静寂の芦ノ湖③
思考を巡らす俺を余所に二人(?)の会話は進む。
『身元調べるから、指紋転送してー』
「今やる。
この上に、指乗せて。どれでもいいから」
そう言って女はテーブルの上にスマホ端末の様な物を置く。
「え、何故ですか?」
「あのねぇ……。
警戒情報、出てたでしょ?
GAIAに入り込むのは犯罪。例え過失であろうとも」
「は?」
犯罪?
「何言ってるんですか?
そんな法律、俺のところには無いですよ」
流暢な日本語だが、金髪。
日本人では無いのかもしれない。
「はいはい。
言うとおりにしないと、本当に気絶するわよ?」
「いやいや。
だから、日本にはまだ、そんな……イデぇ!!」
突然身を仰け反らす程の激痛。
これは……電気か?
「出力、下げてるからこんなもんですんでるけど。
あんまり非協力的だと、未成年でも良いこと無いわよ?」
渋々、その端末の上に人差し指を置く。
こうなったからにはとっとと門の場所を聞いて立ち去ろう。
知らなかったらそのときはこの首輪を外して実姫と暴れる。
燻り始めた怒りを抑えながら訳のわからぬ状況に耐える。
端末から電子音がした。
「はい。オッケー。
すぐに身元はわかると思うけど、名前と住所は?」
「ライチ。住まいは日本」
「……ふざけてんの? すぐわかるって言ったよね?」
『アンコー!』
「ほら」
『なにこれー?』
「ん? どうしたの?」
どうやらもう一人の声は上から聞こえるみたいだ。
彼女はグラスの弦に手を当てる。
「……何で、コネ野郎のプロフィール送ってくるのよ」
『コネ野郎って……またまたー』
「……何よ?」
『付き合ってるんでしょー?』
「はぁ!? な、何言ってんのよ! そんな訳ないじゃない!!」
『嘘乙。あーあ。アンコの方から話してくれると思ってたのになー』
「ち、違うって。本当に、まだ、付き合ってはいなくて……」
やたらと狼狽する、アンコさん。
何でいきなり女子トーク始まってんだ?
まるで夏実と風巻さんの様だ。
そういや、目の前の人はアンコさんなのか。
ヴァージン……では無さそうだが。
『でもでもー最近ずーっと溜息吐いてるよねー。
何時からかなー? フィラデルフィア出張に行ってからかなー?』
「そ、そんな事無い!
違う。今、そんな事どうでも良いのよ!
それより指紋!」
『この人がヒットした訳だけれど?』
「嘘? 故障かバグかしら?」
『かもねー』
「……もう良いわ。直接聞くから」
『はーい。よろー』
小さく息を吐いて、俺の方を向くアンコさん。
「さて、改めて名前と住所を聞かせてもらおうかしら?」
「ライチ、日本」
「……ゲームかアニメのキャラかしら?」
「どっちでもないです。それより、門の場所を教えてくれませんか?」
「門?」
「ええ。帰ります」
ここで、貴女の一人芝居に付き合うつもりは無いので。
「門って、何?」
眉間を抑える。
「知らないなら良いです。
勝手に探しますんで」
「駄目よ。民間人が動き回るなんて許可できない。
GAIAが解除されるまで、ここで大人しくしていてもらうわ。
予定ではあと四十八時間」
彼女は壁にかかった時計を示す。
「解除?」
どう言う意味だ?
「だから。
あと四十八時間後に空間がマージされるまでは、現実に戻れないの。
とぼけないでよ。知らないわけ無いでしょ?」
俺は、首を横に振る。
マージって何の事だ?
「……正気?」
『とりあえず、何か飲む? それとも、カツ丼頼む?』
「……何か飲む?」
「じゃ、炭酸を下さい」
「コーラで良い?」
首を縦に振る。
「リンコ。コーラとブラッディオレンジ」
『りょ!』
再びブンと言う音。
そして、テーブルの上に二つのペットボトルが現れる。
俺の前にはコーラ。
「……これ、どうやってるんですか?」
そのペットボトルを手に取り観察する。
「マスター……現実世界から転送してるのよ?」
それが、常識だと言わんばかりの口調で彼女は言う。
俺の知っているコーラと少しラベルのデザインが違うそのペットボトルをまじまじと観察する。
そして……印字された数字、賞味期限に……目が止まる。
「……アンコさん。今、西暦何年ですか?」
「は? 20xx年でしょ? 賞味期限切れてる?」
訝しみながらアンコさんが口にした西暦は、俺が居た時代よりも……未来だった。
僅かに八年ほど……。
もちろん、手の込んだ小細工と言う可能性もある。
目の前のアンコさんは、八年先の未来から来たタイムトラベラー。
それが、彼女の中の設定かもしれない。
「アンコさん。すいません。GAIAって何ですか?」
俺はペットボトルの封を開けることすら忘れ、彼女に尋ねる。
真っ直ぐに、彼女を見て。
「正式名称、Ghost area for imaginary army。
頭文字を取ってGAIA。
現れるフォボスを実世界から切り離し、駆除するためのシステム。
そして、それを管轄するのが特務機関ヴェロス」
そう言って彼女は右手で自分の左胸を示す。
そこには、矢が意匠化されたようなマークが刺繍されていた。
ここは、今までの世界と違う。
遅ればせながら、そう感じた。
「私達には、GAIA世界における一切の権限が与えられている。
もちろん、警察権も。
まあ、君の人権も保証はされるけれど。
改めて聞くわ。
名前と住所は?」
「……ライチ、日本」
俺はソファに浅く座り直し、両膝の上に両肘をついて俯きながら答える。
「……リンコ、様子が変よ。
記憶の混濁が見られる。
ブランチを切った影響かしら?」
『うーん……そんな事例は報告されてないけどなぁ……』
この状況全てが、目の前の女の能力?
……いや、女達の能力……?
複数人が同時に力を使う……いや、それは有り得ないだろう。
行く先が固定出来ないと言う俺の知るGAIAのシステムと複数人による能力協調と言うシステムは相容れないと思うのだ。
では……彼女達の世界に於けるGAIA。
そこへ、俺が紛れ込んだ……?
「アンコさん。
このGAIAにリンコさんの他に誰か居るのですか?」
俯いたまま投げかけた俺の問いかけに返事は無い。
顔を上げると腕を組み、眉間に皺を寄せ睨むようなアンコさん。
「質問してるのは、こっちなんだけど」
名前と……住所か。
いや。
伏せる。
「……上野侑斗」
似てると言われた俳優の名を借りる。
「住所は……東京」
「オーケー。言いたくないわけね。
コスプレの家出少年、ライチ君。
向こうに戻ったら君の身柄は本職に預けるわ」
あっさりバレた。
「それで良いです。
次は俺の質問に答えてください」
「その必要は無い」
ですよねー。
だがな、俺にはこう言う時の為の必殺技がある。
一度、顔を伏せる。
そして、上目遣いでアンコさんを見つめ一言。
「お願いだよ。お姉ちゃん!」
年上の女性は、大抵これでなんとかなる!
俺のショタパワーを見ろ!!




