静寂の芦ノ湖①
期末テストが終わる。
今回こそは手応えがあったそれが返却されるまでの一週間の試験休み。
現実から目を逸らしても問題の無い時間。
Aに会おうと言う大里の誘いを断り俺は一人異世界へ。
御ヶ迎を名乗った式神。
ちゃんと話をせねば。
そう思うのだが心配事が一つ。
与える餌が無い。
果たして素直に言う事を聞くだろうか。
『Have a good trip!』
どう切り出すか。
それを考えながら悪趣味な挨拶に送られる。
全身を包み込む違和感の後に飛び込んで来た光景。
山の稜線と厚い雲の立ち込めた空。
その手前に光を反射する水面。
その更に手前、俺のすぐ前に落下防止の為かチェーンが張ってある。
そのまま緑の水面を見渡す。
金色に縁取られた帆船。だが、帆は張っておらずマストがあるだけの船が桟橋に停留して居る。
違う桟橋ににはスワンボートの姿も。
そしてその先、水面に浮かぶ真っ赤な構造物は……鳥居だ。
何だ?
ここは?
振り返ると、数台の車が止まった駐車場の先に大きな鳥居が見える。
混乱した頭のままそちらへ。
それは、アスファルトの道路に跨る様に立っていた。
そしてその奥にあるバス停。
その脇の建物にはこう書かれていた。
『元箱根港』
と。
道沿いに並ぶ土産物屋。
道案内の看板。
更には見慣れたコンビニの看板。
町中に当然の様に日本語が並ぶその光景からどうやらここは箱根であるらしい事がわかる。
だが、動く車はおろか、人一人いない。
まるで、映画のセットの様だが空があり、アスファルトの手触りも本物だ。
外からのぞいた土産物屋の陳列棚もそのままで、まるで現実から人だけが消えた、そんな静かな世界。
何時かの地下鉄の様な所か……。
いや、あの場所より、もっと現実に近そうだ。
しかし、逆に都合が良かったかもしれない。
コンビニの看板を眺めながら思う。
あの、甘い物好きな式神が喜ぶ物があそこに山ほどある。
商品の対価として払うべき金は無いのだけれど。
まあ、それを咎める者も居ないので少し罪悪感はあるけれど仕方ないだろう。
「…………!」
実姫を呼ぼうと言霊を紡ぐが、それは果たされず。
まさか……。
いや、もう一度。
「…………!!」
声が……出ない。
両手を思いっきり打ちあわせる。
手が痛みで痺れる程に強く打ち合わせた両手の平は小さな音すら発さず。
……音が無い……世界。
マジか!?
腹の底からあらん限りの絶叫。
しかし、何も聞こえず。
不味い。
ここでは……俺は無力だ……。
コンビニで温かいペットボトルのお茶を一本失敬し、入り口の前でしゃがんでそれに口をつけながらさて、どうしようかと考える。
ここは、多分箱根だ。
過去に現実で訪れた朧げな記憶と一致する。
まあ、それは良い。
問題は、門が何処にあるかだ。
空を見上げる。
そこには現実と同じ様に何処までも続く空があった。
まさか……現実の日本と同じ世界だったりしないだろうな?
そんな中、何の手掛かりも無く石碑を探すなんて……。
一気に気が重くなる。
それを晴らそうと叫べども声は出ず。
動き回るか……当ては無いが……。
取り敢えず、名所でも回ろうか。
箱根って何があったっけ?
箱根神社と彫刻の森美術館、ケーブルカーにロープウェイ……公共交通機関、動いてるのだろうか?
いや、動いて無いだろう。
無人で動いてたら、それはそれでホラーなのだが。
取り敢えず地図かなぁ。
後ろのコンビニで手に入るし。
それで、どこかでチャリでも手に入れて走って回る……。
そうしてる内に、風果なりが助けに……いや、妹が来たところで何も解決しないんだよな……。
言霊が扱えないんだから。
クソ。
役立たず!
自分の事を棚に上げ、勝手に妹を貶す。
そんなバカ兄貴には当然バチが当たる訳で。
もう一度コンビニの中へ入ろうとした俺の前を黒い何かが通り過ぎる。
それは、黒く、小さな猿の様にも見えた。
道路を走り去ったかに見えたそれは、やおら引き返し、俺に向け襲いかかって来る。
剥き出しの尖った歯。
ギョロついた目。
細く長い手足。
頭から伸びる短い二本の角と、昆虫を思わせる様な角張った光沢のある外皮。
その姿は悪魔を想像させた。
小さな悪魔。
……しまった。
丸腰だ。
荷物袋の中に小さなナイフはあるが、武器にはなり得ない。
何か、武器は?
周囲を見回す。
……あった。
コンビニの入り口。
その横に置かれた傘立てから透明のビニール傘を一本引き抜く。
一度、素振り。
……行ける。
術は使えないが、強化された体はそのまま。
これならば。
俺は傘の柄を握り、迫る悪魔に先を向けながら構える。
烏墨丸より随分と軽いが、問題無い。
振り慣れた得物だからな。
見せてやろう。
いざという時の為に常に鍛えている御楯流操傘術を!




