初めてでは無いのではないか? この世界へ紛れ込んだ人間は。
「あの、この世界……GAIAって、何ですか?」
「現実世界を守るために、分離世界を構築するシステム。
わかりやすく言うと。
原理は簡単。猿でもわかる」
マジで?
「知りたければ、後で論文、見せてあげるわ」
「はあ。
どうしてそんな世界を?」
「現実に現れる怪物を隔離、撃退する為よ」
「隔離、だけじゃ駄目なんですか?」
目の前に現れた脅威がいなくなればいいのならば、その世界へ閉じ込めるだけで良さそうだが。
「隔離世界は、いずれ一つに戻る可能性を秘めている。
隔離してそのままにすると文明の痕跡の一切ない世界に成り果てるでしょう。
そんな世界が、ある日突然目の前に現れたらどうなる?
それでも人は、戦えるかしら?」
「無理でしょうね」
大して深く考えず、俺はそう返事をしながらさり気なく距離を詰めて来る篁氏から再度距離を取る。
「アンタにとっては知らぬ世界の事かもしれないけど、私達を助けると思って力を貸してもらうわ。
見返りは、いくらでも。
物でも、知識でも。
その後の身分も、私が保証する。
それで、いかがかしら?」
「願っても無い話ですね」
そう答え、俺は湯船から上がる。
そして一人そそくさと脱衣所へ。
たっぷりと温まった筈なのに、背後から寒気を感じるのはなぜだろう……。
◆
何でもくれるって言うならもらうさ。
さっきの試作品とか言う刀と超硬セラミックスブレード。
それから、俺は使わないけど面白そうな武器をいくつか。
あと、絶対に臭くならないというブーツに超速乾性の肌着。
ついでに実姫の餌。
そして、この世界の謎。
GAIAの仕組み。
その論文が、俺の目の前に!
ディスプレイを埋め尽くす……アルファベット。
見たこともない形の……数式。この記号、なんて読むの?
これが理解できる猿が果たしてこの世界には存在するのだろうか……。
結局、知識は諦め首に巻かれたチョーカーを調べる。
正式名称、Exチョーカー。
別世界で行動する戦闘員の規定違反を防止する為の拘束具であると共に、戦闘中にマナを供与する補助装備でもあるらしい。
規定活動領域外での行動、倫理を著しく逸脱する行為、連続活動時間規定の超過……そう言った事を防止する為にあるらしい。
外すには……上官の指紋による認識が必要か。
つまり俺のはアンコさんかな。
戦闘が終われば外してもらえるんだろうか。
もらった物と自前の鎧で身支度を整え、篁氏に連れられブリーフィングルームへ。
中にはすでにアンコさんが待機していた。
そして、俺を見て眉間に皺を寄せる。
軽く頭を下げ、テーブルに着くと同時に照明が薄暗く。
デンデンデン・デンデン…………
室内にリズミカルなティンパニの音が流れる。
自然、テンションが上がる。気持ちが昂ぶる。
「では、これよりオペレーションの説明を行う」
上座に座った篁氏が高らかに言う。
「待って下さい。
どうして彼が?」
「装備部付きの臨時戦闘員に採用しました」
「何をふざけたことを言ってるんですか!?」
「これを見なさい」
我々の腰掛けたテーブルの表面がディスプレイになっていた。
アンコさんの前に、いくつかのグラフが表示される。
「彼の成績よ。いまさっき測ったわ」
「……嘘……だって、こんな数値……」
目を見開いて絶句するアンコさん。
その目がゆっくりと俺を見る。
篁氏はまあまあねとしか言わなかったが、それなりに優秀な模様。
そりゃ……それなりに死線をくぐって来てる訳だし。
伊達に、コスプレみたいな格好してる訳では無いのですよ。
見直したか?
調子に乗ってドヤ顔を返してみる。
「どうしてかしら。その顔を思いっきりぶん殴って上げたいのは」
「……さーせん」
怖い怖い。
ドSかな?
「そう言う訳だから、彼も作戦に参加させます。
異論は無いわね?」
「あります! 民間人ですよ!?」
「違うわ。装備部付きの臨時戦闘員。つまり、ヴェロスの一員なのよ。
それでもまだ不満なら、貴女の上官にしても良いわよ?」
そう言われ、引き下がるアンコさん。
それを確認し、一つ息を吐いてから俺とアンコさんを見て言葉を続ける篁氏。
「作戦決行は明朝夜明けとともに。
出現予測地点はここ」
テーブルの上に箱根の地図が表示される。
中心に芦ノ湖。
その湖面の上に赤い点が表示される。
「遠距離射撃によるフォボスの撃破。
それが本作線の内容。
射撃ポイントは……駒ケ岳山頂。
射手は、貴女よ」
篁氏はアンコさんを見る。
静かに頷くアンコさん。
テーブルの上に地図が立体的に表示され、箱根の山と芦ノ湖の上を青い線が結ばれる。
「そして、射線の先。
フォボスを挟み込むように後方にて戦闘員が待機」
そう言って篁氏が示したのは芦ノ湖湖畔の深良用水湖尻水門と記された地点。
「何が起きるかわからない。
頑張りなさい」
「え。それだけすか?」
「これ以上にどんな言葉が欲しいのかしら?」
「敵の情報とか」
「無い」
「……そっすか」
力いっぱい断言しやがった。
改めて待機地点を確認する。
湖畔に、小さな水門と桟橋のような物があるがかなり狭い。
「……水際の戦い、か」
冬の湖は落ちたら寒いだろうな……。
まあ、俺には水雲と言う水の上を走る術があるが。
「芦ノ湖は、全面凍結させます」
「「は?」」
篁氏の言葉に俺とアンコさんが同時に声を上げる。
「なので落水の心配はしなくて良いでしょう。
支給したブーツの性能から、氷上で滑ることも無いと考える」
アンコさんも目を丸くしているあたり、毎回こんな大それた事をして居ると言うわけでも無さそうだ。
……それにしても、池の水、全部凍らせますって……。
「それでは、第三次セフィラ殲滅作戦、通称、ヤシ……」
そう言う訳で、なんか壮大な作戦が始まる。
て言うかさ、この組織、大丈夫なの?
作戦が雑すぎない?




