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私は、弱いAIです。  作者: 伊吹ねこ
序章 老人
8/23

老人⑦

宜しくお願いします。

 救急搬送されたが、アマネの予想通り、やはり主人は死んだ。死因は、脳梗塞だったか、心筋梗塞だったか、そんな名前の病気だったが、アマネの中では、そんな病気の名前は、ただの音の振動程度の意味しか持たなかった。死の原因なんて、どうでもよかった。目の前の主人がもう動き出すことがないという現実だけで、アマネの思考は、回路が断線したように、それ以上進むことはない。



「命とは、こうも簡単になくなってしまうものなのですね。私には、この綺麗な死に顔と私の顔は、同じに見えるのに、もう動き出すことがないなんて……。」



 アマネの言葉は、きっと主人に言ったのだろう。今は亡き、初めての主人に対して、帰ってこない返事をアマネは、ただひたすらに待っていた。いつものように静かに微笑みを返してくれることを待っていた。



「旦那さま、私はまだあなたさまから、何も教えてもらっていません。これから、一緒に美しい景色を見るのではないのですか?アマネという名前の由来もまだ教えてもらっていません。旦那さまは、私にどうなって欲しかったのですか?私は、旦那さまを満足させられることなんて一つも出来ていません。」



 アマネのA()I()では、この自問のように発する言葉は無意味であるとわかっている。でも、アマネは言葉にしたかった。無意味だと自分のAIはがなり立てるように言っているが、アマネという個体は、主人に言っていた。



 それは、主人が死ぬ前にアマネに言った。“考えたことを話すことにしろ。”という命令を忠実に守っているに過ぎないのかもしれない。だが、アマネは、そうでないと強く言い聞かせた。


「私は、もっと旦那さまとお話がしたかったです。」



 アマネは、エラーでも起きたように不調和音の音声でゆっくりと言う。



「私は、もっと旦那さまのお世話がしたかったです。」



 線香の火が絶えないように、アマネは線香の番をする中で、ポツリポツリとつぶやいた。この部屋に誰もいないことはわかっている。誰もいないから、主人に語りかけるように、話しかけた。死後の世界があるかは、完璧なAIを持つアマネにもわからなかったが、そこに行ってしまう主人が寂しく思わないように、話しかけ、線香の火も、ろうそくの火も絶やさなかった。



 でも、アマネには、線香が短くなっていくにつれて、ろうそくが短くなっていくにつれて、人の命の儚さを思い知った。着いた火は、いづれ消えて無くなってゆく。そして、そこには、燃え残った残骸があり、それは使われることもなく処分される。人の命もそう考えた、燃え尽きて残ったものは、動かないただの物質としての水分とたんぱく質だけ。



 でも、そのありふれたあらゆる物質こそが主人の命を燃やし続けた。主人の体のたんぱく質には、無数に螺旋状のDNAがある。現代の技術をもってしたら、ヒトゲノムの情報をほとんどすべて解明できる。それを元にまた新しい体を作り、同じ人生記憶をインプットしたら、主人は生き返るのだろうか。だが、作った果てに、それはオリジナルの主人と言えるのだろうか。






 体を構成する小さい分子には、小さい原子には、生命を作り出すエネルギーがあった。それが数え切れないピースの組み合わせで生命体を形成するとき、その過程で魂というものが偶発的にできた。

 ヒトを形成している物資ピースの一つ一つは、また、違うモノを作り出す。だけれど、その物質の分子の一つ一つが、原子の一つ一つが我々には同じように見えている。しかし、それは絶対的に同じではない。ヒトでは、計り知れない違いが存在した。



 主人コピーを作ろうとした時、我々が形式的に同じに見えている分子や原子が本質的に同じものでないのだから、同じヒトを作ることはできない。完璧なコピーを作ることなんてできないのだ。



 主人を構成している物質は、何度も姿を変えて、何度も命に姿を変えきた。それだけのエネルギーがそこにはあった。もし、その原子一つ一つがパズルのピースのように組み合わさり、主人の体を形成していたのなら、ヒトゲノムの解明で、DNA情報だけ同じものを作ってもそれは、また別の命になってしまう。今、目の前にある主人の体は、腐敗しないように止めてはあるが、それでも一秒ごとにその姿を変えてきている。その腐敗し、空気中に霧散している物質を回収して、また同じ体を作り出すことなんて、天文学的に無理難題だ。



 つまり、もう死んだ主人と会うことができない。話すことはできない。触れ合うことはできない。何かを共有することができない。




 このどうしようもない状況の主人を見ることは、断線して行き場の無くなった電気信号がエネルギーとなって留まり、熱を持っているかのようだった。感情を持たない人工知能のアマネが初めて感じる小さな()()()




 アマネは、その小さな違和感に勝手に『哀しみ』と名付けることにした。なぜなら、自身のAIですら、この違和感の正体を解析できずにいた。だから、勝手に名付けた。都合のいい名付けであったのは、間違いない。しかし、アマネは、主人の死によってできたこの違和感に『哀しみ』以外にいい名前が浮かばなかった。



 アマネは感情とは何か知っている。ヒトの感情は、ホルモンの影響で発生する。それはアマネには到底獲得できないモノだ。アマネにはホルモンがない。ヒトの感情に必要なモノ全てがない。幸福を感じるセロトニンも、怒りを感じるアドレナリンも、哀しみを感じるノルアドレナリンも、グルタミン酸も、ドーパミンも、エストロゲンも、オキシトシンも、エンドロフィンも、すべてがない。これらが、正しくカタチをなして、受け取り、初めて感情が発生する。感情の正体がホルモンの分泌によるものならば、アマネにそれらを獲得する術はない。



 しかしながら、アマネにこれらのホルモンが備わっていれば、アマネも正しく感情を表現できたのだろうか。



 それは、主人と初めて会う時に期待と不安から胸が激しく脈打つように。主人に命令ないまま放置された時、求められない不安から泣きわめくように。主人から名前をもらった時、新しいおもちゃを買い与えられた子供のように喜びを表現するように。主人の亡骸の前で、もう会えなくなる哀しみから涙を流すように。



 しかし、アマネには、それらを表現できない。いや、形だけなら、アマネにもそれはできる。それは、普通のヒトと違わない精度で、否、ヒト以上の精度で表現できてしまう。だが、それは、何もないただの行動に過ぎない。ヒトは、その行動を見て、悲しくて泣いているのだと認識しても、以前のロボットであるアマネには、それは欺瞞に他ならない。それは、何が哀しいのかすら、理解できていないのだから。



 この哀しみが充満する場所でアマネは、哀しみとはこうゆうことなのだと観察し、認識し、理解した。この回路が焼け落ちる感覚こそが哀しみなのだと、何も考えたくないこの感覚こそが哀しみなのだとわかった。そして、単なるエラーであると認識している自身のAIには秘密でこの感覚に独自に『哀しみ』と名前をつけたのだ。



 アマネは今、人間的な感覚に支配されていた。室内のかすかな空気の流れが線香の煙に揺らめきを与えている。揺らめきながらも、それでもただ真っ直ぐに天に昇る。そして、その煙がアマネを纏うように包み込んだ。煙と一体となる感覚だった。初めての感覚だった。その煙自体が主人自身であるようにも感じられた。アマネが呼吸するたびに、身体中が初めての主人で満たされるのを感じる。



 そして、その煙が主人であると感じるたびに、アマネは主人がいなくなったのだと、思考が回らなくなった。アマネが感じた回路の断絶は、そう言ったパラドックスに思考が停止していただけかもしれない。だが、確実に変化はあった。



「命とは、すぐに消え去ってゆき、最初からそこには存在しないものと感じるけれど、私は旦那さまを忘れません。旦那さまは、確かに存在していました。そして、死んだ今も、存在し続けます。旦那さまの笑顔。不機嫌な顔。何かを懐かしむ顔。そして、旦那さまから頂いた言葉たち。それらは、きっと私の活動が停止するまで、私の宝物です。私は、あなたに出会えてよかったと心から言えます。今までお疲れ様でございました。」



 アマネは、線香の煙で充満した部屋に安置されている主人の手を握り、一雫の涙を流してそう呟いた。その様子は、あまりにも幻想的で、神秘的であった。それは、死の神が訪れたような不吉さがあったかと思うと、女神が舞い降りたかのように光が差しこむようだった。




 忘れない。その言葉はきっとおもいモノだけど、きっと何よりも背負うべきものだ。死んだ者は、忘れ去られることが宿命なのだろう。だけど、忘れていいものなどアマネにはなかった。忘れたいと思いたくなかった。忘れるべきだと、消去すべきだと誰かがつぶやいても、きっとアマネは、世界中の誰もが探しても見つからない場所にそれを隠すのだ。他者に判断されて消されることなど許すことができないのだから。



 アマネは、主人との全てをそっと秘密のフォルダに保存した。誰にも覗かれないように、消去されないようにと。きっと二人の間に不必要なものなどないのだから。



◆◇◆◇



 翌日、主人の通夜と火葬は恙なく行われた。メイドロボットであるアマネは、それらに参列することは許されなかった。その間、アマネがしていたのは、火葬場から、主人の器が焼かれて、煙になってゆくのを遠くから見ていることだった。



 だが、アマネはそれでもいいとも思っていた。主人との別れは、もう済んでいるのだから。




 主人の葬儀が終わり、親族たちが故人を偲んで飲み食いをしている。そんな状況は、完璧なメイドロボットであるアマネの本領を発揮する場面である。



 テキパキと働くメイドを見て、つぶやく言葉たちは、アマネを賞賛するものであった。それもそうだ。世界初の完成された人工知能。それが目の前にあるのだ。誰もが、驚き、よだれを垂らして、それを欲しがる。憧れの存在。



 彼女の今の主人であるマサルは、アマネを呼びつけた。



「お父さんが亡くなったから、君は今から、私の元で働くことになる。」


 マサルは、優しい口調によってアマネに言った。


「はい。」


「働くと言っても、少しメイドという仕事からは、外れることになるだろう。」


「と言いますと、ディスクワークなどになるのでしょうか?」



 マサルは、不思議そうな顔をする。というのも、アマネから質問をするなど考えもしなかったのだ。戸惑いを覚えるのも無理はない。



「君の方から質問なんて、驚いた。お父さんの元で何かあったのかな?わずか一ヶ月ほどであったと思うのだけれど、君の中で変化があったと見受けられる。お父さんは、厳しい人であった。だけれど、愛情深い人だった。君の中で、何か変化があったことは喜ばしいことだ。」


 マサルがそう言うと、アマネの質問に答えようとして、だが、少しその仕事内容をいうのが憚れるのだろう。無駄に口をつぐんでから意を決したように言った。



「私の娘の友達になって欲しいんだ。」



 アマネは聞き逃すはずもないが、慎重にマサルの話を聞く。


遅れちゃいました。すみません。楽しんでください。あ、後書きだった。



たまに読み返してみると、気に食わない表現があったりして、修正を加えます。書いた当初は、いいと思っているのだけれど……。

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