老人③
宜しくお願いします。
「では、旦那様。どうぞ。」
彼女が主人のランチョンマットにある食器に白いご飯と味噌汁を装う。
「すまんな。」
主人が座っていう。そうして彼女は、主人に尋ねる。
「旦那様、私は、どちらに座れば良いでしょうか?」
「それは、儂の正面じゃろう。二人ではあるが、食事とは、多くの食べ物をみんなで談笑をしながら囲むことだ。例えば、今日有ったことを話したりするんじゃ。」
彼女は、返事として、一礼した。そして、主人が言っていた通りに正面に座る。
「では、食べるとしよう。いただきます。ほれ、君もわしに合わせていうんじゃ。」
「はい、いただきます。」
食事の挨拶を済ませると彼女は、主人が言っていたように話しを聞こうとする。
「旦那様は、今日何がございましたか?」
「ん?儂か。儂は…特に何もなかった。いつも通り散歩に出て、いつも通り書斎で本を読んでいた。特に何もなかった。至極つまらん日だった。安定した日と言い換えてもいい。平凡な日じゃ。」
主人は、少し間が空いて、言葉を続ける。
「わしのことは、どうでもいいんじゃ。君の事を聞かせてくれないか?」
初めて主人は、目の前の彼女について興味を持った。彼女が来てから、幾日がすぎた。主人は、彼女がいつか埃をかぶって動かなくなると思っていたから、興味すら持たなかった。そう、館のあちこちに乱雑に置かれているロボットのように動かなくなると思っていた。
だが、このロボットは違った。人の命令を無視して勝手に動く。主人の中にあるロボットの固定観念が崩壊した瞬間だった。だから、主人は、興味を持った。彼女のことを知りたいと思ったのだ。
「私は、自律思考型多目的駆動人形WL-19です…何でもお手伝いします。」
「はあ?何を200年前のデバイスに備え付けられたAIの真似事をしてるんだ?そんなことを聞いているのではない。そうだな。はじめに名前を聞こうか。」
「私は、自律思考型多目的駆動人形WL-19。名前と呼ばれるものでは、これしか持っていません。」
「そうか。だが、それは名前などではない。犬の場合の犬種と一緒じゃ。では、わしが、名前をつけてやろうか。不便だしな。」
主人は、彼女を使ったりしないのだから、名前がなくて不便と思うことはないだろうが、便宜上、与えておくのだろう。
「ありがとうございます。どのような名前をいただけるのですか?」
主人は、彼女の催促とも取れる言葉に、少し待てと手の平を見せる。主人は、案があってそのようなことを言っているのではないのだろう。箸を止めて、物凄い思案の様子を見せる。
それもそのはずだ。名前をつけるというのは、その者の人生を大きく左右することになる。下手に可愛らしい名前でもつけたりしたら、年老いてからが恥ずかしい思いをすることになろう。
2世紀ほど前には、キラキラネームという名前が話題を呼んだが、その名付けられた子供たちが社会に出るときに下の名前を名乗りたがらないという現象が起こった。それが一時期、かわいそうだということで、そう言った名前の人たちに改名の手続きを推奨したりしていた。
実際法律的には、キラキラネームなどは、比較的簡単に改名できるので、政府としても、改名を薦めていた。
だが、親にもらった名前だからといって、名前を変えたがらない人たちが数多くいた。浮き足立った親の子供は、しっかりと地に足がついていると考えさせられる社会現象であった。
この主人は、そのことが鮮明に思い出されているのだ、深く思案の色をその顔に滲ませる。ロボットである彼女の名前を真剣に考えるということを見るに、この主人は、動物にも真剣に名前をつけてしまう性なのだとわかる。
食事の手を止めて、主人が名前を考えるまで、ある程度の時間が流れた。
「よし。決めたぞ。アマネにしようかの。」
「アマネですか。ありがたく頂戴いたします。」
主人と彼女の間で相互に音のないやり取りが発生する。
「ん?名前の由来は、聞かないのか?」
老人は、不思議そうに尋ねるが、彼女がそんなことを聞きたがるとは思えない。彼女にとっては、名前など特に些細な変化ですらないのだ。
「由来ですか…。聞くべきなのですか?」
その返答に老人の眉がピクピクと動いた。
「自分の名前の由来について聞きたくないのか?なぜじゃ?」
主人の不機嫌に彼女は理由を説明する。
「申し訳ございません。名前とは、個体名を判別するツールであるという認識なのです。ツールは、手段であり、目的ではありませんので、由来などを聞くことが必要なのですか?そして、ロボットの名前などに由来があるのですか?」
老人は、その言葉を聞いて、ため息を吐いた。それもそうだろう。食事の手を止めて、わざわざ考えたのに、そんな淡泊な反応をすれば、誰だってため息の1つでも吐きたくなる。この老人もその例には漏れることはない。
「いいか。名とは、お主の人生そのものだ。生きている時だけに、呼ばれ、使われるものであることもそうじゃろう。だが、それだけではない。名とは、わしが、お主に送る生きる上での、1つ目の贈り物じゃ。生まれたばかりの子が、自分の名を聞き、まずそこ目指すのじゃ。」
「それは、どうゆうことでしょうか?」
「はじめにその名前の由来通りになろうとせいということじゃ。何をしていいかわからないということは、怖いことじゃ。だから、まずは初めに名を送る。その名に込められた思いの通りになろうとする道程で、道草をしたりしながら、自分というものを見つけていくのだ。ゆえに、わしはアマネという名前をつけた。アマネが、これからの人生で、最低限迷わないようにするための、最初の指標じゃ。」
「では、私は、その名前の通りのロボットになれば良いのですか?」
「いや、そうでもあるし、そうではない。お主が、わしが示した最初の指標通りに生きていき、生き着く先がそこであるのなら、それでも良いだろう。だが、必ずしもそうとも限らない。お主が道草の末、違う自分を見つけてくれるのなら、わしは、それはそれで嬉しいのじゃ。名とは、前書き。生き方の道案内で、その一つなのじゃ。」
「そうだったのですね。旦那様、ありがとうございます。では、私の名前である『アマネ』の由来を教えていただけますか?」
老人は、少し思案を始める。由来の話までして、思案する理由がわからないが、老人は、とんでもないことを言い出した。
「教えてやらん。一度断っておいて、聞き直すとは甚だ遺憾じゃ、自分で考えて、進むといい。名はやった。考えることも、また、生き方じゃ。それに、わしは機械がきらなのじゃ、そこまで親切はせん。」
「そうですか。わかりました。名前をくださり、ありがとうございます。」
彼女は、一度椅子から立ち上がると、お辞儀をした。そして、再び席に着くと、老人と共に食事をする。
「では、食事を再開しよう。アマネ。」
名付け親である主人は、新しくつけた名前を早速呼んだ。その名前にどのような由来があるのだろうか。
彼女は、これから、どのように生きていくのだろうか。老人は、そのことがとても心配になり、そして、同時に、楽しみでもあった。
自身の命は、残りわずかではあるが、子たちを育てたように、この目の前のロボットに色々教えていこうと思うのだった。自身の命の際まで。
はい。旦那様。そう答える目の前のアマネが、名前を呼ばれた瞬間少しだけ表情が和らいだように主人は感じた。実際には、主人の気のせいではあるが、それでも、この主人に変化が起こったことは確実である。
「それで、今日アマネは、何をしておったのじゃ?この料理の出処などを聞こうかの?」
「はい。旦那様。この料理は、裏山に自生している植物やキノコ類がほとんどです。必要最低限の食材しか搾取はしていませんので、問題ありません。もちろん、裏山が、旦那様の所有にあることを知っての行動です。」
彼女は、スーパーの帰り道。屋敷に戻ってから裏山に入り、食材を入手していた。
そして、彼女今日あったことを事細かに食事をしながら、自身の主人に話すのであった。食材の配達の件など、話すことは多くある。
「これからは、事後報告はやめてくれ。混乱の原因だ。」
老人は、再びため息を零すのだった。
旦那様に名前をいただけて嬉しいです。